「Zeebraさん、兄貴って呼んでいいっすか?」から始まったラッパー人生
──2016年のラップブームに火をつけた「フリースタイルダンジョン」ですが、ZeebraさんとUZIさんは番組の顔です。そもそもZeebraさんとはどういう経緯で出会ったんですか?UZI 同じく慶應で小学校は重なってたんですが、ヒデさん(Zeebra)は中学で退学になってたので会えなかったんです。
ヒデさんは当時、坂倉という名字だったんですが、高校の時に「坂倉さんっていうヤバい先輩がいる」っていうのを噂で聞いてて、なんでも「海外で麻薬の取引をしてビルからビルへ飛び移って逃げてた」とか。本当かどうか知らないですけど、とにかく噂が広まってて「坂倉さんって一体何者なんだよ……?」って。
高校には本当に怖い坂上先輩という人がいて、それが功さん(DJ OASIS)だったんです。ボス格だったから話かけられなかったんですが、いつしか音楽やるって学校を辞めちゃったんですよね。
そこから数年経って、六本木のR?HALLってクラブの1階にあるゲーセンで遊んでたら、その日キングギドラがライブをやってた。そこで、みんなに会ったんですよ。
功さんに声をかけたら、ZeebraとKダブシャインを紹介されて「ライブやるんすか? 俺も出してください!」とか言っちゃったんですよね。「じゃあお前ラップやってみろよ!」ってヒデさんがビートボックスしだして、ラップやったことなかったけど、ヒップホップはアメリカのを聴いてたんで、ア・トライブ・コールド・クエストの「シナリオ」をやったんです。でも、2・3小節しか覚えてなくて、「それじゃあダメだね。人の曲じゃん」「俺たちのライブ観てきなよ」って流れになって。
それまで「日本語ラップはクソだせー」って、英語のラップばかり聴いてたんです。でも、その日のキングギドラのライブを観てやられました。帰りに「Zeebraさん、兄貴って呼んでいいっすか?」って言ったら「おう、いいぞ」ってなって、それが俺とZeebraの兄弟関係の始まり。軽い一言が本当になっちゃった。
当時は携帯もポケベルもなかったから、紙に家電の番号を書いてくれて、すぐにかけたら「ちょうどみんなウチに来てるんだよ、来るか?」って、次の日からZeebraの家に入り浸って、ギドラにラップのいろはを教えてもらって俺のラッパー人生が始まりました。
──そこから現在まで関係がずっと続いているんですね。
UZI 巡りあわせですよね。野暮な話ですが、この出会いがなければ大学を卒業して、ただの会社員かはたまたヤクザになってたかも。初対面で「坂倉さんの噂、聞いてますよ」って言ったら、「お前が許斐か!」ってお互い噂を聞きあってたんです。たぶん会うべくして会ったんじゃないかなと思います。
Zeebraとバトルするということを想像したことがない
──では「フリースタイルダンジョン」には、どのような経緯で参加されたんでしょうか?UZI もちろんZeebraが誘ってくれて決まった話です。俺はずっと「高校生RAP選手権」の審査員に呼ばれないことにブチキレてたんですよ。単純に出たかったから第1回から言ってました(笑)。
MCバトルに関しては、それまでベスト4と準優勝しかしてなくて、絶対に優勝するまでやろうと思ってたのに、ナメちゃって無名ラッパーに3連敗したんです。1人は「ダンジョン」にもチャレンジャーで出たBALA a.k.a. SHIBAKEN。そこから修行しようと思ってバトルを休んでいたら「ダンジョン」がはじまっちゃいました。
──現在のヒップホップブームを牽引している「フリースタイルダンジョン」ですが、ここまで大反響が起こると当初は思われていましたか?
UZI もちろんそうしてやろうと思ってやってきたんだけど、実際に人気に火がつくことを想定してたというより、「なってきてる、なってきてる……」という感じなんです。
──バトルMCの血が騒ぐというか、モンスター側で戦ってみたいと思ったりしますか?
UZI 最初はやりたかったです。絶対、俺にケンカ売ってくるやつとかいて俺もやる機会が来ると思ったけど、なかったですね。もしかしたら最終回とかで俺とZeebraがやるとか、誰かと俺がやるという展開があるかもしれないけど、進行が誰もできなくなっちゃうじゃないですか。
──では、もし仮に誰かと戦えるとしたら誰と対戦したいですか?
