ロックの殿堂入りを果たし、ひとたび楽曲をリリースすればチャート1位確実のロックバンド・Radiohead(レディオヘッド)というバンドについて、一切認知していない人は世界広しと言えどそう多くないだろう。
そして彼らの代表曲が1992年に発売された「Creep」(クリープ)であることもまた、周知の事実だ。
そんな「Creep」だが、ある時期を境に彼らはその曲をセットリストに組み込むことを断固として拒否するようになった。
期間は実に1998年〜2003年までの約5年間。実際「Creep」が沈黙を破って解禁されたのは2003年の『SUMMER SONIC』東京公演で、元々演奏する予定のなかったこの楽曲を急きょ披露したことは今でも語り草になっている。
なおこの楽曲が演奏された理由は、主催者側が彼らに対して「絶対にサマソニに出てほしい」と熱烈なアプローチをかけ続けていたそのアンサーとしてだった。
けれど、逆に言えばそれ以前にも演奏する機会はあったにも関わらず演奏しなかった……結果、ファンの間で「Creep」は幻の大ヒットソングとして語られ続けていた、というわけだ。
それではなぜ、彼らは頑なに「Creep」のセットリスト入りを拒み続けていたのだろうか。
先日バンドのフロントマンであるトム・ヨークが「Creep」のソロリミックス音源を解禁した今だからこそ、そんな代表曲にしてほとんどのファンがライブで未聴の「Creep」演奏拒否にまつわる3つの理由を取り上げ、さらなる認知の契機としたい。
彼らがここまで長らく演奏しなかった、おそらく大部分を占めるのがこの理由であるとされる。
それこそ日本でもひとたび話題に上がりながらも、以降残念ながら姿を見掛けなくなったタレントらを指して「一発屋」と呼ぶ風潮があるけれど、これは1曲が飛躍的にバズったアーティストにも同じく言われることで、海外でも頻繁に「ワン・ヒット・ワンダー」としてディスの対象になったりもする。
突如「Creep」で躍進したレディオヘッドにも、当然批判はあった。そして悲しいかな、本来であればそうしたディスを跳ね除けるためにもヒット曲を量産しなければならない状態になってしまったレディオヘッドは、1995年まで新たなヒット曲を出すことが出来なかった。
つまりは3年間あまり、彼らは「レディオヘッド=『Creep』を歌ってる人」との認識で語られ続けたのである。
そしてバズを一度記録してしまったことでレディオヘッドは大きなフェスのメインステージに立つことも多くなってくるのだが、ライブを観に来たファンは「Creep」以外を聴いたことのないミーハーばかりで溢れたりもしたことで、バンドは「Creep」1曲のストレスで精神的にも追い詰められることとなった。
今でも、当時についてメンバーがメディアで語ることはほとんどなく、数あるインタビューで少しだけ当時に触れているものを調べても彼ら自身が「Creep」を「マジでゴミ」(もちろん楽曲そのものではなくメディアの扱いが)と吐き捨てていたりもするので、何より彼ら自身が多大なストレスを抱えていたことがわかる。
そして彼らの代表曲が1992年に発売された「Creep」(クリープ)であることもまた、周知の事実だ。
そんな「Creep」だが、ある時期を境に彼らはその曲をセットリストに組み込むことを断固として拒否するようになった。
期間は実に1998年〜2003年までの約5年間。実際「Creep」が沈黙を破って解禁されたのは2003年の『SUMMER SONIC』東京公演で、元々演奏する予定のなかったこの楽曲を急きょ披露したことは今でも語り草になっている。
なおこの楽曲が演奏された理由は、主催者側が彼らに対して「絶対にサマソニに出てほしい」と熱烈なアプローチをかけ続けていたそのアンサーとしてだった。
けれど、逆に言えばそれ以前にも演奏する機会はあったにも関わらず演奏しなかった……結果、ファンの間で「Creep」は幻の大ヒットソングとして語られ続けていた、というわけだ。
それではなぜ、彼らは頑なに「Creep」のセットリスト入りを拒み続けていたのだろうか。
先日バンドのフロントマンであるトム・ヨークが「Creep」のソロリミックス音源を解禁した今だからこそ、そんな代表曲にしてほとんどのファンがライブで未聴の「Creep」演奏拒否にまつわる3つの理由を取り上げ、さらなる認知の契機としたい。
「レディオヘッドは『Creep』だけの一発屋」とする意見
まずは海外メディアやSNSなどで叫ばれていたこの発言から見ていく。彼らがここまで長らく演奏しなかった、おそらく大部分を占めるのがこの理由であるとされる。
それこそ日本でもひとたび話題に上がりながらも、以降残念ながら姿を見掛けなくなったタレントらを指して「一発屋」と呼ぶ風潮があるけれど、これは1曲が飛躍的にバズったアーティストにも同じく言われることで、海外でも頻繁に「ワン・ヒット・ワンダー」としてディスの対象になったりもする。
突如「Creep」で躍進したレディオヘッドにも、当然批判はあった。そして悲しいかな、本来であればそうしたディスを跳ね除けるためにもヒット曲を量産しなければならない状態になってしまったレディオヘッドは、1995年まで新たなヒット曲を出すことが出来なかった。
つまりは3年間あまり、彼らは「レディオヘッド=『Creep』を歌ってる人」との認識で語られ続けたのである。
そしてバズを一度記録してしまったことでレディオヘッドは大きなフェスのメインステージに立つことも多くなってくるのだが、ライブを観に来たファンは「Creep」以外を聴いたことのないミーハーばかりで溢れたりもしたことで、バンドは「Creep」1曲のストレスで精神的にも追い詰められることとなった。
今でも、当時についてメンバーがメディアで語ることはほとんどなく、数あるインタビューで少しだけ当時に触れているものを調べても彼ら自身が「Creep」を「マジでゴミ」(もちろん楽曲そのものではなくメディアの扱いが)と吐き捨てていたりもするので、何より彼ら自身が多大なストレスを抱えていたことがわかる。
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キタガワ
島根県在住音楽ライター。酒好きの夜行性。rockin‘on外部ライター他諸々。
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