「eSportsは流行るのか?」
「流行らない」という個人的な結論だった。2018年までは。
たしかに熱量の高いシーンは生まれているが、マーケティングワードとして盛り上がっているらしいという認知だけを得て、その熱量がコミュニティの外に広がることはないのではないか。そう思っていた。
ただ、2019年から状況が変わり始めている。
例えば、e-Sportsとしても注目され、2019年において巨大なコミュニティーを築き上げているバトルロイヤルゲーム『フォートナイト』(Fortnite)での出来事がわかりやすい。
『フォートナイト』は、2017年にそのバトルロイヤルゲームとしてリリースされ、2018年11月には全世界で2億ダウンロードを達成、同時接続ユーザー数が830万人を超えたとも語られている(同時接続ユーザー数830万人は、Steamにおける「ゲーム中」のユーザー総数全体の2倍程度とのこと)。バトルロイヤル|ゲームプレイトレーラー
『フォートナイト』はゲームという1ジャンルを超えて、“ポップカルチャー”というより広い枠組みでも重要な変化を生み出している。
この記事ではポップカルチャーという視点から、『フォートナイト』というゲームの魅力を通じて、それらが「e-Sportsの未来にとって、どのような意味を持つのか?」を考察する。
具体的には、『フォートナイト』という巨大なコミュニティーで起きているゲームカルチャーの新しい変化と、次世代のヒーローとして「プロゲーマーよ、“ポップカルチャーの王”になれ」という個人的な野望の話である。
そして、何よりも7月26日(金)からは、『フォートナイト』の一大イベント「フォートナイトワールドカップ」の開催が控えている。個人的にはむちゃくちゃ楽しみなビッグイベントだが、この記事を通じて、『フォートナイト』競技シーンの盛り上がり、そしてもちろん『フォートナイト』そのものやe-Sportsの魅力が少しでも伝わったら嬉しい。
2018年『フォートナイト』にどハマりし、毎晩毎週末に飽きもせず『フォートナイト』を楽しんでいるただのいちファンです(いろんな方とゲームしたいので、ぜひ仲良くしてください。だいたいいつもオンラインです)。
挨拶はこの辺にしつつ、具体的な話をする前に、結論部分にもつながる前提もひとつ共有したい。
その前提は、こちらの素晴らしい記事からアイデアを得ている。
最高峰のプロ大会なのにダサい表彰式、いったい何がダメなのか。 ざっくり要約すると、ゲームやe-Sportsに造詣が深いライターの謎部えむさんによるコラム記事で、e-Sportsの大会によって、ダサい表彰式とカッコいい表彰式があるとして、その差異は「大会に哲学があるかどうか」という内容だ。
この記事を通じて、“競技”の本質は「誰が一番なのか?」を決めることにあると感じた。
そのためのシステムとして、e-Sportsがあるというイメージだ。
上記の記事では、大会ごとの哲学について話しているが、個人的には「e-Sportsにも哲学が必要ではないか?」と考えている。ゲームを競技化するときの“哲学”を、という話だ。
これから語ることは、私が個人的に考えるe-Sportsの哲学でもあり、「e-Sportsとは何か?」という問いに対する回答である。
例えば、「e-Sportsは、次世代の“スポーツ”だ」という風潮には、私個人の哲学としては、物足りなさを感じている。
なぜなら、人類史以来、人々を熱狂させてきた“競技性”に、「ゲーム」という巨大なカルチャーが加わることによって生まれる“新しい何か”に対する期待が大きいからだ。
その“新しい何か”の萌芽として、例えば、現在のゲームカルチャーが、2019年におけるポップカルチャーの中心である「YouTube」と切っても切れない関係にあるということは見逃せない。
“競技性”とポップカルチャーの融合が、そもそも新しいのではないか? あるいは、MCラップバトルのムーブメントをその皮切りとして、「“競技性”とポップカルチャー」という新しい時代がやってくるのではないか?
スポーツの延長としてのe-Sportsではなく、ポップカルチャーとしてのe-Sportsという視点でe-Sportsを考えて議論し楽しむことで、“新しい何か”が生まれるのではないか、という前提をもとにe-Sportsについて語っていく。
では、そもそものゲームカルチャーは今どうなっているのか?
