芥川賞候補作にもなっている東日本大震災を題材にした小説「美しい顔」が、他作品との類似点を指摘されている問題を受けて、著者の北条裕子さんが初めてコメントを発表した。
『第61回群像新人文学賞』受賞記念で作品を掲載した文芸誌『群像』を発行する講談社の公式サイトにて、7月9日付で公開されている。
冒頭で「参考文献未掲載と、参考文献の扱い方という二点において配慮が足りず、その著者・編者と取材対象者の方々へ不快な思いをさせてしまったことを心からお詫び申し上げます」とし、経緯を説明するとともに後悔の念を滲ませながら、関係者にお詫びする内容となっている(外部リンク)。
作品を巡って「盗作」や「剽窃」とする一部報道や参考にされた側の出版社からの抗議を受けて、強く反論するとともに作品の評価を「広く世に問いたい」と作品全文公開に踏み切った講談社側の声明とは打って変わった内容となっている。
まず、執筆にあたって、参考文献はじめ様々な報道などから大きな示唆を受けたと説明。
その上で「なぜ参考文献を明示しなかったのか?」という点については、関係者の思いや労力に抱いた敬意を表明するために参考文献を載せるつもりではいたが、「この作品がもし新人賞を受賞し、単行本を刊行できるようなことがあれば、その時にそれをすれば良いと思い込んでしまっていたのは私の過失であり甘えでした」と振り返る。
事前に、著者と講談社とのやりとりを含めて時系列に沿った詳細な説明が公開されており、参考文献の存在が雑誌掲載直前に判明したこともあり、出版社として「適切な対応ができず」に掲載へ至った経緯がそちらにも記されている(外部リンク)。
また、被災地を舞台にした作品を執筆する上で、著者は「私は被災地に行ったことは一度もありません」と『第61回群像新人文学賞』受賞記念の「受賞のことば」の中で明言している(外部リンク)。
著者が被災地への取材に一度も行かず、被災地の描写に際してルポルタージュ作品などの具体的記述を参照したことも、当初から批判が集まっていた。
この点についても、被災の様子を記す上で「客観的事実から離れず忠実であるべきだろう、想像の力でもって被災地の嘘になるようなことを書いてはいけないと考え」ての「未熟な判断」だったとしている。
その上で、報道を通して見た震災と、現地で当事者が体験している震災は果たして同じものなのかという違和感、そして大きな喪失体験を前にどう考えればいいかわからない自分が「それをわずかでも理解しようとする試み」として「美しい顔」を執筆するに至った経緯が綴られている。
そして、それであればなおさら、大きな傷の残る被災地の当事者や参考文献の関係者を含めて「他者への想像力と心配りも持たなければなりませんでした」と強い悔悟(かいご)の思いを滲ませている。
類似する記述が発覚する以前、前述の「受賞のことば」が「小説を書くことは罪深いことだと思っています」で始まることからもわかる通り、著者が元々抱いている思いだ。
本作がデビュー作となる著者の判断に誤りがあった点はもちろんだが、これまで新人賞で数多くの作家をデビューさせてきた出版社の審査体制も問われている。
最後に著者は「私の物書きとしての未熟さゆえに、関係者の皆様に多大なご迷惑をおかけしてしまったことを、改めて深くお詫び申し上げます」と締めている。
惨たらしい被災の実態を描くだけではなく、被災者である美少女のサナエに殺到する取材陣とあえてそれに迎合する自身の姿を通して、現実と向き合っていく様が描かれている。
作品は高く評価され、2018年4月には『第61回群像新人文学賞』を受賞して『群像』に掲載され、6月には『第159回芥川龍之介賞』候補作品にもノミネートされた。
しかしその後、いくつかの作品に類似する具体的な記述がいくつも指摘され、その問題が大きく報道されることに。
講談社側は7月3日に声明を公開。事前に報道されていた通り、他文献と類似した記述があった点は認めつつ、「その類似は作品の根幹にかかわるものではなく、著作権法にかかわる盗用や剽窃などには一切あたりません」と主張(外部リンク)。
また、参考文献として明示しなかった過失について謝罪しつつ、「大きな示唆を受けた」とする石井光太さんのルポルタージュ作品『遺体 震災、津波の果てに』の出版社として抗議していた新潮社の声明にも言及。
「「単に参考文献として記載して解決する問題ではない」と、小説という表現形態そのものを否定するかのようなコメントを併記して発表されたことに、著者北条氏は大きな衝撃と深い悲しみを覚え、編集部は強い憤りを抱いております」と、強い姿勢を打ち出した。
同時に、著者の尊厳を守り作品としての評価を広く世に問うため「美しい顔」の全文公開に踏み切る旨を発表。
翌日7月4日には講談社の公式サイトにて全文が公開されると共に(外部リンク)、7月6日に発売された『群像』8月号にも参考文献を明示しなかった点についてお詫び文が掲載された。
芥川賞候補作品がWeb上で無料公開されるという異例の事態を含めて、テレビなどでも大きく取り上げられている。
『第61回群像新人文学賞』受賞記念で作品を掲載した文芸誌『群像』を発行する講談社の公式サイトにて、7月9日付で公開されている。
冒頭で「参考文献未掲載と、参考文献の扱い方という二点において配慮が足りず、その著者・編者と取材対象者の方々へ不快な思いをさせてしまったことを心からお詫び申し上げます」とし、経緯を説明するとともに後悔の念を滲ませながら、関係者にお詫びする内容となっている(外部リンク)。
作品を巡って「盗作」や「剽窃」とする一部報道や参考にされた側の出版社からの抗議を受けて、強く反論するとともに作品の評価を「広く世に問いたい」と作品全文公開に踏み切った講談社側の声明とは打って変わった内容となっている。
未熟な判断 「美しい顔」著者・北条裕子がコメント
