「うぇいよー!」UZIインタビュー 3つの顔を持つラッパーの正体

「e-Sports」っていうのは俺のためにある言葉だと思ってた

──現在は日本でも「e-Sports」としてお金を稼ぐプロゲーマーが現れはじめていますよね。UZIさんはプロゲーマーとしてe-Sportsにも深く関わられていたとか。

UZI 「e-Sports」っていうのは俺のためにある言葉だと思ってた。俺はゲームIDが「e-boy」だったんです。ゲーセンでゲームやってる俺は秋葉原のAボーイ、やってない時の俺はBボーイ。爆破地点のAポイントとBポイントを行ったり来たりするe-Sportsではエレクトロニックのe-boy。

大会に解説者として出たり、e-Sports協会のデモンストレーターや学会のフォーラムに出向いてDJ OASISと車のゲームをやったりとか。e-Sports人口が1人でも増えたらいいなと思ってました。

でも、やってるうちに「(e-Sportsの)何がいけないか」がわかってきたんです。当時の日本のゲーム会社はゲームをリリースしたら終わりなんですよね。売る前とか、発売してすぐは大会を開くんですが、半年とか1年やり込ませて本当に最強のやつらで戦わせるっていうのがそのゲームの真骨頂だと思うんです。日本にはその風習がなかった。でも海外はやり込ませてから大会開いたり、ゲームを売ったあとに盛り上げる努力をするんです。

──海外に比べるとe-Sportsは普及していないのが現状なんですかね。

UZI それでもすごい前進してるんです。33、4歳くらいで本気でゲームするのを辞めて、PCゲームからも離れてたんですが、最近になってe-Sportsが流行ってきて。

もうすでに「フリースタイルダンジョン」もはじまってましたが、「RAGE」っていう国内最大のe-Sports大会のMCを依頼されたり、その2016年の主題歌を般若とかAK‐69とかSIMONがやってたり社長がすごいヒップホップ好きなんです。

「Twitch」っていう海外最大のゲーム実況の配信サイトがあるんだけど、「東京ゲームショウ」のTwitchブースでMCもさせてもらった。そこで見てても、やっぱり本当に盛り上がってるし、確実に人口は増えてます。

12年前、インターネットは当たり前だったけど、オンラインゲームはまだ当たり前じゃなかった。今はスマホもネットゲームも普及して、e-Sports人口も爆発的に増えてます。代わりにゲーム機とかゲーセンの売上は落ちてきちゃってるんだけど。

関係者の努力もあって、日本でも大会が増えました。大会に出るとか、それを見るとか配信するとか、出れないけど家で視聴するという事が当たり前になって、やっと機が熟した感じで。日本は遅れてるかもしれないけど、世界に肩をならべられるe-Sports大国になり得る条件は揃ってきてます

──これから爆発的に普及させるための起爆剤があるとすれば?

UZI やっぱり「全員がやるゲーム」が1つでも登場すれば変わりますよ。今のヒップホップと一緒で、どデカいヒットが出たら絶対に変わるんだけど、ヒット曲だけ出てないような状況。これからなんですよね。あと世界的に揺るぎないチャンピオンが日本から君臨できたら状況を打破できると思います。

アルバム『No.9』ジャケット

──歴史漫画で知られる平田弘史先生のイラストをアルバムジャケットに起用されてますよね。歴史シミュレーション系のゲームもお好きですか?

UZI 「信長の野望」も「三国志」も兄貴の影響で初代コンピューター版からずっとプレイしてます。小学生当時はあまり意味がわかってなかったですけど。

──やはり許斐氏の末裔というバックボーンは歴史好きにも影響があったんでしょうか?

UZI 直接の影響はないけど、無意識下では血が騒いだんじゃないかな。おじいちゃん(許斐氏利)は軍人だし、親戚に軍事マニアがいるし。歴史好きになったのは横山光輝の漫画『三国志』を読んでからです。さらに言うと俺の人生のバイブルは『蒼天航路』っていう、正史を原作にした初の三国志漫画ですからね。

祖父・許斐氏利がアフリカでハントしてきたキリンの剥製

──祖父である許斐氏利さんのお名前も出たんですが、とんでもないビッグな方なんですよね?

UZI 俺が8歳の時に亡くなったので、あまり覚えてないんですが、おじいさんが朝食と昼食兼で100gのヒレステーキを食べてたんですよね。

幼少期の俺はヒザに乗っけられて、おじいさんが口で噛んでやわらかくしたステーキをもらって食べてたらしいんです。だからこんな体が大きくなっちゃった。あと、サウナを日本に持ってきたのはうちのおじいさんだって聞いてます

──祖父の許斐氏利さんは「ソープランドの創設者である」と、WikipediaのUZIさんのページにはありましたが。

UZI それがまた嘘なんですよ。説明すると、まずおじいさんは軍隊あがりで射撃の技術がすごく高くて、メルボルンオリンピックにクレー射撃の選手として出場したんですね。

その選手村でフィンランドの選手がサウナに入ってたらしく、これは良いぞということで日本に持ってきたんですけど、それはかまくらみたいな半円形に入って、顔から上だけ出すっていうスチームサウナだったらしいです。

のちに乾式のサウナの事業も始めたんですが、女性がアカスリとかマッサージをするサービスもやったんですね。風呂で女性がサービスをするという営業形態は日本初で、理由はわからないんですが、その人たちを「ミストルコ」と名付けた。だから「トルコ風呂」(ソープランド)の発祥と言われているだけで、性的なサービスはないし、ソープランドの創始者でもないんです

──自宅の螺旋階段にキリンの剥製が置いてあったという噂も……。

UZI 自宅ではなく祖父の家の応接室に剥製はたくさん置いてました。2階から3階にあがる階段があって、その真ん中にキリンの首が。あとは角の長いガゼルみたいな動物が走ってる形で壁にかかってたり、ハイエナみたいな動物の首があったり、ダチョウもいたし。もいたかな?

全部おじいさんがアフリカとかでハントしてきたんです。当時はワシントン条約もないから全部持って帰って。バブルがはじけて家を立て壊した時になくなりましたけど。

──ものすごいエピソードですね。ちなみに漫画『テニスの王子様』の作者である許斐剛先生もご親戚ということなんですが、面識はあるんですか?

UZI それが会ったことないんですよ。先生の親御さんとは会うんですが。ご多忙なんだと思います。

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UZI

ラッパー

1996年、アンダーグラウンド・ヒップホップの名コンピレーションアルバム『悪名』の第2弾『続・悪名』に"マグマ沸騰 feat. ZEEBRA"で参加しデビュー。UBG結成からのメンバーとして活躍。強烈な破壊力のあるラップとパンチ力で圧倒的な存在感を見せるMC。

九州は宗像の武士の末裔(自身は東京出身)として侍魂を持つオリジナルなリリック観と、深く練り込み、かつ選び抜かれた言葉が突き刺さるラップは、一度聴いたら脳裏に焼きつく程の主張が込められている。また、得意のフリースタイルとその印象深いキャラクターで、リスナー/アーティストを問わず愛されており、シーンに欠かすことの出来ない起爆剤となっている。

「e-Sports」を推進する会社「PSYMIN」とプロ契約し、サッカーゲーム「ウイニング・イレブン」の大会にプロゲーマーとして参加するなど各方面で活躍。

その後、パンチ力のある美声を活かし、数々のリングアナ、ナレーション、司会などを務め、活躍の場を広げる。

2015年9月末からは、テレビ朝日『フリースタイルダンジョン』の司会/ナレーションを担当し、Zeebraとともに同番組の顔として、日本のHIP HOPシーンの啓蒙に努めている。

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