池上英洋「これは明らかに中世写本」
次にわれわれがお話を伺ったのは、『西洋美術史入門』などの著書を持つ、東京造形大学教授、池上英洋先生だ。西洋美術史学者の目には、くっきー!氏の作風はどのように映るのだろうか。「ゴッホだろうがピカソだろうが、ゼロから新たな様式をつくることはもうできません。なんらかのベースを持った上で自分独自のものを仕立て上げることになります。だから、僕たち美術史学者はそういった様式の繋がりを見てしまいます。
これはもう職業病なんですが、そういう観点で見ますと、くっきー!さんの様式は古代・中世キリスト教美術を思い起こさせます」
「具体的には、モザイクやステンドグラスですね。まずはこちらを御覧ください」
「くっきー!さんの作風には、それらと同じように、強い輪郭線で画面を区切って、原色を置く視覚的特徴があります」
また、池上先生はくっきー!氏の描いた背景デザインにも注目する。
「指を使って文字をつくっていますが、身体のパーツを使って美術をつくるという点では、カプチン会の骸骨寺を想起させます」
「こちらが骸骨寺です。修道院のお墓なんですが、修道士の遺骨をただ埋葬するのではなく、見ての通りデザインしているんですね。おどろおどろしくも美しい装飾を骨でつくっている。……それと、こちらの目ですが」
「この目はEx votoを思わせます」
「この吊り下げられてるの分かります? 人間の頭とか足とかのパーツを蝋型や木型でつくって奉納してるんです。
キリスト教の信仰で、例えば片腕を無くしたら、木型で腕をつくって、復活しますようにと祈って奉納するんです。Ex votoは、その奉納品のこと。
昔は麦の穂で目を突いて失明する人も多かったので、目の蝋型をズラッとぶら下げている寺院もあります。当時の人達は大真面目だったと思うけど、現代人が見たら相当にグロい」
「これは僕たち(西洋美術史学者)にとっては中世写本ですね」
「こちらの写本を御覧ください」
「中世の写本は、印刷がないので当然手書きだったのですが、最初頭文字だけは大きく書いて、そこに動植物文様の装飾を付け、リボン状のもので空間を埋め尽くんです。だから、これも『P』なんですけど」
「強い輪郭、原色、装飾模様、おどろおどろしさ……うん、これはもう中世写本です。もちろん、くっきー!さんがex votoや中世写本を知っていて、それを参考にしたという可能性は低いでしょう。ただ、われわれのベースには西洋由来の文化が混ざってますから……」
邪悪なものに頼る、それが古来からの人間の心性
さて、ここでわれわれは疑問の核心に迫ろう。なぜ、くっきー!氏の怪物的・地獄的アートワークは人を魅了する力を併せ持つのか? それを尋ねると、池上先生は西洋におけるこのようなエピソードを紹介してくれた。「凶悪犯が処刑されるじゃないですか。すると、近所の主婦がですね、夜に主婦業の一環として、犯人の死体から歯を引っこ抜いて帰るんです。そして、それを玄関の外に飾るんです」
「死体は、生前の力を保っていると考えられたんです。凶悪犯の歯にも、まだ悪い霊が宿っている。それを玄関に飾ることで、より悪い霊の侵入を防いでるんです。毒をもって毒を制する発想で、鬼瓦や狛犬なども同じ理屈です。このようにわれわれには、悪いもの、邪悪なものに頼ろうとする精神性があるんです」
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