現在20歳のJUN INAGAWAは、美少女ゲームやアニメ的タッチのキャラクターとストリートカルチャーをミックスさせた画風で知られるイラストレーターだ。
ストリートブランドとのコラボレーションを手がけるかたわら個展を開催、また自らDJを行い、音楽イベントを主催するなど、その活動は多岐にわたる。
「ストリート×萌え」「オタクの革命児」──そう語られる彼の活躍はめざましく、すでに多数存在する既存のインタビューなどでも、そのエッジーな人柄をうかがい知ることができるが、本人は複雑な思いを抱えていたという。彼が「俺、最近凹んでるんですよ」と語り出したのは、2020年1月のことだった。
自身の活動や今の思い、凹んでいる理由などをとつとつと語る彼に対し、以前から交流のある筆者は改めてインタビューを提案した。当日は今現在の自身のあり様と、今年の姿勢について濃密に語ってくれた。本稿ではそのインタビューを前後編で掲載する。
JUN INAGAWA(以下、JUN) そうなんです。仕事について聞かれる取材は全部断ってたので、めっちゃ久しぶりですね。
──KAI-YOUでは2回目の個展に合わせて掲載したメールインタビュー以来です。
JUN そのインタビューの書かれ方が、ちょっと攻撃的で……(笑)。俺がアナーキズムとかパンクとかを謳っているからインタビュアーの人が気を使ってくれて、ちょっと素っ気無い感じで書いてくれたんだと思います。 ちょうどその頃、いろんな媒体のインタビューを受けてたんですけど、全部キャラが違うんですよ。ちょっと今回、改めて自分の気持ちを伝えたくて。前回と今とでは自分の中でカルチャーの捉え方もまったく変わってきたので、その辺も話せたらいいなと思ってます。
──では改めて、これまでの活動について順を追って振り返っていければと思います。そもそも今の活動を始めるにあたって、どんな遍歴をたどってきたんですか?
JUN 中学生の頃に『Kiss × sis(キスシス)』を見て二次元の女の子に目覚めて、そこからどんどんギャルゲーとかを知り始めて、『アマガミ』とかもプレイしました。
もともとは漫画家になりたかったんです。「自分で描いた漫画をアニメ化していろんな人に見てもらう」のが一番の夢で、だから中学時代はアニメ見まくってギャルゲーもやって、そこから影響を受けて美少女系のイラストをめっちゃ描いてたんです。 だけど、なんか絵に味がなくて、オリジナリティが欠けてると思ってました。「ちょっと(自分を出すことに)ビビっちゃってるんじゃねえか」みたいな。
その後、中学卒業後に渡米してLAの高校に通いました。日本にいる叔父がスケートとかストリートカルチャーが好きで、いろいろ教えてくれたんです。Supremeとか、Fucking Awesomeとか、THRASHERとか、まずはファッションから入って。
──そこからどんどん深く掘っていくようになった?
JUN この服を着てる人たちがどんなクルーなのか調べて、動画も全部見て、彼らがスケートビデオをつくる上で影響を受けたロックバンドも調べて……すごいハマっちゃった。
それで彼らの絵を描いてInstagramにアップしていたら、A$AP Rocky(エイサップ・ロッキー)※から声をかけてもらって、交流が始まったんです。それが2016年の終わりぐらいです。
翌年、2017年は高校卒業の年。LAの高校を卒業して日本に帰国すると決めてました。なぜかと言うと……これ初めて言うんですけど、実はアメリカにいる頃から、日本の週刊コミック誌の編集の人が、俺の担当としてついてくれてたんです。
※A$AP Rocky(エイサップ・ロッキー):ニューヨーク・ハーレム出身のラッパー。アーティスト集団・A$AP Mob(エイサップ・モブ)の中心メンバーであり、数々のファッションブランドの広告塔としても活躍している。
──アメリカにいるのに?