まず、インターネットによって、ゲームは継続性を獲得した。買い切り型からアップデートを前提とした課金型へという話だ。
ゲームがインターネットに常時接続可能となり、課金という考え方が一般化することで、ゲーム会社にとっては、アップデートによって「同じゲームを継続して遊んでもらう」という動機が生まれた。
ゲームのサービス化、いわゆる「game as a service」と呼ばれるような動きが定着しつつある。
この継続性は、e-Sportsにとっても重要だ。ゲームメーカーが同じゲームを継続して運営することで、プロゲーマーが時間をかけて腕を磨くことに意味や価値が生まれるからだ。
さらにゲームの継続性は、また違うかたちで発展を見せている。
それは、ゲームのアップデートに加え、ゲームを軸とした漫画や映像などのメディアミックスによる展開だ。
ゲームの継続性とはつまり、ファンやコミュニティーを獲得・維持し続けることだ。それは別にゲーム性だけに依存する必要性はもはやない。ひとつのゲームタイトルを追うだけでゲームプレイだけに終わらない幅広い体験ができることは、ユーザーにとってゲームを続ける理由となり得る。
例えば、同じくe-Sportsタイトルとして注目されている『OVERWATCH』では、ゲームプレイとは別に、ゲームのストーリーをアニメーションや漫画で描く試みを行なっている。
そうしたプレイにとどまらない幅広い体験の最高峰が、2月に『フォートナイト』で開催されたDJ・Marshmello(マシュメロ)さんによるバーチャルライブだろう。
マシュメロさんというビッグネームの登場。盛り上がり始めているバーチャル空間上でのライブ。それらを何ひとつ不自由なくまとめ上げた技術力の高さ。 「私たちはすごい瞬間に立ち会っている」という感覚と、それを提供する『フォートナイト』というゲームに対する愛着のようなものが強く芽生えたユーザーは多かったはずだ(私もそのひとり)。
あるいは、別のゲームだが、『ファイナルファンタジーXIV』のアップデートによって、本格的な麻雀機能が実装され話題となったことも記憶に新しい。
上記のように今なお進化・発展を続けるゲームは、「game as a service」どころか、プラットフォームにすらなりつつある。『フォートナイト』では、楽曲を制作できる機能も追加されている(そもそもの先行モデルである『マインクラフト』の偉大さを忘れてはならない)。
「とあるゲームタイトルの魅力」と言ったところで、そのゲーム性のみに言及するだけでは、“ゲームの魅力”を語ることはできないのではないか。それほどに、ゲームカルチャーは多様な文脈へと発展を遂げている。
コンテンツにとってのプラットフォーム化などゲームの“拡張性”は、継続性をより強化するという目的のために生まれた発展であり、魅力のひとつである。
それは、2019年のゲームを語る上で必要不可欠なYouTubeとの関係性だ。
『フォートナイト』は、「現在のゲームカルチャーのコミュニティーは、YouTubeにある」ことをしっかりと理解している。
2018年12月に(それこそアップデートによって)追加された「フォートナイトクリエイティブ」が、『フォートナイト』の思想を物語っている。
『フォートナイト』はいわゆるバトルロイヤルゲームであり、プレイヤー100人がひとつの島に降り立ち、そこで銃撃戦を繰り広げるTPSだ。「フォートナイトクリエイティブ」はその“島”を自分好みにつくって遊ぶことができるという、従来のバトロワとは異なるゲーム性を有している。
『マインクラフト』や『マリオーメーカー』みたいなタイトルを想像してもらうとわかりやすいかもしれない。
例えば……
ユーザーが『フォートナイト』の練習場をつくったり、 プレイヤー泣かせのアスレチックをつくって遊んだり、 レースコースをつくってみんなでレースしたり、 音を鳴らせる機能で音楽をつくったり、 流行りの人狼ゲームをフォートナイトで再現したり、 『千と千尋の神隠し』の再現をしたり、 3D RPGに登場しそうなボスキャラ戦を再現したり。 ユーザーのアイデアと努力によって、新しい遊び方や企画が日々生まれている。そして、上記で掲載した動画のいずれも、ゲーム実況者たちがYouTubeに投稿した動画だ。
ゲームの流行り廃りは、ゲームがゲームとして面白いことを大前提として、ゲーム実況者の存在が大きい。彼らがコミュニティーを盛り上げてくれるからだ。
「フォートナイトクリエイティブ」が、プレイングの上手さのほか、企画性やキャラクター性といった要素で動画化できるようになることで、『フォートナイト』は幅広い層のプレイヤーやゲーム実況者(そして、もちろん視聴者も)を獲得している。
『フォートナイト』が世界的な大ヒットを記録したことは、ゲーム実況者の存在は大きいと考えている。ゲーム実況者による動画投稿が継続して行われるということは、長期的にマーケティングできるようなものだ。
