──Tokyo Otaku Modeにアップされている作品はハイレベルなものが多いですね。
亀井 CGMのWebサイト版をオープンしたのは2012年12月の後半ですが、それまでは一部の人しか見られないクローズドでした。投稿する人が少ない状態での公開は、更新頻度が少なくなってしまい、人が見に来なくなるからです。また、「この(高い)レベルの人が投稿しているサイトなんだ」という共通感覚をつくれるようになるまでは公開したくなかったんです。だから、はじめは自分たちでクリエイターさんを積極的に誘っていきました。それは、他の人に投稿して欲しくないわけではなく、このレベルのクリエイターが集まってくるサイトとして認知されれば、見る人はもっと集まり、投稿する人もクオリティをあげるモチベーションに繋がり、良い循環ができるからです。
──僕らがTokyo Otaku Modeで特に面白いなと思っているのは、国内で火がついて海外へ事業展開するのではなく、日本文化を輸入して海外で人気を掴み、その知名度が逆輸入されて次第に国内でも脚光を浴びている点です。Tokyo Otaku Mode Inc.がリリースしているカメラアプリ「Otaku Camera」も海外→国内で人気に火が付くという逆輸入の図式は同じです。 亀井 有名どころではダニー・チューや、日本に来てブログで日本を紹介しているスペイン人とか、日本を紹介する外国人はいるのに、日本のオタクカルチャーを世界に紹介する日本人はなぜかあまりいない。それは言葉の問題が大きいのだけれど──僕もできないんですが(笑)、できる人と一緒にやればいいという発想ですね。国内にはすでに、オタクコンテンツの発信はありふれているから、わざわざ僕らが参入する必要もない。今ようやく、Tokyo Otaku Modeも日本でも多少は知られてきていますが、特に国内でサービスを知ってもらいたいという考えはなかったんです。
また、似たようなケースで小さな事例があると思いますが、ソーシャルメディアの中から生まれたメディアとしては、ここまで支持されてきたものはないと自負しています。やっぱり普通は逆で、本体があって、SNSは施策の一つでしかない。Facebookで調べてみると、「Tokyo Otaku Mode 所属」と書いている人や、「Tokyo Otaku Mode ミュージックアカデミー卒業」、「Tokyo Otaku Mode インドネシアグループに所属」とか、そんなもの存在しないのに勝手にプロフィールに書いてくれている人が大勢いたんですね(笑)。僕たちの手を離れて、ファンの人が盛り上がってくれるというのは、とても嬉しかったし、ブランドとして認められている「Tokyo Otaku Mode」をもっと大切にしないといけないと思いました。「オタク」って、昔の事件や歴史的な文脈のせいで、国内ではどうしてもマイナスのイメージがいまだに強い。でも海外では、日本でいうカタカナ英語としての「OTAKU」になっていて、オタクという言葉がプラスでもマイナスでもなく意味を持っていないフラットな状態だから、積極的に使ってくれるんです。
実は、最初はオタクに限らず、日本文化全体を紹介するメディアにするという構想もありました。でも伝統芸能って普遍的すぎて、新しいものが出てきづらい。一定のレベルを保つけれど、情報更新性が薄い。例えば相撲も、力士の顔ぶれは変わるけど、戦い方はもうこれ以上変わらないですよね。コンテンツだけでなくフォーマットにも情報の流行や更新性がないと海外では通用しない。だから、それに見合うジャンルが、日本文化ではとりわけ、オタクカルチャーと呼ばれるアニメやマンガ、ゲームだった。僕自身も、ずっとオタク一筋だったわけではないけれど、マンガもゲームも好きです。今、日本ではアニメやマンガ、ゲームなどがここまで普及していて、そういうものに一切触れないで育っている人の方が減ってきている。オタクのジャンル自体が広がっていると思っていて、そこにもチャンスはあると考えています。
亀井 はじめから海外を見て、海外から利益を得て、クリエイターに還元するという仕組みを構築するという目的を持って動いています。僕らはコンテンツメーカーでもなんでもない。でもコンテンツがないとビジネスというのは成立しない。今のWebビジネスでは、「プラットフォームが強い」と長らく言われていますが、実際はコンテンツが一番大事です。コンテンツをつくれる人たちをちゃんと守って、利益があがったときに、将来的にお返しできるようにしたいという目的は今後もブラさずにつくっていきたいです。僕らはお金がなかった分、時間をかけてメディアを育てることができたと思います。 ──一方で、コンテンツがフリー化していくという流れはインターネットがここまで普及した社会では必然だという意見もよく聞かれます。特に海外ではそれが顕著な気がしますがいかがでしょうか?
