「カメラ回すの忘れたんで、もう一回バトルしてください」
昨日書いた文章がない。世の中に出回ってるテキストエディタのほとんどにはオートセーブ機能が搭載されている。僕が使っているものも例外ではない。
しかし、Excelの数式を信用できず電卓で再計算してしまう古いタイプの人間がいるように、僕もテキストエディタの精度を疑うべきだったのだ。
途中まで書いた原稿が消えることほど、物書きにとってダメージの大きいものはないだろう。書いた原稿が全てボツにされることの方が何倍もマシだ。
消えた原稿を書き直したところで、前の原稿に乗っかっていた頭の中の“ぐるぐる”した何かを超えられる保証がないからだ。
MCバトルをした後に「カメラ回すの忘れてたんで、もう一回同じバトルしてもらえませんか?」と言われるようなものだ。
だから、テキストエディタの同期不良によって消え去った文章に乗っかっていた“ぐるぐる”した何かを取り戻すことは不可能と言い切ってもいい。
有料プランに入っていればバックアップできたかもしれないが、それももう後の祭りだ。 「バンドマンに曲にされた女ランキングみたいなのがあったら、私、ダントツで一位ですよ!」
ここから先が一文字も思い浮かばない。
僕はストーリーラインよりも文章の温度感を優先するタイプの書き手であるため、致命的なダメージが心を抉っている。
この後の物語の展開のようなものはなんとなく決まってはいるが、登場人物が勝手に動き出す可能性もあるし、もしも動き出したら僕はそいつに筆に任せるようにしている。
というか昨日の夜に関して言えば、僕はその登場人物に完全に筆を任せていた。
だから、そいつが昨日、何を書いたのか思い出すことも難しいし、それをもう一度再現できないという事実に震えるしかない。布団の中で。
人生にはタイミングというものがある。
人生にはタイミングというものがあって、この時の僕はテキストエディタの乗り換えを思案していた。アプリストアを検索してみるといくつものテキストエディタがリリースされている。
余談だが僕は電動髭剃りを持っていない。種類が多すぎて選び方がわからないからだ。
でも、誰かが“オススメの電動髭剃り”をラッパーの脚韻のように自信満々に教えてくれたなら、僕はそれを購入するだろうと思う。
たまたま、そういうタイミングが人生に訪れていないだけだ。
話を戻す。つまり何が言いたいかというと、テキストエディタも種類が多すぎて選び方がわからないのだ。
僕がテキストエディタに求めているのは、同期がスムーズで間違いなく文章が保存されていることくらいだ。基本的に文字しか扱わないから、無料プランで事足りる気もするが、一丁前に仕事で使っているのだからバックアップ機能の充実した有料プランなら加入してもいいと思ったりする。
原稿用紙ですら高級品しか使わない文豪だっているのだから、意識を高めるために文筆環境を変えるのはアリだ(と言っても物理的にはベッドに寝そべってだらしない格好をした状態での仕事だが)。
とにかく、そういうわけで片っ端から無料プラン有りのテキストエディタをダウンロードして、その書き味を試してみることにした。
自分の脳味噌と同期ができているかどうか
「バンドマンに曲にされた女ランキングみたいなのがあったら、私、ダントツで一位ですよ!」そして、テキストエディタにはテストとして書き出ししか保存されていなかった新作小説をコピーする。
タイトルはとりあえず“無題”にしておこう。
縦書きモードのあるエディタもあって、もしかしたら仕事のパートナーにふさわしいかもしれないとフリック入力を試してみるが、スマホの画面上で縦書きというのは想像以上に相性が悪い。脳味噌とのリンクがまるでできない。
僕がテキストエディタにおいてこだわっている同期機能だが、これもアプリによってまちまちだった。
ただ、僕が本当にこだわりたい“同期機能”というのは実のところプログラム的なものではない。
“自分の脳味噌と同期ができているかどうか”
これが一番大事にしていることだ。
漫画家が愛用のGペンを替えられないように、アナログ作画からデジタル作画に移行できないように、脳味噌と直結しやすい“感触”が一番大事なわけだ。
ちなみに同期と言えば、一番苦労したのがガラケーからスマホに移行した時だった。
僕はガラケー時代から小説もリリックも携帯電話で済ませていたため、小気味よくボタンを連打して文章を書いていくことに慣れ切っていた。脳味噌と同期できていたわけだ。
しかし、それがスマホになると最初のうちは全然慣れなくて、しばらくリリックが書けなかったのを覚えている。
ようやく身体がフリック入力を覚えてきて、指先と文字がぴったりリンクし始めたのは数ヶ月後だったと思う。
そんな感覚の延長線上で、テキストエディタのアプリも脳味噌とリンクしやすい相性を意識せざるを得ない状況となったわけだ。
様々なテキストエディタに手を出してみると、今まで使っていた従来エディタを超えるものはなさそうだった。保存機能に関しては不安だが、やはりなんだかんだで愛用していたものは強い。
それどころか、他のエディタじゃテストとして書き残した小説が画面上で繁殖する始末。 テキストデータを更新するたびにコピーが増えていくのである。
保存機能としての役割を果たしてくれているが、これではギャルゲーのセーブデータの羅列よりも性質が悪い。一行ごとに分岐するギャルゲーなんて誰もプレイしたくないに決まっている。
誰か僕に“オススメの電動髭剃り”をラッパーの脚韻のように自信満々に教えてくれたりしないだろうか。
人生にはタイミングというものがある。
Gmailを開くと一通のメッセージが届いていた。
「KAI-YOUの恩田と申します。この度、ハハノシキュウさんにテキストエディタのレビューのお仕事をお願いしたいのですが……」
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