JUN 俺のPixivを見た編集者の人が声をかけてくれて、「よかったらウチで連載目指さないか?」みたいなメッセージをもらいました。「ヤバい!」って思ってすぐ国際電話をかけて、「今はアメリカの高校にいるんですけど卒業したら日本に帰ってマンガ家目指します!」って言ったんです。
ちょうどその頃はストリートカルチャーが大好きだったし、イラストの仕事も見つかりそうな感じだったんですけど、「どうしてもマンガ家になりたい!」って気持ちがすごい高まっちゃって、卒業後の夏に帰国したんです。 それで編集部に挨拶に行って、担当編集の人と「まずは読み切りを描いて賞を目指そう」って話になりました。その年の夏から秋にかけて描いたのが、『OTAKU HERO(オタクヒーロー)』っていう漫画です。
渾身の力作を描いて賞に応募したんですけど、落ちちゃったんですよ。すっごいショックで、落ち込んじゃって……。
──佳作とかも取れなかったんですか?
JUN まったく取れませんでした。「絵はズバ抜けて上手いが、ストーリーのオリジナル性に欠ける」みたいな評価で、「マジかよ」って思いました。そしたら、落選したことがわかってめちゃくちゃショックだった翌日に、A$AP Bari(エイサップ・バリ)※からメッセージがきたんですよ。
「JUN、LAに戻ってこいよ!」って。
落ち込んでいたっていうのもあるし、一度ちゃんとストリートカルチャーにどっぷり浸かってみたい思いもあって、せっかく帰国したのにまた「帰る!」って決めて、金貯めてアメリカに戻りました(笑)。
それが2017年の冬。家族には「日本で漫画家を目指すから」って言って帰ってきたのに、数か月でまたアメリカに行くことになって。はたから見たら逃げにも見えたと思うんですけど、自分としては「俺はこれをバネに成長しないと!」って気持ちでした。
※A$AP Bari(エイサップ・バリ):NIKEとのコラボレーション、パリでのランウェイ開催といった実績を有するストリートウェアデザイナー。A$AP Mobの共同設立メンバーとして知られている。
JUN 親には心配かけました。編集部の人には「これからも頑張ろう!」みたいなこと言われてたのに、音信不通でアメリカに行ってしまって申し訳なかったです。
でも、18歳だった当時の自分は「好きなカルチャーにちゃんと触れる時間をつくって自分を満たしてから、その経験を漫画に活かそう」と思ってました。
──LAでの生活に戻ったわけですが、家やお金はどう工面していたんですか?
JUN 超貧乏でした。家も無かったので友達の家に泊めてもらったり。スーツケースに原稿用紙とGペンとコピックをぶち込んで、身一つでアメリカに行ったんですけど、家がないから机もない。だから友達の大学に潜入して、大学の机で絵を描いたりしてました。
幸いにも、親がアメリカでリースしてた車の契約がまだ残ってたので、基本的にはそこで寝泊まりしてました。とはいえアメリカなので、日本と比べたら全然安全じゃない。「日本で漫画家を目指してたほうが絶対良かった」って何度も思いました。
そんなほぼホームレスみたいな状態でいろんなラッパーに会ったり、パーティに行ったりしてたんです。ロックとヒップホップをdigって、パンクロックからアナーキズムに目覚めたりして。 ──イラストを描く一方で、LAで現地のカルチャーにどっぷりとハマっていったんですね。
JUN そしたらある日、A$AP Bariから「家来いよ」って連絡が来ました。当時はストリートカルチャーにどっぷりだったので、ホームレスの俺は「喜んで行きます!」って。
そこで「お前のSNSも見てるし、頑張ってるの知ってるから、VLONEのポップアップを一緒にやろうぜ。人生変えてやるよ」って言われたんです。超かっこよかった。
ポップアップに協力したことでお金もちょっともらえたので、泊めてくれた友達にお金を返しました。それから1年ぐらい経ったときに、日本のtokyovitaminというクルーが個展に誘ってくれたんです。