UZI 今いるモンスターの中だったら……やっぱ同年代でやった方が話が噛み合っておもしろいと思うから、そういう意味ではZeebraか漢かな。
前に1度だけZeebraと組んで「B BOY PARK」に出たことがあるんです。準決勝でKEN THE 390、ダースレイダー、MASARUのチームに負けちゃったんですけど。俺はKEN THE 390と対戦したんですよ。
ただ、Zeebraとバトルするということを想像したことがなくて、俺たちはずっとサイファーして楽しくラップして回していきたいだけだったので、バトルなんか絶対やらなかった。もし仮にZeebraとバトルするとしても何を言い合うのかな? みたいに思ってしまいますね。
1万5千の部隊を指揮できる「うぇいよー!」
──UZIさんといえば、「うぇいよー!」の掛け声が代名詞にもなっていますが、どのように生まれたワードなんですか?UZI 元々は「うぇい」だけで、乾杯の挨拶だったんです。テキーラ飲んでるときに「うぇーい」ってやってたんですけど、徐々にバカの代名詞、ギャル男の代名詞になってきちゃったのと、きゃりーぱみゅぱみゅが「PONPONうぇいうぇいうぇい」ってやりだしちゃったんで「うぇい」をやめようってなった時に「うぇいよー!」って感じで「よー」が自然と付いたんですよね。
──UZIさんはバーも経営されているそうですが、乾杯の挨拶ということはやはりそこで生まれたんでしょうか?
UZI いえ「うぇいよー!」は、その前にトンカツ屋で修行してた頃です。音楽マジ食えないけど、生活しなければいけないし、仕事しながらラップやってて。それが普通だと思うけど、ラップだけで食えるようにもしたいし。それが徐々にそうなってきて、結構ラッパーの仕事は増えました。
──UZIさんのその「良い声」は生まれ持ったものなんでしょうか?
UZI これは血筋ですね。体格もあるし、先祖が武家とか軍人なので。良い武将って声がデカいとか人を惹きつける声だったり、演説がうまかったり、必ず通る声だったりしたんですよ。
マイク使わずに「うぇいよー!」ってやると、お客さんがナイスうぇいよー! を返してくれるんで、よくやるんだけど、Zeebraの武道館ライブに出た時、3階席の奥まで届いたんです。だから1万5千の部隊なら指揮できますよ(笑)。
──格闘技のリングアナウンサーもやられているんですよね?
UZI Zeebraの事務所の社長がK-1の石井和義館長と知り合いで、俺が30歳の頃に「こいつマジ声いいし、声デカいし使ってやってください」って紹介してもらって。まずK-1の中量級、MAXですね。魔裟斗とか山本“KID”徳郁とか須藤元気がいた階級を6年やって。
K-1が終わってからもキックボクシングのジムをやってる元ムエタイ世界チャンピオンの先輩に誘われたり、他の団体からも声をかけられて、今は6団体専属でやらせていただいてます。
リングアナを12年やってきて、格闘技界にも恩返しがしたいから「ダンジョン」にもリングアナの格好で出ています。格闘技の選手をコールするようにラッパーを呼び込む。「T-pablow〜!」ってコールするときも「桜庭和志〜!」の時みたいにしてるんです。
「フリースタイルダンジョン」裏話 R-指定にも教えた最強の漢方薬
──のどのケアで何か特別なことをされてますか?UZI ずっと何にもしてなかったんですがナレーションの仕事を始めてからは、ケアしてます。ナレーションは一生残るし、最高の声を常に出したいんです。 ケアグッズは常に持ち歩いてるんですが、「響声破笛丸」(きょうせいはてきがん)という漢方があって、これを飲んだら絶対にどんな状態ののどでも20分くらいは使い物になるんですね。これは「ダンジョン」の裏話なんですけど、R-指定が声出なくなっちゃった回のGADORO戦ですね。あの試合ができたのは、俺がこの「響声破笛丸」を渡して飲ませたからかなと思っています。
──すごい……最強の漢方薬なんですね。
UZI 「ヤバくなったらこれ使え!」ってモンスター全員に教えました。
20年ぶりの「さんピンCAMP」 ヒップホップは成熟した
──2016年は20年ぶりに「さんピンCAMP」が行われました。UZIさんは1996年も2016年も両方出演している数少ないラッパーの1人ですよね。UZI 両方出てるのは俺と、あとBUDDHA BRANDとRINOがDJ NOBUの時間に1曲だけ参加しましたね。キングギドラだったりRHYMESTERだったり出れる人間はたくさんいたと思いますが、新しい世代でやりたいとかもあると思うんだけど、俺はFLY BOY RECORDSの時間に呼んでもらえたんで、ぶち破ってやろうと思って初っ端から突っ込んでった。
──当時と2016年で何か変化は感じられましたか?
