Satellite Young 草野絵美の「今まであまり話してこなかった、けれど大事な人生のこと」

  • 1
Satellite Young 草野絵美の「今まであまり話してこなかった、けれど大事な人生のこと」
Satellite Young 草野絵美の「今まであまり話してこなかった、けれど大事な人生のこと」
ひとは、自分の人生しか生きられない。それは当たり前だけれど、そうやって生きていると、ものごとを見る視点が「私ひとつ」になりがちになってくる気がする。

だから、小説でもネットの記事でも、誰かの視点で他人の人生をトレースして、「私以外の誰か」を擬似的に体験することは、「人生の見方」を増やせる点でとても価値がある(と思っている)。

そんな思いを胸にスタートしたインタビュー企画のテーマは「今まであまり話してこなかった、けれど大事な人生のこと」。

ゲストには少しだけよそ行きの服を着てもらうが、肩肘張らずに話せる相手に思いのままに話してもらう。そんな雑談のような時間から、テーマが浮かび上がってくるかもしれないと思ったのだ。

(←)落合みさこ (→)草野絵美

今回登場するのは、歌謡エレクトロユニット「Satellite Young(サテライトヤング)」を率いる草野絵美(Emi)。インディーズの活動でありながら、SoundCloudにアップした曲がさまざまな文脈で世界とつながり、コアなファンを増やしている。2017年3月には世界最大級の音楽フェス「SXSW」(サウス・バイ・サウスウエスト)に出演を果たして話題になった。
今回の聞き手を務めるのは、Emiと数年来の交友がある、株式会社チョコラテのCEOである落合みさこ。カルチャー×テクノロジーの掛け合わせを得意領域に、サンフランシスコと日本を行き来している若き起業家だ。草野曰く、とあるイベントで一緒に登壇した際に「同じバイブスを感じた」と今日につながる関係性が始まっていった。

SXSWで草野が訪米した際に、トランジットで立ち寄った「サンフランシスコの芝生の上で寝転がりながら話した」以来というひと時。Emiの思春期のヒストリーからSatellite Youngの表現が生まれた源泉まで、さまざまに対話してもらった。

(聞き手:落合みさこ 文・編集・写真:長谷川賢人)

アメリカに留学して、むしろ東京の多様性を知った

──初めて会った時、Emiちゃんの肩書きは起業家でフォトグラファーだったね。そのあとはラジオパーソナリティが加わり、出産もしてママになり、Satellite YoungとしてSXSW(サウス・バイ・サウス・ウエスト)に出て……いろいろ変わってきているからこそ、その中で今回はあえて「人生の分岐点」を聞いてみたかったの。

草野絵美(以下、Emi) 高校生での留学が大きな分岐点かな。その時はクラスで結構浮いていて、変な噂を流されて女の子たちに目をつけられてたんだ。みんなが口を聞いてくれないとか、ちょっとしたいじめみたいなことがあって。その時に「学校の外に世界を作る」って感覚が身に付いた。

私の通っていた高校は帰国子女や留学生がたくさんいたんだけど、その子たちが固まっているクラスでお弁当を食べるようになって、友達ができて。遊ぶときにもスパイス・ガールズの曲をリップシンクして動画サイトにアップしたり、普段の会話も英語でする子が多かったから、「もっと会話についてきたいな」と思って留学したんだよね。

──どこへ留学したの?

Emi アメリカのユタ州へ1年間。それも奇妙な経験だったな。そもそも頭の中にあったのは、ダンスパーティーがあって、大人っぽい人がいっぱいいて、いろんな人種がいるだろう「アメリカの高校生活」への憧れだったのね。

でも、ユタは全然違う町だった。白人ばかりの、いわゆる「ホワイトピア(白人理想郷)」って言われている場所だから。2000人ぐらいいる学校なのにアジア人は私を含めて4人しかいなくて、黒人もほとんどいない。みんなモルモン教信者で、純粋で正直で、すごい子だくさんで、コーヒーやお酒は飲まない人たち。

──日本とはぜんぜん違う環境だね。どうして留学先にユタを選んだの?

