仲間がいるトガシと、独りで生きる小宮
小宮との真剣勝負で初めて全力疾走し、勝利を収めたトガシは、本気の高揚と競争の興奮を体感します。一方、敗北の恐怖も知ってしまう。
これまで才能に頼り生きてきた彼は、陸上以外で人と関わる術を学んでおらず、勝たなければ自分に価値はないと信じ込み、勝利への強迫観念に駆られるようになります。
中学時代は全国大会3連覇の偉業を成し遂げたものの、喝采を浴びても心は休まらない。自分の才能は枯れはじめていると考えたトガシが、強豪校の重圧を嫌い、地元の高校へ進学したところから新エピソードがはじまります。
この高校生編は、伸び悩みを感じるトガシが、暴力事件をきっかけに廃部危機に陥る陸上部の再興のため奔走するエピソードです。暴力事件と廃部騒動は、学生スポーツ漫画の定番中の定番ですね。
無敗記録の継続を期待する周囲の目から逃れるため、陸上から離れようとするトガシが、周囲からバカにされても陸上が好きで続けている、正反対な生き方をする先輩・浅草葵と出会い変わっていきます。
陰湿な敵役(アメフト部)や落ちぶれた陸上部の部長も登場し、まさに“友情、努力、勝利”な展開。走る理由を失いかけていたトガシが、仲間と走ることで陸上の楽しさを再認識する青春群像劇です。
最後には、高校陸上界に彗星のごとく現れた小宮が再登場。全国大会決勝の舞台で小学生以来の対決に挑むトガシと小宮。
勝負は仲間の声援を受けるトガシを、孤高に生きてきた小宮が突き放す結果に終わります。トガシの無敗記録はここで途絶え、物語は一気に10年後へ飛ぶのです。
ギリギリプロのトガシと、日本有数の選手になった小宮
10年後──25歳になったトガシは、とある企業と契約する陸上選手になっています。しかし実情は契約更新も危うい、ギリギリのプロです。
対する小宮は、世界でも活躍する日本有数の選手に成長。残酷なまでに2人の差は開き、扱いも対照的です。
そんな社会人編で描かれたのは、戦う者の孤独でした。
学生から社会人にステージが変わったことで、勝敗が人生を左右するプロスポーツのシビアな面が強調されています。周りは全員ライバルで、最終的に頼れるのは己だけ。
この厳しい世界でトガシは、小宮に負けて以降、緩やかな右肩下がりの現状をなんとか維持しようと、いつしか挑戦を止めてしまっています。
過去の人の烙印を押され、若手には軽視されている。高校時代のように、苦楽を共にできる仲間もいない。楽しいことなんて一つもない。
それでも、“なぜ走るのか”?
はたと湧いた疑問の答えを求めて、過去を反芻し、自問自答を繰り返す。突然の怪我に泣き、所属企業との契約も打ち切られる。いよいよ走れなくなるかもしれない瀬戸際で、もがき抜いて一つの結論を導き出し、25歳にして初めて迷いなく走ることができるようになります。
最終話ではトガシと小宮の三度の勝負が実現。白熱する2人の勝負は極上の10秒。全読者を震わせる、秀逸なラストになっています。
相対するアマチュアリズム/プロフェッショナリズム
『ひゃくえむ。』では、アマチュアリズムとプロフェッショナリズム、スポーツの2つの本質が描かれました。
目に見えない結束や達成感を肯定するアマチュアリズムがテーマの高校生編と、勝つことが第一のプロフェッショナリズムがテーマの社会人編を大胆に切り替えることで、相反するスポーツの本質を活写しています。
同時に、走ることを楽しむ感情と勝つためにこそ走るという動機、どちらか一方に偏ることを是とせず、両者が不可分であることも様々な登場人物たちの言動で表現しています。
常に周りを気にしてきたトガシと、自分の世界に生きてきた小宮のキャラクターも真逆です。すべての描写に絶対がなく、読者次第でいかようにも受け止められます。
余剰を廃し、徹底して1コマ1コマに意味を込め続けるストイックな魚豊さんの作風も相まって、全編に強いメッセージ性が凝縮されていました。
そのため一気読みがオススメ! 未読の方は、まさに100m走の如く駆け抜けるように読んでみてください。ガチに生きるトガシたちの人生に、ガツンと食らうはずです。
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連載
テーマは「漫画を通して社会を知る」。 国内外の情勢、突発的なバズ、アニメ化・ドラマ化、周年記念……。 年間で数百タイトルの漫画を読む筆者が、時事とリンクする作品を新作・旧作問わず取り上げ、"いま読むべき漫画"や"いま改めて読むと面白い漫画"を紹介します。
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