UZI やはりヒップホップは成熟しました。日本には定着しないと言われ続けてるけど、文化は確実に築かれているわけで。
20年前は全員が手探りだったし、お客さんも今までにないものを求めてた。だから、自分たちで創りあげていくという感覚がありました。90年代の熱狂って温度が高かったんです。みんな若かったし、俺たちのライブ会場にはものすごい「気の柱」が立ってたと思います。
今はネットも普及してどこでもなんでも手に入るようになった分、温度は低いけど、間口は広がった気はします。内容がないラップも受け入れられるようになったし。当時のラップって深くて熱くて文学的だったんですよ。
──当時の空気というのが確実にあったんですね。
UZI 俺も意味のないことをラップで言っちゃいけないと思ってましたし、ラップで伝えたいことって何だろうってずっと考えてた。真面目だったんですよね。そのくせ、どうやったらヒップホップがもっと世の中に広がるかとか、自分らの仕事として確立するためにはどうしたらいいかってことにあまり神経を注がなかった。その結果、当時から今までラップだけで食えてる人が少ないんですよね。
「俺たちが時代をつくっていく!」みたいな気持ちだったし、いきがってた。でも、毎日自分たちが楽しむことを優先してしまってた。ヒップホップのために何かができてたら、もっと違う状況になってたかもしれないですね。そこは自分たちのいけない部分でもあるし功績でもあるんだと思います。
──その当時できなかった「ヒップホップを普及させたい」という気持ちを、今改めて「フリースタイルダンジョン」に込めている?
UZI ラッキーなことにブームがもう1回来てくれて、普通はこんなことあんまりないと思うんです。いろいろ経験してきたからこそ、かつてよりはもう少しうまく乗りこなせそうです。
──ラッパー/司会業(リングアナ、ナレーター)/ゲーマーと、ある意味「3つの顔」をお持ちのUZIさんですが、ご自身の「本業」は何だと考えていますか?
UZI 一時はリングアナの収入の方が上回った時期もありましたが、やはりラッパーですね! うぇいよー!
この記事どう思う?
関連リンク
UZI
ラッパー
1996年、アンダーグラウンド・ヒップホップの名コンピレーションアルバム『悪名』の第2弾『続・悪名』に"マグマ沸騰 feat. ZEEBRA"で参加しデビュー。UBG結成からのメンバーとして活躍。強烈な破壊力のあるラップとパンチ力で圧倒的な存在感を見せるMC。
九州は宗像の武士の末裔(自身は東京出身)として侍魂を持つオリジナルなリリック観と、深く練り込み、かつ選び抜かれた言葉が突き刺さるラップは、一度聴いたら脳裏に焼きつく程の主張が込められている。また、得意のフリースタイルとその印象深いキャラクターで、リスナー/アーティストを問わず愛されており、シーンに欠かすことの出来ない起爆剤となっている。
「e-Sports」を推進する会社「PSYMIN」とプロ契約し、サッカーゲーム「ウイニング・イレブン」の大会にプロゲーマーとして参加するなど各方面で活躍。
その後、パンチ力のある美声を活かし、数々のリングアナ、ナレーション、司会などを務め、活躍の場を広げる。
2015年9月末からは、テレビ朝日『フリースタイルダンジョン』の司会/ナレーションを担当し、Zeebraとともに同番組の顔として、日本のHIP HOPシーンの啓蒙に努めている。
0件のコメント