北条裕子さんのコメントの趣旨は、要約すると主に2点だ。「なぜ参考文献を明示しなかったのか?」と「なぜ具体的記述を参照したのか?」という、当初から寄せられている指摘に答える形となっている。まず、執筆にあたって、参考文献はじめ様々な報道などから大きな示唆を受けたと説明。
その上で「なぜ参考文献を明示しなかったのか?」という点については、関係者の思いや労力に抱いた敬意を表明するために参考文献を載せるつもりではいたが、「この作品がもし新人賞を受賞し、単行本を刊行できるようなことがあれば、その時にそれをすれば良いと思い込んでしまっていたのは私の過失であり甘えでした」と振り返る。
事前に、著者と講談社とのやりとりを含めて時系列に沿った詳細な説明が公開されており、参考文献の存在が雑誌掲載直前に判明したこともあり、出版社として「適切な対応ができず」に掲載へ至った経緯がそちらにも記されている(外部リンク)。
また、被災地を舞台にした作品を執筆する上で、著者は「私は被災地に行ったことは一度もありません」と『第61回群像新人文学賞』受賞記念の「受賞のことば」の中で明言している(外部リンク)。
著者が被災地への取材に一度も行かず、被災地の描写に際してルポルタージュ作品などの具体的記述を参照したことも、当初から批判が集まっていた。
この点についても、被災の様子を記す上で「客観的事実から離れず忠実であるべきだろう、想像の力でもって被災地の嘘になるようなことを書いてはいけないと考え」ての「未熟な判断」だったとしている。
著者の「未熟な判断」と、問われる出版社の体制
公開されたコメントの中で、「私は自身の目で被災地を見たわけでもなく、実際の被災者に寄り添いこの小説を書いたわけでもありません。そういう私が、フィクションという形で震災をテーマにした小説を世に出したということはそれ自体、罪深いことだと自覚しております」という点が強調されている。その上で、報道を通して見た震災と、現地で当事者が体験している震災は果たして同じものなのかという違和感、そして大きな喪失体験を前にどう考えればいいかわからない自分が「それをわずかでも理解しようとする試み」として「美しい顔」を執筆するに至った経緯が綴られている。
そして、それであればなおさら、大きな傷の残る被災地の当事者や参考文献の関係者を含めて「他者への想像力と心配りも持たなければなりませんでした」と強い悔悟(かいご)の思いを滲ませている。
類似する記述が発覚する以前、前述の「受賞のことば」が「小説を書くことは罪深いことだと思っています」で始まることからもわかる通り、著者が元々抱いている思いだ。
本作がデビュー作となる著者の判断に誤りがあった点はもちろんだが、これまで新人賞で数多くの作家をデビューさせてきた出版社の審査体制も問われている。
最後に著者は「私の物書きとしての未熟さゆえに、関係者の皆様に多大なご迷惑をおかけしてしまったことを、改めて深くお詫び申し上げます」と締めている。
小説「美しい顔」騒動の経緯
小説「美しい顔」は、東日本大震災を舞台に、母親が行方不明になった女子高生・サナエを主人公とした被災者を描いている。惨たらしい被災の実態を描くだけではなく、被災者である美少女のサナエに殺到する取材陣とあえてそれに迎合する自身の姿を通して、現実と向き合っていく様が描かれている。
作品は高く評価され、2018年4月には『第61回群像新人文学賞』を受賞して『群像』に掲載され、6月には『第159回芥川龍之介賞』候補作品にもノミネートされた。
しかしその後、いくつかの作品に類似する具体的な記述がいくつも指摘され、その問題が大きく報道されることに。
講談社側は7月3日に声明を公開。事前に報道されていた通り、他文献と類似した記述があった点は認めつつ、「その類似は作品の根幹にかかわるものではなく、著作権法にかかわる盗用や剽窃などには一切あたりません」と主張(外部リンク)。
また、参考文献として明示しなかった過失について謝罪しつつ、「大きな示唆を受けた」とする石井光太さんのルポルタージュ作品『遺体 震災、津波の果てに』の出版社として抗議していた新潮社の声明にも言及。
「「単に参考文献として記載して解決する問題ではない」と、小説という表現形態そのものを否定するかのようなコメントを併記して発表されたことに、著者北条氏は大きな衝撃と深い悲しみを覚え、編集部は強い憤りを抱いております」と、強い姿勢を打ち出した。
同時に、著者の尊厳を守り作品としての評価を広く世に問うため「美しい顔」の全文公開に踏み切る旨を発表。
翌日7月4日には講談社の公式サイトにて全文が公開されると共に(外部リンク)、7月6日に発売された『群像』8月号にも参考文献を明示しなかった点についてお詫び文が掲載された。
芥川賞候補作品がWeb上で無料公開されるという異例の事態を含めて、テレビなどでも大きく取り上げられている。
不本意な形で芥川賞が注目集める
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2件のコメント
匿名ハッコウくん(ID:2140)
類似部分の読み比べをして、なにか思い出すなと思ったらクラウドソーシングで募集されてる「リライト」と言われる手法に似てるなあ、でした。あちこちにある文章の表現をちょっとだけ変えて「一つの原稿」にする。そういうお仕事をしてこられたんでしょうか。
匿名ハッコウくん(ID:2134)
文学賞は所詮その程度の広告役でしかない。芥川賞も出版側が決める「売りたい本」を選ぶ莫迦な賞ですよ。美しい顔は「全回収」されて無いでしょう?(笑)炎上商法です。文学賞はそういうモノ(笑)文學界新人賞も故人に受賞させて本を売ったりと無頼です。文藝春秋の根腐れは極上品ですな(笑)勿論講談社も新潮社も河出書房新社も狸穴ですわw