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日本のアニメとゲームが、アメリカ黒人社会の少年と世界を繋いだ

ジャズの巨匠・コルトレーンと同時に、『トライガン』『エヴァ』『幽遊白書』にアプローチ

──J-POPにはどのように触れていったんですか?

パトリック 高校と大学時代ですね。僕が16歳当時に付き合っていたガールフレンドのお兄さんが、小さなアニメ・コンベンションを運営していたんです。いわゆる「アニメコン」というやつで、それが、僕にとっては初めて参加するイベントでした。100人規模の小さなイベントでしたが、すごくクールでしたよ。

さらに、彼がフロリダ州オーランドの「J-CON」という2〜3万人もの人が集まる巨大なイベントに誘ってくれました。そこで、会場でコスプレをして、アニソンをサックスで演奏するというアイデアを思いついたんです。

クラスメイトやガールフレンドのお兄さんがコスプレの案を出してくれて、『トライガン』のウルフウッドの仮装をすることにしました。でも僕はサックスが演奏したかった。だから、ミッドバレイ・ザ・ホーンフリークというサックスを演奏する別のキャラクターと足して2で割って、”ウルフウッド・ザ・ホーンフリーク”というコスプレで参加しました。普通にコスプレで参加するのはつまらないので、そこでアニソンをたくさん覚えましたね。

『BLEACH』の楽曲からエヴァンゲリオンの『残酷な天使のテーゼ』、『幽遊白書』の楽曲も覚えて演奏しました。皆と同じことをやるのは嫌だったし、目立ちたかったんですよね。

──高校生のときに『トライガン』のコスプレでアニソンを演奏していたんですね。それはどういう体験でした?

パトリック この体験から学んだことは大きかったです。それまでは、アニソンを聴くことで影響を受けることはありましたが、演奏することで新しい経験が出来たんです。楽曲を再現するという経験が、僕を形作ってくれたというか。普通はサックスで演奏しないような楽曲をプレイすることで、そのメロディやサウンドが僕を形成してくれたわけです。

普通であれば、サックスプレイヤーはまずチャーリー・パーカーやジョン・コルトレーン等のコピーをして、それから初めて自分の音を作っていくんです。周囲もそれを期待しています。でもJ-POPやアニソンを演奏することは期待されていない。でも、やっていることは同じだと思うんです。僕にはその捌け口が無かったから、自分で作り上げる必要があった。自宅でコピーをするのも良かったですが、それをアニメ・コンベンションで初めて人のために演奏したという経験を経ることで、「ここに何か道筋があるぞ」と思えたんです。 ──その頃、パトリックさんの周囲のコミュニティで、同じようにアニメやゲームなどの日本のカルチャーにハマっている人たちは、どのくらいの割合でいましたか?

パトリック 学校という枠の中では、ほとんどの人が知りませんでした。僕が高校に入る頃には『TOONAMI』の放送枠は無くなっていて、それ以前に観ていた人しかコアなアニメを知らないという状況でした。でも僕は完全にアニメが好きになっていましたし、同じアニメ好きを探したいと思っていました。それで、僕の周りにはそこで出会った10人から15人くらいのアニメ好きがいました。人数は少なかったんですが、それでも十分すぎるほどでした。その全員が非常に熱心なファンだったんです。今でも全員の顔を思い出せます。

僕の通っていた高校は圧倒的に黒人が多かったんですが、いわゆる進学校というやつで、80%から90%が進学目的の生徒で、残りの10%から20%は芸術系とロボット工学などのテクノロジー系の生徒でした。アニメやゲームが好きであることと、コンピューターなどのテクノロジーに精通していることには、密接な関係があったと思います。インターネットを通じて日本の文化に触れることができたんです。

それ以前は、日本の文化はそれほど西洋に輸出されていませんでした。でもTOONAMIを観ていた層は『AKIRA』『幽遊白書』『攻殻機動隊』『カウボーイビバップ』『トライガン』といった古いアニメに触れていた。そういう人たちが、まさに僕の周りにいるアニメファンという感じでした。

でも、それ以外はあまり日本のカルチャーが好きな人はいませんでしたね。アニメやJ-POP好きは”のけ者”という感じで隅に追いやられていましたね。やっぱり普通は、その時に流行っているものを追う傾向にありますから。それは理解できます。誰でもそうです。それでも、僕たちはアニメをもっと深く知りたいと思っていたんです。 ──そのアニメへの愛が今のJ-MUSIC ENSEMBLEとしての活動につながっているんですね。

パトリック 実を言うと、一時期はアニメから離れていたというか、アニメやJ-POPへの愛を横に置いていた時期があったんです。なぜならジャズの道で進学できることになったので。僕としては、より安定したキャリアを進むためにジャズ・ミュージシャンとしての世界により真剣にならないといけないという想いがありました。というのも、そのコンベンションが終わった直後に、「グラミー・バンド」という、グラミーが主宰している高校生のジャズアルバムのオーディションの存在を友達に教えてもらったんです。もし高校4年生でグラミーバンドに合格できれば、そのまま音楽大学に入れる。だからジャズに専念することにしました。

──パトリックさんは2010年の第52回グラミー賞にデイブ・マシューズ・バンドと共に出演されていますよね。それが「グラミー・バンド」としての経験だった。

パトリック そうですね。だから、それから2、3年の間はジャズの練習を続けたり、より高度な音楽理論を学んだりして、音楽全般の勉強をしました。当時の僕の中では、ジャズ・ミュージシャンとしての探求と、日本文化のファンとしての世界は、両立出来るものではなかったんです。そこからマンハッタン音楽院に入ることができて、そこからようやく自分のルーツとなった子供時代について振り返り始めたんです。

──大学に入って日本のポップカルチャーと再会したわけですね。

パトリック ゲームに熱心になっていた時期からは、もう10〜12年経っていましたし、学校が忙しくて日本のゲームからは遠ざかっていました。でもアニメだけは観続けていました。

これが非常に重要で、ちょうど大学に入ったタイミングが、Netflixが流行りはじめた頃でもあったんです。そのおかげでアニメが見やすい環境になった。それで2009年放送のアニメ作品『東のエデン』をたまたま観たんです。とても美しい作品で、特にSchool Food Punishmentが手掛けたEDテーマの「futuristic imagination」に衝撃を受けました。

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