例えば、ゲームの発売前・直後でのプロモーションで大きな話題を獲得したバトルロイヤルゲーム『Apex Legends』は、しかし、ゲーム実況者が継続的に動画投稿できるコンテンツを提供できず、「失速」「オワコン」といった言葉がインターネット上で囁かれている。
ゲーム実況者の存在は、2019年のゲームカルチャーを語る上で必要不可欠だろう。
「流行らない」という個人的な結論だった。2018年までは。
たしかに熱量の高いシーンは生まれているが、マーケティングワードとして盛り上がっているらしいという認知だけを得て、その熱量がコミュニティの外に広がることはないのではないか。そう思っていた。
ただ、2019年から状況が変わり始めている。
例えば、e-Sportsとしても注目され、2019年において巨大なコミュニティーを築き上げているバトルロイヤルゲーム『フォートナイト』(Fortnite)での出来事がわかりやすい。
『フォートナイト』は、2017年にそのバトルロイヤルゲームとしてリリースされ、2018年11月には全世界で2億ダウンロードを達成、同時接続ユーザー数が830万人を超えたとも語られている(同時接続ユーザー数830万人は、Steamにおける「ゲーム中」のユーザー総数全体の2倍程度とのこと)。
この記事ではポップカルチャーという視点から、『フォートナイト』というゲームの魅力を通じて、それらが「e-Sportsの未来にとって、どのような意味を持つのか?」を考察する。
具体的には、『フォートナイト』という巨大なコミュニティーで起きているゲームカルチャーの新しい変化と、次世代のヒーローとして「プロゲーマーよ、“ポップカルチャーの王”になれ」という個人的な野望の話である。
そして、何よりも7月26日(金)からは、『フォートナイト』の一大イベント「フォートナイトワールドカップ」の開催が控えている。個人的にはむちゃくちゃ楽しみなビッグイベントだが、この記事を通じて、『フォートナイト』競技シーンの盛り上がり、そしてもちろん『フォートナイト』そのものやe-Sportsの魅力が少しでも伝わったら嬉しい。
e-Sportsは“スポーツ”か?
さて、上記で個人的な野望と書いたが、ここで改めて私の自己紹介を少し。私は、ポップカルチャーWebメディア「KAI-YOU.net」を運営するKAI-YOUで、マーケター・プランナーとして活動しているニゲロオリゴ糖と申します。2018年『フォートナイト』にどハマりし、毎晩毎週末に飽きもせず『フォートナイト』を楽しんでいるただのいちファンです(いろんな方とゲームしたいので、ぜひ仲良くしてください。だいたいいつもオンラインです)。
挨拶はこの辺にしつつ、具体的な話をする前に、結論部分にもつながる前提もひとつ共有したい。
その前提は、こちらの素晴らしい記事からアイデアを得ている。
最高峰のプロ大会なのにダサい表彰式、いったい何がダメなのか。 ざっくり要約すると、ゲームやe-Sportsに造詣が深いライターの謎部えむさんによるコラム記事で、e-Sportsの大会によって、ダサい表彰式とカッコいい表彰式があるとして、その差異は「大会に哲学があるかどうか」という内容だ。
この記事を通じて、“競技”の本質は「誰が一番なのか?」を決めることにあると感じた。
そのためのシステムとして、e-Sportsがあるというイメージだ。
上記の記事では、大会ごとの哲学について話しているが、個人的には「e-Sportsにも哲学が必要ではないか?」と考えている。ゲームを競技化するときの“哲学”を、という話だ。
これから語ることは、私が個人的に考えるe-Sportsの哲学でもあり、「e-Sportsとは何か?」という問いに対する回答である。
例えば、「e-Sportsは、次世代の“スポーツ”だ」という風潮には、私個人の哲学としては、物足りなさを感じている。
なぜなら、人類史以来、人々を熱狂させてきた“競技性”に、「ゲーム」という巨大なカルチャーが加わることによって生まれる“新しい何か”に対する期待が大きいからだ。
その“新しい何か”の萌芽として、例えば、現在のゲームカルチャーが、2019年におけるポップカルチャーの中心である「YouTube」と切っても切れない関係にあるということは見逃せない。
“競技性”とポップカルチャーの融合が、そもそも新しいのではないか? あるいは、MCラップバトルのムーブメントをその皮切りとして、「“競技性”とポップカルチャー」という新しい時代がやってくるのではないか?
スポーツの延長としてのe-Sportsではなく、ポップカルチャーとしてのe-Sportsという視点でe-Sportsを考えて議論し楽しむことで、“新しい何か”が生まれるのではないか、という前提をもとにe-Sportsについて語っていく。
インターネットが生んだゲームの“拡張性”
e-Sportsは「ゲーム」を前提としている。では、そもそものゲームカルチャーは今どうなっているのか?