亀井 それは国の経済状況に大きく依存する部分だと考えています。日本も昔はコピーで食べていた人たちが数多くいたはずです。高度経済成長期経済を迎え、教育レベルが上がり所得が増えてくると、違法ビジネスは地下に潜り、地上では正規品ビジネスが展開されるようになり、同時に正規品を正規価格で購入できる所得の人たちが増えていく。近く、中国がそういう状況に直面すると思っていますが、日本はその最たる例で、所得があるから自分の好きなものを買えて、コピー品が排他される状況を生んでいると思っています。
──同時に、そもそも現行の著作権法が、今の情報環境についてこれていないのではないか、という議論もあります。
亀井 日本に関してはそうかもしれないですね。アメリカだと「フェアユース」という概念があったり、何とか時代に対応しようとしているけど、日本はずっと昔の法律に従っているので、齟齬が起きている部分はありますよね。もしそこで改善ができれば、ビジネスモデルも変わるような気がします。日本は教育水準が高いがゆえに、「正規以外は絶対にダメ」と植え付けられていますが、逆に海外ではそこの教育が足りていない場合もある。海外のゲーム会社の方から聞いたんですが、ファンがニコニコしながらコピー品を持ってきてサインをねだるとか(笑)。多分、罪の意識なんてゼロなんです。その問題は僕らでは変えられないけれど、啓蒙はできると思っています。それが、コンテンツの質を高めることにも繋がっていくはずです。
亀井 CGMのWebサイト版をオープンしたのは2012年12月の後半ですが、それまでは一部の人しか見られないクローズドでした。投稿する人が少ない状態での公開は、更新頻度が少なくなってしまい、人が見に来なくなるからです。また、「この(高い)レベルの人が投稿しているサイトなんだ」という共通感覚をつくれるようになるまでは公開したくなかったんです。だから、はじめは自分たちでクリエイターさんを積極的に誘っていきました。それは、他の人に投稿して欲しくないわけではなく、このレベルのクリエイターが集まってくるサイトとして認知されれば、見る人はもっと集まり、投稿する人もクオリティをあげるモチベーションに繋がり、良い循環ができるからです。
──僕らがTokyo Otaku Modeで特に面白いなと思っているのは、国内で火がついて海外へ事業展開するのではなく、日本文化を輸入して海外で人気を掴み、その知名度が逆輸入されて次第に国内でも脚光を浴びている点です。Tokyo Otaku Mode Inc.がリリースしているカメラアプリ「Otaku Camera」も海外→国内で人気に火が付くという逆輸入の図式は同じです。 亀井 有名どころではダニー・チューや、日本に来てブログで日本を紹介しているスペイン人とか、日本を紹介する外国人はいるのに、日本のオタクカルチャーを世界に紹介する日本人はなぜかあまりいない。それは言葉の問題が大きいのだけれど──僕もできないんですが(笑)、できる人と一緒にやればいいという発想ですね。国内にはすでに、オタクコンテンツの発信はありふれているから、わざわざ僕らが参入する必要もない。今ようやく、Tokyo Otaku Modeも日本でも多少は知られてきていますが、特に国内でサービスを知ってもらいたいという考えはなかったんです。
また、似たようなケースで小さな事例があると思いますが、ソーシャルメディアの中から生まれたメディアとしては、ここまで支持されてきたものはないと自負しています。やっぱり普通は逆で、本体があって、SNSは施策の一つでしかない。Facebookで調べてみると、「Tokyo Otaku Mode 所属」と書いている人や、「Tokyo Otaku Mode ミュージックアカデミー卒業」、「Tokyo Otaku Mode インドネシアグループに所属」とか、そんなもの存在しないのに勝手にプロフィールに書いてくれている人が大勢いたんですね(笑)。僕たちの手を離れて、ファンの人が盛り上がってくれるというのは、とても嬉しかったし、ブランドとして認められている「Tokyo Otaku Mode」をもっと大切にしないといけないと思いました。「オタク」って、昔の事件や歴史的な文脈のせいで、国内ではどうしてもマイナスのイメージがいまだに強い。でも海外では、日本でいうカタカナ英語としての「OTAKU」になっていて、オタクという言葉がプラスでもマイナスでもなく意味を持っていないフラットな状態だから、積極的に使ってくれるんです。