Emi 選んだわけではなく、ランダムに決まった。アメリカの高校ってダイバーシティー(多様性)のために留学生を1年間無償で受け入れるプログラムがあって、それだと学費が無料で、しかも生活費も自分の食費くらいで済むから。

──高校同士が提携するようなプログラムかな。

Emi 私のは国が設けているものだったな。今回の記事を高校生の人が見てたら、ぜひそういうのを使って留学にもチャレンジしてほしい! ユタに留学したことが、私の「大きな分岐点」になるくらい、すごく衝撃を受けたから。

あれは高校生ならではの留学体験だったね。ユタ州って大学生になってから留学する場所ともちょっと違う。大学生になれば、どこの州にいっても日本人はいるだろうし。

今になって思うけど、留学している当時もユタ州は共和党を指示していた人が多かったし、みんなが知っている「(友人や同僚、セレブリティといった)アメリカ人」は都会的でリベラルな人が多いけど、そういう多様性を重んじる人がアメリカのマジョリティじゃないことを思い知ったよね。だから、トランプ(大統領)支持者がどういう人がいるのもなんとなくわかった気がした。

留学後、日本の高校に戻ったら、帰国直前に私のことをいじめていた子が転校しちゃって、学校生活も平和になり、付き合う人も色んなパターンが増えたのね。いちばん仲良くなった子もバイセクシャルだったり、今ではK-POPアイドルをしている、イケメンのゲイの子が学年のリーダー的存在だったり。フィリピンパブの娘もいれば、フィリピン大使の娘もいるような高校だった。

──ユタよりも、むしろダイバーシティにあふれているよね、それ(笑)。あえて聞くと、ユタで得たものってなんだった?

Emi 特に帰国してからだけど、日本を「逆輸入」するような感覚が身についたかな。私は東京生まれの東京育ちで、新宿のど真ん中にある高校に通っていたけど、「東京ってこんなに多様性がある街なんだ!」と思えたんだよね。

──ユタに行って多様性のなさを知ったことで、逆に東京の多様性を発見できるようになったんだ。

Emi そうそう。日本をクール・ジャパン的な視点で見られるようになったのもあって、帰国してからはフォトグラファーとして、原宿のストリートスナップを撮って海外の媒体に売るっていう活動をバイトみたいな感覚でやりはじめて。

そこが「Japanese Streets」という当時は世界最大の東京ファッションのフォトストックサイトだったんだけど、そこに載せた写真が美術館に入ったりするような経験もできた。高校生や大学生はフォトグラファーとしてちやほやされたわけだけど……別に写真は「やりたいこと」ではなかったんだよね。

窮屈に生きているならば、「外の世界」をつくろう

──その時のEmiちゃんにとって写真はどういう存在だったんだろう。自己表現のひとつ?

Emi 自己表現とは違うかも。Satellite Youngの音楽は、自分が好きな世界観について自作自演しているから自己表現に近いんだけど、写真はコミュニケーションツールとして捉えていたかな。

カメラを持っていることによって色んな人に会えるし、ひたすら「面白い!撮りたい!」を繰り返していた感じ。だから、アーティスティックな写真なんて全然撮れていなかったし。

──私でいうと、それが大学生の時に始めたライターとしての活動だったかな。ライターの立場がコミュニケーションツールになってくれて、色んな人に会えた。それに近いよね。

Emi そうだね。フォトグラファーの仕事を通じて「学校の外」を見ていたから、同じ高校生でもいろんなコミュニティがあることがわかった。

たとえば、六本木へ行けばインターナショナルな子たちやテレビの子役出身者だけが集まっているクラブがあったり、慶應女子や早稲田男子の勉強会に顔を出してみたり……でも、地元に帰るとマイルドヤンキーみたいな人もたくさんいて。

日本って多様性があって、「若者」といってもいろんな思考の人がいるから、面白いなーって。だから、私って結構、日本好きなんだよね。そんなふうに「とらわれない思考」は、たぶんその頃に形作られたんだと思う。

だからこそ、今の中学生や高校生には「クラスの外にも世界を作った方がいいよ」って言える。

──私もわかるなー。子供の頃って「学校=地球」みたいになっちゃうからね!

