中野ブロードウェイ
なかのぶろーどうぇい
中野ブロードウェイ(正式総称コープ・ブロードウェイ・センター)は、東京都中野区中野五丁目にある複合ビル。低層階はショッピングセンター、中・高層階は集合住宅となっている。
概要
中野ブロードウェイを表すフレーズとして、「サブカルチャーの聖地」という言い回しが世間でよく言われる。ただし、元々はブロードウェイとサブカルチャー・オタク文化とはなんの関係もない。両者が結実したのは、以下のとおり、タイミングのなせる妙である。
中野ブロードウェイの建っている場所は、建設前は家屋が大半でその中に小さな商店が点在している、比較的落ち着いた場所だった。
そして建設の目的は前述の通り、
中野駅前から続く当時の美観商店街(現サンモール)を昭和通り(現早稲田通り)まで延長することで、既存の業種を量的に拡大するという意味での一大商圏を作ることを見込んでいた。
実際にオープン当時に開業したのは食品、服飾、雑貨、食堂、理美容室、町医者、宝飾、書店、占い業等の、いわば商店街がそのままビルに入ったような小売・サービス業の個人営業の店が大半だった。なお、「広い道」を貫き通すという建設当初の目論見は、現ダイソー中野早稲田通り店である当時の宮田家具の立地買収に失敗したため外れる結果となった。
1980年代中頃から1990年代にかけて、区分所有者兼経営者の高齢化、新宿、池袋、吉祥寺をはじめとする近隣商圏の著しい発達、中野へのチェーン店の台頭といった環境的要因や、少子高齢化といった人的要因で、相対的にブロードウェイは集客力を失った。その結果、たち行かなくなった店を閉める経営者が増えた。店を続ける高齢の商店主たちも効果的な対策を打ち出せず、集客力が弱いところに新規に出店しようというテナントも現れず、なお一層集客力が落ちるという状況が続く、完全な負のスパイラルに陥っていた。一時は、平日なのにシャッターが目立ち、夕方のかき入れ時なのに人が歩いていないという状態となった。
このタイミングを逆に商機ととらえ、空き店舗に積極出店し、開館当時の商店街ライクな雰囲気をサブカルチャーの殿堂と評される雰囲気に塗り替え、より高い発展を遂げることに成功したのが「まんだらけ」である。
元々、中野ブロードウェイのあるJR中央線沿線は、中央線文化の名前があるとおり、アニメ制作会社や大学、学校、若者といったマニア向け商品の顧客層が多い土地柄で、例えば中野はお笑いを中心とした芸人、高円寺はミュージシャンが多く住むと言われ、住人層や街の雰囲気は、「サブカルの殿堂化」する前から、オタク・サブカル文化とは親和性が高かった。
まんだらけの台頭、サブカル/ポップカルチャーの聖地化
1980年、古漫画専門店「まんだらけ」が開業する。
漫画古書専門ということで、当時としては珍しい業態だったまんだらけは、商材を古漫画一本から、原作者のサインや漫画のグッズといった漫画周辺商材、セル画などのアニメなど漫画と親和性のある商材、ひいては昔のホーロー看板やレトロなミニカー、景品類、ドール等のサブカルチャー全般にまで拡大したことで売り上げを伸ばし、1987年には株式会社化、徐々に店舗を拡大していった。2階の細切れスペースから3階の突き当たりの区画へと賃貸で移転し、3階のメインストリートに接する区画を購入してからは、横へ飛び地へと縦横無尽に拡大を続けた。
その後1990年代から始まった不況下で先述の理由から空き店舗が増えると、まんだらけに集まる客を狙ったマニア向け専門店が次々に開業、そのうちに「サブカルチャーの聖地」と呼ばれるほどになっていた。2012年現在では国内のみならず国外からも客を集めて賑わっている。
この変化により客層やフロア内の雰囲気も一変したため、治安の悪化、トラブルの発生を危惧する声もあった。
しかし、世のオタク・サブカルブームに乗ったことで、それ狙いの中野外の人間の呼び込みのみならず、一時は離れたはずの地元民をも再度呼び込むことに成功し、新たなテナントも続々入居したことで中野ブロードウェイ全体の商業活性化に繋がったとの意見もある。
現在では、階ごとに見れば偏りはあるものの、全館的には、開業時の業態を引き継ぐ商店街ライクな店舗とサブカルを取り扱う店舗とが、どちらに偏るともなく混在、共生している。
また、現代美術家の村上隆さん率いるアートカンパニー・カイカイキキがキュレーション、運営を行うギャラリーなど、美術関連の店舗も多い。
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