仕事に忙殺され、家庭や学校で居場所を見つけられず、自分が社会においてどのように機能しているかわからない。夜になるとそんな人たちが、スマートフォンから流れる音楽を聴く。
「夜好性」という言葉がある。「ヨルシカ」「ずっと真夜中でいいのに。」「YOASOBI」──名前に「夜」を冠したアーティストの楽曲を好んで聴くリスナーのことをそう呼ぶらしい。
なるほど、言い得て妙だと思った。「好」は「行」を兼ね、特殊な感情が乗っている。今回は「夜を好む」というのが現代人の「耳の形」と仮定したうえで、現代人と夜に聴く音楽について考えてみたい。
文:安藤エヌ
なぜ「夜」を好むのか? 抑圧された昼間からの解放
物語を包含した音楽を展開する「ヨルシカ」、リスナーの感情とスレスレの共感性をゆく「ずっと真夜中でいいのに。」、Web小説から音楽を創りあげていく「YOASOBI」。これら夜好性リスナーに支持されるアーティストの台頭により、現代人ないしは多感な若者の耳はより、切迫した感情を歌う楽曲に傾けられるようになった。
彼らを支持するリスナーはどうして夜を好むのか。
ところが、夜になると抑圧されていた個人が解放され、自宅の部屋で好きな音楽を聴くことができる。そこで、彼らの楽曲が選ばれるのだ。
いわばそれは「蘇生」といっていい。社会の名のもとに失われた自分自身の感情に、楽曲を聴くことで息を吹き込む。その時間帯こそが、もっとも「1人になれる時間」である夜なのだ。
この胸の痛みは気のせいだ わかってた
わかった振りをしたヨルシカ「八月、某、月明り」
縋って 叫んで 朝はない
笑って 転んで 情けないずっと真夜中でいいのに。「秒針を噛む」
エモーショナルなリリックで、時に抒情的なメロディで叫ばれるこれらの楽曲たちは、リスナーに多くの感情をもたらす。それこそが人間としての生き方を再び取り戻す一種の行為であり、人間的な蘇生、ということができるだろう。忘れてしまいたくて閉じ込めた日々も
抱きしめた温もりで溶かすからYOASOBI「夜に駆ける」
平手友梨奈「角を曲がる」は夜に聴かれるべき曲
欅坂46の元メンバー・平手友梨奈がソロで発表した楽曲「角を曲がる」では、こんな歌詞が登場する。
夜を好むがゆえに目が冴え、蘇生を繰り返しすぎて「不眠症」になってしまったリスナーの言葉を代弁しているのではないか、と私は考える。もう誰もいないだろうと思った真夜中
こんな路地ですれ違う人がなぜいるの?
独り占めしてたはずの不眠症が
私だけのものじゃなくて落胆した平手友梨奈「角を曲がる」
「角を曲がる」を歌う人物が、アイドルグループの不動のセンターとして時折危うさを見せつつも不屈の精神を表現し続け、「切なるアイコン」として現代に登場した平手友梨奈であるからこそ、この作用は起こりうる。
彼女が自分のことのようにこの歌詞を歌うことで、多くのリスナーを共感させた。「私、あるいは僕(一人称)=自分自身」という欅坂46的リリックはこの曲でも有効に機能している。「角を曲がる」は、そういった意味でやはり夜に聴かれるべき曲だ。
現代人の居場所としてSNSより「夜」が選ばれる
夜好性リスナーたちが聴く楽曲の歌詞を言葉、物語、文字、文脈として捉えてみたい。楽曲は聴かれるためにつくられ、言葉は届かせるために紡がれる。そういう意味で、楽曲と歌詞は一定の意味を持つ。それでは、SNSはどうか。不特定多数の人間たちが縦横無尽に飛び交す言葉の渦ともいえるSNSは、楽曲を好むリスナーたちにどう感じ取られているのだろう。
自分のために発信されていない言葉でも、個人で受け取ることが可能な場所だ。ともすると、SNSは現代人の居場所となりえるのか? 答えは不確定だ。なぜならSNSは「人を傷つけるために存在する言葉」が漂っている場所でもあるからだ。
きわめて現代的であり、もはやユース世代の象徴として普及しきっているSNSだが、近年は言葉の暴力がしばしばトピックに上がる。
現代人は自分自身で解放のための言葉を選べる。それによって、いわば「言葉の薬」ともいえる彼らの音楽が選択され、プレイリストに載る。彼らアーティストたちの歌詞とは、まさに今を生きる人たちの拠り所であり、夜に唯一光るミニマムな世界でもあるのだ。
ヨルシカ、ずとまよ、YOASOBI──孤独に寄り添うアーティスト
言葉は氾濫している。悪い言葉も良い言葉も、誰もが明確に定義づけることができないままに周囲を漂っている。そんな場所で生きる多感な10代、20代のリスナーたちは、人一倍に言葉というものに敏感になっている。敏感だからこそ、慎重に言葉を選ぶのだ。自分を傷つけさせない、あるいは、一緒に傷ついてくれる存在として代わる言葉を。今にも消えてしまいそうな焦燥感や不安に駆られ、腕を手繰るようにして音楽の中に言葉を探す。
言葉の氾濫が招く孤独に寄り添うアーティストたち──彼らが表現しようとする核の部分、「あなたと同じように生きている」というメッセージ──による「生きづらさからの救済」は、儚いながらも強烈に、今も生きることにあえぎ、苦しんでいるリスナーに届くことだろう。
彼らの音楽は共感によって形をなし、現代人の身代わりとなって自らが傷ついている、とも考えられる。そんな痛みを伴うほどの切なる音楽こそが私たちの胸を打ち、夜という孤独な時間における「自分自身を取り戻す」きっかけになりうるのかもしれない。
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安藤エヌ
ライター
20代のフリーライター。日本大学芸術学部文芸学科卒。音楽、マンガ、映画など主にエンタメ分野で執筆活動中。直近では「ROCK'IN ON JAPAN 2020年7月号」にてシンガーソングライター・あいみょんのコラムを寄稿。過去に同メディアのWebでもコラムを執筆しているほか、様々なエンタメメディアに記事を寄稿している。「今」触れられるカルチャーについて、新たな価値観と現代に生きる視点で文章を書くことを得意とする。
Twitter:@7th_finger
4件のコメント
匿名ハッコウくん(ID:3453)
面白い!
でもみんな歌ってることは全然違うと思う。私は角を曲がるの不眠症に共感できる。
匿名ハッコウくん(ID:3378)
着眼点おもしろい!
ヨルシカがいちばん好き
匿名ハッコウくん(ID:3374)
ヨルシカはバンド名に夜と入ってますが、夜を想起させる曲は殆ど無いですよ。昼前くらいの爽やかな風ってイメージかと思います