1980 サブカルチャーの中のガンダム
今、思えば、日々に雑多なことを、旺盛に取り込んでいたことに驚きます。アニメへの知識欲はたった1年でどんどんマニアックな方面に移行していきました。その時に放送されているものへの興味よりも『レインボー戦隊ロビン』や『海のトリトン』といった名作の上映会をめぐることに楽しさを覚えるようになってきたんです。それだけに、年明けに創刊されたまんが専門誌『ぱふ』には、情報量の濃さに大満足させられ、定期購読するようになります。また、妹が購読していた『なかよし』をきっかけに、少女まんがも熱心に読み始めていました。OUTやランンデヴーの記事で「耽美」(今でいう「BL」)と呼ばれるジャンルがあることも知ったし、『ポーの一族』も立ち読みしました。『ぱふ』の購読をきっかけに、さらにまんがへの関心が強まっていくわけです。大島弓子や竹宮惠子といった有名まんが家の作品は、読まなければならない義務だと思っていたくらいですから。
並行して、学校では音楽好きの友達とも交友が広がっていました。友達から勧められてアリスや松山千春も覚えたし、そうなれば、かぐや姫やビートルズもたしなむようになります。当時はレコードの貸し借りが、音楽鑑賞の全てでした。購入したのはビートルズの『リボルバー』一枚のみ。だって、アニメやまんがに忙しくて、音楽にまでこづかいが回らないんですよ。ただ、テレビのバラエティ番組「カックラキン大放送」ではじめて見たバンド、サザンオールスターズのかっこよさは別格でした。勇んでシングル『勝手にシンドバッド』を買いに走りました。
サザンオールスターズは、6月25日にデビューシングル「勝手にシンドバッド」をリリース。8月末には「ザ・ベストテン」のスポットライトのコーナーでフィーチャーされ、瞬く間に人気バンドになった
中学時代の音楽趣味なんてものは、週単位でころっと変わっちゃうものなんですね。現在思い起こせば、おそろしい情報の刷新スピードだと思うのですが、たぶん79年の年末頃には、フォークソングはもう卒業だな! これからはロックだな! くらいに思っていましたよ。それから、当時のファッションカルチャーへの目配せもしてました。その年に創刊された『ホットドッグ・プレス』で西海岸の音楽だの、サーファーファッションだの、アイビーだの、プレッピーだのの情報にも目を通しました。田舎の中学二年生なので、お金もなければ、そもそもしゃれた洋服を売っているお店もなかったのです。アニメの情報を集めるのと同様に、とにかく、「知らぬが恥」だと思っていたんですね。
3月6日には『サイボーグ009』が放映開始。金田伊功によるオープニング映像と主題歌のかっこよさには満足したものの、原作主義者だった当時の自分には思い入れが薄かった
そして、中3に進級した春のこと。『機動戦士ガンダム』が放送開始されます。クラスが変われば疎遠になる、というのが中学時代の交友関係です。アニメファンの友人と会うこともなくなってはいましたが、アニメ好きのお姉ちゃんが太鼓判を押した、あの「傑作であるはず」の新作アニメです。『無敵超人ザンボット3』の人間ドラマ。『無敵鋼人ダイターン3』最終回のオシャレさ。『宇宙戦艦ヤマト』への熱が冷めてきた自分にとって、富野喜幸(現在は富野由悠季)監督は「アニメをサブカルチャーの域まで連れていってくれるキーパーソン」の一人でした。期待しないわけにはいきません。放送当日、準備万端でテレビの前に陣取り、テープレコーダーをセット(ビデオのなかった当時は、音声を録音するのです)しつつ第1話「ガンダム大地に立つ」を迎えるのです。
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Takayoshi Saito
構成作家/インタビュアー。テレビ、ラジオ、イベントの企画、構成。BMSKコンサルティングの研究員としてブランディングコンサルタントと、その一貫でアートディレクションも生業にしています。その他ゲームの企画、シナリオ、キャラクター研究家。京都精華大学、非常勤講師。オタクの学校@模型塾、講師。アクトオンTV「つくろうプラモNAVI」ナビゲーター。
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