実は、最初はオタクに限らず、日本文化全体を紹介するメディアにするという構想もありました。でも伝統芸能って普遍的すぎて、新しいものが出てきづらい。一定のレベルを保つけれど、情報更新性が薄い。例えば相撲も、力士の顔ぶれは変わるけど、戦い方はもうこれ以上変わらないですよね。コンテンツだけでなくフォーマットにも情報の流行や更新性がないと海外では通用しない。だから、それに見合うジャンルが、日本文化ではとりわけ、オタクカルチャーと呼ばれるアニメやマンガ、ゲームだった。僕自身も、ずっとオタク一筋だったわけではないけれど、マンガもゲームも好きです。今、日本ではアニメやマンガ、ゲームなどがここまで普及していて、そういうものに一切触れないで育っている人の方が減ってきている。オタクのジャンル自体が広がっていると思っていて、そこにもチャンスはあると考えています。
コンテンツの捉え方に見る、日本と海外の経済的・文化的地盤の違い
──Facebookページが1000万いいね! を越えるという人気を得たことは、これまで誰もが試みて到達していない偉業です。亀井 はじめから海外を見て、海外から利益を得て、クリエイターに還元するという仕組みを構築するという目的を持って動いています。僕らはコンテンツメーカーでもなんでもない。でもコンテンツがないとビジネスというのは成立しない。今のWebビジネスでは、「プラットフォームが強い」と長らく言われていますが、実際はコンテンツが一番大事です。コンテンツをつくれる人たちをちゃんと守って、利益があがったときに、将来的にお返しできるようにしたいという目的は今後もブラさずにつくっていきたいです。僕らはお金がなかった分、時間をかけてメディアを育てることができたと思います。 ──一方で、コンテンツがフリー化していくという流れはインターネットがここまで普及した社会では必然だという意見もよく聞かれます。特に海外ではそれが顕著な気がしますがいかがでしょうか?
亀井 それは国の経済状況に大きく依存する部分だと考えています。日本も昔はコピーで食べていた人たちが数多くいたはずです。高度経済成長期経済を迎え、教育レベルが上がり所得が増えてくると、違法ビジネスは地下に潜り、地上では正規品ビジネスが展開されるようになり、同時に正規品を正規価格で購入できる所得の人たちが増えていく。近く、中国がそういう状況に直面すると思っていますが、日本はその最たる例で、所得があるから自分の好きなものを買えて、コピー品が排他される状況を生んでいると思っています。
──同時に、そもそも現行の著作権法が、今の情報環境についてこれていないのではないか、という議論もあります。
亀井 日本に関してはそうかもしれないですね。アメリカだと「フェアユース」という概念があったり、何とか時代に対応しようとしているけど、日本はずっと昔の法律に従っているので、齟齬が起きている部分はありますよね。もしそこで改善ができれば、ビジネスモデルも変わるような気がします。日本は教育水準が高いがゆえに、「正規以外は絶対にダメ」と植え付けられていますが、逆に海外ではそこの教育が足りていない場合もある。海外のゲーム会社の方から聞いたんですが、ファンがニコニコしながらコピー品を持ってきてサインをねだるとか(笑)。多分、罪の意識なんてゼロなんです。その問題は僕らでは変えられないけれど、啓蒙はできると思っています。それが、コンテンツの質を高めることにも繋がっていくはずです。
プラットフォームがコンテンツを保証するために
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