「しあわせ学級崩壊」では普段、脚本・音楽・演出を担当する僻みひなた(@cultcult_kwkm)によるEDMをベースに、俳優たちが台本を読み上げる「四つ打ち演劇」「ライブ演劇」と題した形式で作品を発表している。
普段は上記のようにEDMを用いることが多い「しあわせ学級崩壊」だが、4月から6月にかけて上演された公演「リーディング短編集#1」(外部リンク)では、テンポを落とした静かな音楽を使用。
さらに、上演の場を劇場やライブハウスから、音響設備にバーが併設されたオルタナティブスペースに移すことで、音楽と演劇の新たな組み合わせを模索している。
「リーディング短編集#1」ではさらに、僻みひなた以外の脚本を使用して上演。
劇団を2つに分け、Aチームでは、太宰治や夢野久作のような近代文学作家の作品を再構成。Bチームでは、現在活躍中の劇作家に音楽からイメージした短編を提供してもらっている。
Bチームの1作品目である『架空の生活』は、「しあわせ学級崩壊」とも交流が深い劇団「日本のラジオ」(外部リンク)代表の屋代秀樹(@hidekiyashiro)さんが執筆。「しあわせ学級崩壊」団員の村山新が演じている。
今回は、「しあわせ学級崩壊」から屋代さんに、リーディング短編集に脚本を提供し、実際に作品をみて、何を思ったのかをうかがった。『架空の生活』作品あらすじ
わたしが死んでいるのが事実であるということです。正直に言って、これから話すことに、この事実以上のことはなにもありません。わたしがこれから話すことは、わたしが死んでいる以上、すべてが架空のことなのです。
脚本家も驚き「観てみたらホントにピッタリ」
屋代秀樹(以下:屋代) 台本をお渡した際に、僻みさんをはじめ学級崩壊のメンバーの方々に「曲にピッタリです!」と言われて。
そのときは正直「ハハハ、そんなお世辞を」と思っていたのですが、観て(聴いて)みたらホントにピッタリで。非常にありがたい気持ちになりました。
ライブで聴いたときの迫真感もたまらないものがありました。喋り出しの声やセリフとセリフの間といったものは、曲に載せたリーディングでなきゃ味わえない。気持ちよすぎますね。
──今回は音楽を先にお渡しして、そこから想像される短編をつくっていただきました。音楽を聴いて、どのようなイメージを持たれましたか?
曲にハメることは意識しなくていいとうかがっていたので、そこはあまり気にしませんでした。
ただ、もともとセリフのリフレインが好きなので、そこはうまくやってくれるかなと思って書きましたし、実際うまくやっていただけました。
──今回の作品にはどんな思いを込められたのでしょうか?
屋代 一人芝居を書く場合、語りは1人称なのか、客観視なのか、どういう位相にあるのか、みたいなことをいつも考えちゃうんですけど。
今回は村山新さんが演じるということが決まっていたので、新さんの魅力は引き出しつつも、演者そのものではない奥行きのあるものを、と意識しました。
モチーフはちょっと前に知り合いから聞いた話を盛り盛りにしています。
──今回を含め、「しあわせ学級崩壊」の作品をご覧になってきて、その強みや今後期待することはありますか?
屋代 自作を演じていただいた村山新さんはじめ、劇団員全員に「しあわせ学級崩壊」の作品をモノにする魅力を感じました。音とことばと人が調和しつつも、それぞれの個性を失わない、みたいな。
ただ、まったく逆のようなこと言いますが、俳優がやるという意義や魅力は感じつつも、ラッパーとか歌手とか、音楽のプロが出演したらどうなるのだろうかという期待もあります。
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しあわせ学級崩壊
しあわせ学級崩壊はEDMのオリジナル楽曲の上に、俳優がマイクを用いてセリフを乗せることを特徴とした劇団。
劇場だけではなくクラブハウスや音楽スタジオでの公演も行っており、観客全員が立ち見のスタンディング公演という、演劇の枠組みを超えた企画も実施している。
脚本演出・作曲を担当する僻みひなたは「自分の存在の意味」を徹底的に掘り下げ、その精神の動きのような抽象的な世界を音楽と物語によって描く。
そのため脚本には台詞だけではなく、その台詞を何小節、何拍で読むかの指示も記されている。
大音量の音楽による演出と、文学的な台詞の両立によって、超演劇的な体験を届けている。
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