Emi 他人にどう思われたって、知り合いがたくさんいるだけで何も思わなくなってくるんだけど……学校って、なんか特殊だよね。

──学校だけじゃなくて、社会人でいう「会社」のレベルでもそうだよね。

Emi 子供の頃から「常識」みたいなものを窮屈に感じている人は、ただアルバイトするんじゃなくて、社会科見学のひとつとして、いろいろな世界を見に行った方がいいと思う。

子育ては「ひとりの人間と、一生をかけて人間関係を築く」ということ

Emi 人生の分岐点でいえば、あとはやっぱり子供ができたことも大きいかな。

──子供を産むって人生の中でも大きな決断に思うよ。しかも大学生の時だったよね?

Emi うん。まぁ、ぼんやりと若い時に産みたいと思ってたから。私は「決断」のときって直感的に動いてるんだけど、直感ってロジックの極みだと思っているのね。

経験値がすごく高い人ほど即座に判断できたりするものだけど、それって経験があるからできることじゃない。センスっていうのも似ていて、インプットの量が多いから「何がかっこいいか」をすぐ体感できる。

そういう意味では、「学校の外に世界をつくる」ことでいろんなロールモデルから「ああいう人生もあるし、こういう人生もある」ということを、ふつうの大学生よりはできるだけたくさん見てきた。だから、何とかなるって思ったの。

それに、早いうちの出産はメリットが多いとも考えて。出産してからの回復が早いし、今の環境ならいろんな人が助けてくれるし、お母さんやお父さんも元気だから子育てを手伝ってもらえる環境もあった。

子育てはすごく癒しになるよ。それに、やっぱり子供がいると心が折れない。「自分のことをいちばん好きな人が常にいる」っていうのがわかるし、ぎゅーってするといい匂いがするし、その喜びがあるから昔よりちょっとやそっとじゃへこたれなくなった。子育てはひとりの人間を育てるというよりは、ひとりの人間と一生をかけて人間関係を築くっていうことなんだよね。

だって、自分も将来は子供のお世話になるかもしれないし、自分の好きなことや意思といった親の影響で子どもの性格が変わるのね。だとしたら、将来的に何でも話せるような友達を作るっていう気持ちで子育てをしていると、自然とどうすればいいかわかる。意識していろいろなインプットをさせてるのが生きがいになるんだよね。

創作活動も大事だけれど、もっと大事なことだと思うのは家族。家族が、いちばん大事 。

──世の中の女性からすると、子供を産みたくてもまだやりたいことがいっぱいある……みたいに思えることもあるんじゃない?

Emi でも、子供がいるとクリエイティブになるよ。たぶん、バイアスが全くない人が身近にいるってことによって、出てくるアイデアがいっぱいあるんだと思う。

それに「一人で育てる」って思わない方がいいね。その思い込みをいかに外すかだと思う。周りのサポートも受けて、使えるサービスは使って。私は子育てもアウトソース精神があるし、時折でも気が抜けることが大切かも。

1
2
この記事どう思う?

この記事どう思う?

関連キーフレーズ

1件のコメント

※非ログインユーザーのコメントは編集部の承認を経て掲載されます。

※コメントの投稿前には利用規約の確認をお願いします。

匿名ハッコウくん

匿名ハッコウくん(ID:1493)

エミさんは日本の中でも東京、ダイバーシティな環境でラッキーでしたね。今年65才のおばさんですが、私は姉が日本人とアメリカ人と結婚してて私自身も小さい頃から欧米の多様性を見て育ったせいで、かなり異質でしたね、おまけに湘南の海で育ったおおらかさも手伝って、周りの人達のなんとも村というか部落みたいな窮屈な生き方がどうも苦手でして、日本の公立小、中学で誰もが交換留学生の様な制度を利用して国際感覚を小さい頃から身に付けたらいいとおもうんだけどねー。ホント教育制度に限界を感じています。色々な生き方の出来る、特に女性はもっと主体的に生きられる国になって欲しいですねー。