まず、インターネットによって、ゲームは継続性を獲得した。買い切り型からアップデートを前提とした課金型へという話だ。
ゲームがインターネットに常時接続可能となり、課金という考え方が一般化することで、ゲーム会社にとっては、アップデートによって「同じゲームを継続して遊んでもらう」という動機が生まれた。
ゲームのサービス化、いわゆる「game as a service」と呼ばれるような動きが定着しつつある。
この継続性は、e-Sportsにとっても重要だ。ゲームメーカーが同じゲームを継続して運営することで、プロゲーマーが時間をかけて腕を磨くことに意味や価値が生まれるからだ。
さらにゲームの継続性は、また違うかたちで発展を見せている。
それは、ゲームのアップデートに加え、ゲームを軸とした漫画や映像などのメディアミックスによる展開だ。
ゲームの継続性とはつまり、ファンやコミュニティーを獲得・維持し続けることだ。それは別にゲーム性だけに依存する必要性はもはやない。ひとつのゲームタイトルを追うだけでゲームプレイだけに終わらない幅広い体験ができることは、ユーザーにとってゲームを続ける理由となり得る。
例えば、同じくe-Sportsタイトルとして注目されている『OVERWATCH』では、ゲームプレイとは別に、ゲームのストーリーをアニメーションや漫画で描く試みを行なっている。
そうしたプレイにとどまらない幅広い体験の最高峰が、2月に『フォートナイト』で開催されたDJ・Marshmello(マシュメロ)さんによるバーチャルライブだろう。
マシュメロさんというビッグネームの登場。盛り上がり始めているバーチャル空間上でのライブ。それらを何ひとつ不自由なくまとめ上げた技術力の高さ。 「私たちはすごい瞬間に立ち会っている」という感覚と、それを提供する『フォートナイト』というゲームに対する愛着のようなものが強く芽生えたユーザーは多かったはずだ(私もそのひとり)。
あるいは、別のゲームだが、『ファイナルファンタジーXIV』のアップデートによって、本格的な麻雀機能が実装され話題となったことも記憶に新しい。
上記のように今なお進化・発展を続けるゲームは、「game as a service」どころか、プラットフォームにすらなりつつある。『フォートナイト』では、楽曲を制作できる機能も追加されている(そもそもの先行モデルである『マインクラフト』の偉大さを忘れてはならない)。
「とあるゲームタイトルの魅力」と言ったところで、そのゲーム性のみに言及するだけでは、“ゲームの魅力”を語ることはできないのではないか。それほどに、ゲームカルチャーは多様な文脈へと発展を遂げている。
コンテンツにとってのプラットフォーム化などゲームの“拡張性”は、継続性をより強化するという目的のために生まれた発展であり、魅力のひとつである。
ゲームとYouTubeの共犯関係
ゲームカルチャーの拡張性は、まだまだある。それは、2019年のゲームを語る上で必要不可欠なYouTubeとの関係性だ。
『フォートナイト』は、「現在のゲームカルチャーのコミュニティーは、YouTubeにある」ことをしっかりと理解している。
2018年12月に(それこそアップデートによって)追加された「フォートナイトクリエイティブ」が、『フォートナイト』の思想を物語っている。
『フォートナイト』はいわゆるバトルロイヤルゲームであり、プレイヤー100人がひとつの島に降り立ち、そこで銃撃戦を繰り広げるTPSだ。「フォートナイトクリエイティブ」はその“島”を自分好みにつくって遊ぶことができるという、従来のバトロワとは異なるゲーム性を有している。
『マインクラフト』や『マリオーメーカー』みたいなタイトルを想像してもらうとわかりやすいかもしれない。
例えば……
ユーザーが『フォートナイト』の練習場をつくったり、 プレイヤー泣かせのアスレチックをつくって遊んだり、 レースコースをつくってみんなでレースしたり、 音を鳴らせる機能で音楽をつくったり、 流行りの人狼ゲームをフォートナイトで再現したり、 『千と千尋の神隠し』の再現をしたり、 3D RPGに登場しそうなボスキャラ戦を再現したり。 ユーザーのアイデアと努力によって、新しい遊び方や企画が日々生まれている。そして、上記で掲載した動画のいずれも、ゲーム実況者たちがYouTubeに投稿した動画だ。
ゲームの流行り廃りは、ゲームがゲームとして面白いことを大前提として、ゲーム実況者の存在が大きい。彼らがコミュニティーを盛り上げてくれるからだ。
「フォートナイトクリエイティブ」が、プレイングの上手さのほか、企画性やキャラクター性といった要素で動画化できるようになることで、『フォートナイト』は幅広い層のプレイヤーやゲーム実況者(そして、もちろん視聴者も)を獲得している。
『フォートナイト』が世界的な大ヒットを記録したことは、ゲーム実況者の存在は大きいと考えている。ゲーム実況者による動画投稿が継続して行われるということは、長期的にマーケティングできるようなものだ。
例えば、ゲームの発売前・直後でのプロモーションで大きな話題を獲得したバトルロイヤルゲーム『Apex Legends』は、しかし、ゲーム実況者が継続的に動画投稿できるコンテンツを提供できず、「失速」「オワコン」といった言葉がインターネット上で囁かれている。
ゲーム実況者の存在は、2019年のゲームカルチャーを語る上で必要不可欠だろう。
この記事どう思う?
関連リンク
0件のコメント