『シン・仮面ライダー』は庵野秀明の何パーセントなのか
これはもっと後で話したかったけど、そもそも『シン・ゴジラ』と『シン・エヴァンゲリオン』の2つと、直近の『シン・ウルトラマン』と『シン・仮面ライダー』は同じ「シン・」シリーズとされているけど、制作手法が全然違うんです。スタッフとかも含めて。
簡単に言うと、新しい作品であればあるほど、作品における庵野秀明の個人性、スタンドプレーが強まっている。
そうですね。スタッフロールでも、名前が入るところがどんどん多くなっていってるような感じはありますからね。
それこそ映像制作、クリエイティブの役割だけじゃなくて、マーケティングサイドの仕事である宣伝統括すら、庵野が自らやっていて。
高い業界評価と“天才”というパブリックイメージを得て、どんどん庵野が一人で、何でもやるようになってしまっている。それが『シン・仮面ライダー』のような帰結を生んでいるなと僕は思っております。
『シン・仮面ライダー』に話をすると、シナリオが良くなかったから、全てが破綻したと思ってるんですけど、脚本さえ良ければ、ここまで批判が巻き起こることはなかったのかなとは思いますね。
クレジットを見るわけじゃないですか。脚本って書いてあるのが庵野秀明なんですよ(脚本協力に漫画家の山田胡瓜さんの名前もありますが)。
今作でいうと、たしかに作劇としては下手だった、もっと良くなるはずと言わざるを得ない。
でも、『シン・ゴジラ』の脚本も庵野秀明だったよ。
もちろんそうなんですけど──例えば、庵野と編集者的な人物、例えばプロデューサーがもっとタッグを組んで、「いや、これちょっと良くないんじゃないの?」って提案したり、時にはNOをいえる人間がいたら、もっと絶対変わってるはずなんです。
そうですね、わかる。『シン・ゴジラ』をつくっているときは、もっと利害関係のある人や、庵野さんより偉い立場の人から「こういう風にしてください」っていうオーダーがあったと思う。
もともとのストーリーとして、東日本大震災を題材にって、誰が考えたかわからないけど、「こういう展開で、日本を元気にするような作品をつくってください」っていうオファーだったんだろうなっていうのは、すごいわかる。
NHKのドキュメンタリーでも感じることだけど、庵野さんが権力を持ちすぎてしまったがために、成功しすぎてしまったがために、そうなってしまったんじゃないかという邪推はできますね。
ゴジラを震災のメタファーと捉えて、一致団結して乗り越えるっていうのはすごいわかりやすくて、国家的な課題でもあったし、それが商業的にも成功して、実際に作品としても面白かった。逆に言うと『シン・ウルトラマン』と『シン・仮面ライダー』は、そういう多くの人に拓かれたテーマ性を見出すのは難しいですね。
もちろん『シン・仮面ライダー』にもテーマはあるよ。
それを伝えるのが下手だったんだけど──じゃあ庵野はあの脚本で、そもそも何を伝えたかったのかっていうところを整理しよう!
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連載
その時々のエンタメ業界に現れた覇権コンテンツについて編集部が議論する連載。コンテンツ自体はもちろん、そのコンテンツが出てきた背景や同時代性、消費のされかたにも目を向け、ネタバレ全開で思ったことをぶつけ合っていきます。
2件のコメント
匿名ハッコウくん(ID:8229)
全然ダメでしょ。
結局、自分が見たいものじゃなかったという話しかしていない。
というか、ほぼ同じ意見の人どうしで話をするなら一人でいい。
同じ意見だから、互いの意見にツッコミも入らない。
座談としても、つまらない、できが悪い。
シン仮面ライダーという作品が、何をどう描こうとし、具体的にどう描かれているかという話がまるで不十分。オーグを倒す度に、本郷が彼らに黙祷を捧げることの意味や、単なる組織の殺人マニアかのように見えるクモオーグの人間性をKKオーグが語ること。母を持たないルリ子が母を失ったことで苦悶するイチローと同じ写真の中に居たかったというSF的な設定とシナリオの高度な連携。
冒頭コミュ障だと言われる本郷が、ルリ子の本心を察することで描かれる繊細さ等々、そうした丁寧な表現の積み重ねの上で世界の平和や人々を守るのではなく、むしろ守られなかった、傷つき排除された存在を救う物語が描かれる。そこにはライダーも含まれる為に最後の的はライダー0号を名乗るわけでしょう。
本郷の姿を見守るケイの存在にも言及がないし。
特撮映画だからといって、一般の映画評論についてなされるような最低限のシナリオの分析と評価はされたうえで、座談のようなことはされるべきだよ。
折角、賛否両論ある映画の座談をやろうというのなら、双方相当の理解があった上で、真っ向意見をぶつけられるようなやり方をすべきでしょ。
匿名ハッコウくん(ID:7455)
面白い記事でした
確かに特撮を復活させる!みたいな作品ではなかったと思います
シン・ウルトラマンとシン・仮面ライダーは、どちらかと言うと昭和特撮を復活させる!昭和特撮の良いところを知って欲しい!みたいな思惑の方が強いんじゃないかなと思ってます
洗練され常に新しい試みが続いてるウルトラと仮面ライダーシリーズは、蓄積していく中で削られていったものが確実にあります
そこに再度スポットライトを当てようとしていたような感じがするのです
古臭いよね、ダサいよね、そう思えるようなところにこそ
そこがいいんだよかっこいいんだよと本気で庵野秀明は思っている
シン・仮面ライダーが深く刺さった自分の戯言かもしれませんが笑