自分としても、1年でいろんなことを吸収できたからいい絵が描けそうだなと思って、ちょうどそのタイミングで2018年9月に日本に帰国しました。
ストリートブランドとのコラボレーションを手がけるかたわら個展を開催、また自らDJを行い、音楽イベントを主催するなど、その活動は多岐にわたる。
「ストリート×萌え」「オタクの革命児」──そう語られる彼の活躍はめざましく、すでに多数存在する既存のインタビューなどでも、そのエッジーな人柄をうかがい知ることができるが、本人は複雑な思いを抱えていたという。彼が「俺、最近凹んでるんですよ」と語り出したのは、2020年1月のことだった。
自身の活動や今の思い、凹んでいる理由などをとつとつと語る彼に対し、以前から交流のある筆者は改めてインタビューを提案した。当日は今現在の自身のあり様と、今年の姿勢について濃密に語ってくれた。本稿ではそのインタビューを前後編で掲載する。
後編はこちら
取材・文:白石倖介(コース) 編集:恩田雄多 写真:JUN INAGAWA本人提供JUN INAGAWA、ストリートとオタクを行き来した2年間
──JUN INAGAWAさんがメディアの取材を受けるのは、ちょっと久しぶりですよね?JUN INAGAWA(以下、JUN) そうなんです。仕事について聞かれる取材は全部断ってたので、めっちゃ久しぶりですね。
──KAI-YOUでは2回目の個展に合わせて掲載したメールインタビュー以来です。
JUN そのインタビューの書かれ方が、ちょっと攻撃的で……(笑)。俺がアナーキズムとかパンクとかを謳っているからインタビュアーの人が気を使ってくれて、ちょっと素っ気無い感じで書いてくれたんだと思います。 ちょうどその頃、いろんな媒体のインタビューを受けてたんですけど、全部キャラが違うんですよ。ちょっと今回、改めて自分の気持ちを伝えたくて。前回と今とでは自分の中でカルチャーの捉え方もまったく変わってきたので、その辺も話せたらいいなと思ってます。
──では改めて、これまでの活動について順を追って振り返っていければと思います。そもそも今の活動を始めるにあたって、どんな遍歴をたどってきたんですか?
JUN 中学生の頃に『Kiss × sis(キスシス)』を見て二次元の女の子に目覚めて、そこからどんどんギャルゲーとかを知り始めて、『アマガミ』とかもプレイしました。
もともとは漫画家になりたかったんです。「自分で描いた漫画をアニメ化していろんな人に見てもらう」のが一番の夢で、だから中学時代はアニメ見まくってギャルゲーもやって、そこから影響を受けて美少女系のイラストをめっちゃ描いてたんです。 だけど、なんか絵に味がなくて、オリジナリティが欠けてると思ってました。「ちょっと(自分を出すことに)ビビっちゃってるんじゃねえか」みたいな。
その後、中学卒業後に渡米してLAの高校に通いました。日本にいる叔父がスケートとかストリートカルチャーが好きで、いろいろ教えてくれたんです。Supremeとか、Fucking Awesomeとか、THRASHERとか、まずはファッションから入って。
──そこからどんどん深く掘っていくようになった?
JUN この服を着てる人たちがどんなクルーなのか調べて、動画も全部見て、彼らがスケートビデオをつくる上で影響を受けたロックバンドも調べて……すごいハマっちゃった。
それで彼らの絵を描いてInstagramにアップしていたら、A$AP Rocky(エイサップ・ロッキー)※から声をかけてもらって、交流が始まったんです。それが2016年の終わりぐらいです。
翌年、2017年は高校卒業の年。LAの高校を卒業して日本に帰国すると決めてました。なぜかと言うと……これ初めて言うんですけど、実はアメリカにいる頃から、日本の週刊コミック誌の編集の人が、俺の担当としてついてくれてたんです。
※A$AP Rocky(エイサップ・ロッキー):ニューヨーク・ハーレム出身のラッパー。アーティスト集団・A$AP Mob(エイサップ・モブ)の中心メンバーであり、数々のファッションブランドの広告塔としても活躍している。
──アメリカにいるのに?
JUN 俺のPixivを見た編集者の人が声をかけてくれて、「よかったらウチで連載目指さないか?」みたいなメッセージをもらいました。「ヤバい!」って思ってすぐ国際電話をかけて、「今はアメリカの高校にいるんですけど卒業したら日本に帰ってマンガ家目指します!」って言ったんです。
ちょうどその頃はストリートカルチャーが大好きだったし、イラストの仕事も見つかりそうな感じだったんですけど、「どうしてもマンガ家になりたい!」って気持ちがすごい高まっちゃって、卒業後の夏に帰国したんです。 それで編集部に挨拶に行って、担当編集の人と「まずは読み切りを描いて賞を目指そう」って話になりました。その年の夏から秋にかけて描いたのが、『OTAKU HERO(オタクヒーロー)』っていう漫画です。
渾身の力作を描いて賞に応募したんですけど、落ちちゃったんですよ。すっごいショックで、落ち込んじゃって……。
──佳作とかも取れなかったんですか?
JUN まったく取れませんでした。「絵はズバ抜けて上手いが、ストーリーのオリジナル性に欠ける」みたいな評価で、「マジかよ」って思いました。そしたら、落選したことがわかってめちゃくちゃショックだった翌日に、A$AP Bari(エイサップ・バリ)※からメッセージがきたんですよ。
「JUN、LAに戻ってこいよ!」って。
落ち込んでいたっていうのもあるし、一度ちゃんとストリートカルチャーにどっぷり浸かってみたい思いもあって、せっかく帰国したのにまた「帰る!」って決めて、金貯めてアメリカに戻りました(笑)。
それが2017年の冬。家族には「日本で漫画家を目指すから」って言って帰ってきたのに、数か月でまたアメリカに行くことになって。はたから見たら逃げにも見えたと思うんですけど、自分としては「俺はこれをバネに成長しないと!」って気持ちでした。
※A$AP Bari(エイサップ・バリ):NIKEとのコラボレーション、パリでのランウェイ開催といった実績を有するストリートウェアデザイナー。A$AP Mobの共同設立メンバーとして知られている。
A$AP Bariから言われた「人生変えてやるよ」
──またアメリカに行くことについて、周りの反応はどうでした?JUN 親には心配かけました。編集部の人には「これからも頑張ろう!」みたいなこと言われてたのに、音信不通でアメリカに行ってしまって申し訳なかったです。
でも、18歳だった当時の自分は「好きなカルチャーにちゃんと触れる時間をつくって自分を満たしてから、その経験を漫画に活かそう」と思ってました。
──LAでの生活に戻ったわけですが、家やお金はどう工面していたんですか?
JUN 超貧乏でした。家も無かったので友達の家に泊めてもらったり。スーツケースに原稿用紙とGペンとコピックをぶち込んで、身一つでアメリカに行ったんですけど、家がないから机もない。だから友達の大学に潜入して、大学の机で絵を描いたりしてました。
幸いにも、親がアメリカでリースしてた車の契約がまだ残ってたので、基本的にはそこで寝泊まりしてました。とはいえアメリカなので、日本と比べたら全然安全じゃない。「日本で漫画家を目指してたほうが絶対良かった」って何度も思いました。
そんなほぼホームレスみたいな状態でいろんなラッパーに会ったり、パーティに行ったりしてたんです。ロックとヒップホップをdigって、パンクロックからアナーキズムに目覚めたりして。 ──イラストを描く一方で、LAで現地のカルチャーにどっぷりとハマっていったんですね。
JUN そしたらある日、A$AP Bariから「家来いよ」って連絡が来ました。当時はストリートカルチャーにどっぷりだったので、ホームレスの俺は「喜んで行きます!」って。
そこで「お前のSNSも見てるし、頑張ってるの知ってるから、VLONEのポップアップを一緒にやろうぜ。人生変えてやるよ」って言われたんです。超かっこよかった。
ポップアップに協力したことでお金もちょっともらえたので、泊めてくれた友達にお金を返しました。それから1年ぐらい経ったときに、日本のtokyovitaminというクルーが個展に誘ってくれたんです。
自分としても、1年でいろんなことを吸収できたからいい絵が描けそうだなと思って、ちょうどそのタイミングで2018年9月に日本に帰国しました。
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