宮崎県出身、中学生時代から知り合いだったMC担当・ハシシさんと、パフォーマンス&ボタンを押す係(DJ)担当・nicecreamさんで活動する二人組だ。
MCのハシシさんが、ヒップホップに対して自虐的に歌うように、電波少女は長らく、昔気質でコアなヒップホップ・ファン(ヘッズ)からは、そのスタンスや武器であるメロディセンスによって逆に敬遠されてきた。
昨今、爆発的な人気を誇るMCバトル文化とも距離を置いている。しかし、気鋭のラッパーJinmenusagiや、音楽業界からも注目されるぼくのりりっくのぼうよみらをフックアップしたのは彼らの仕事の一つだ。
先日、渋谷WWWでおこなわれたワンマン・ライブ『ワンマンライブ「サライ」~電波少女的ヒッチハイクの旅 完~』はソールドアウトで超満員。電波少女的ヒッチハイクの旅と題し、全国をヒッチハイクで移動し47都道府県全県にてストリートライブを敢行したこともLINE世代を中心に話題に。現場?ツイッター?ニコニコ?みんなシーンの中 御利口 そのスタイルで一生どうぞ 雁字搦めでなんかものすごい形相
オリジナル?what's? rockにpopsだ?そんなんだから端から見りゃサブカルチャー「HIPHOPLIFE REMIX」/電波少女
旅の一部始終を生中継したLINE LIVEでは人気チャンネル・ランキング1位、ライブ・ランキング1位を獲得し、総ハート数は5千万を超えたことにも驚かされた。この夏、ソニー・ミュージックレーベルズ、アリオラジャパンからのメジャーデビューを控える彼らに、これまでのヒストリーを振り返ってもらった。
ストリートとインターネット、アンダーグラウンドとオーバーグラウンドを横断する独自のスタンスから、ポップカルチャーの新しい輪郭が見えてくることだろう。いや、かなり面白い子たちを発見ですよ。
取材・文:ふくりゅう(音楽コンシェルジュ) 編集:米村智水 撮影:布村喜和
電波少女、解散寸前まで追い込まれたヒッチハイク企画のリアル
──夏のメジャーデビューに向けて、全県制覇のヒッチハイクの旅をやられていて驚かされたんですが、あんなのやったらもう怖いものなんてないんじゃないですか?──こういう企画って、会議の場でネタとしては上がりがちだけど本当にやる人ってなかなかいないですよね。
ハシシ そうなんですか。それ知ってたらやってなかったっす(苦笑)。ヒッチハイク企画は本当にきつかったんですけど、良くも悪くも性格のいろんな部分が突出しましたね。すごい歪な形ですけど、再確認できました。ずっと(nicecreamと)二人でいたから悪いとこに目がいっちゃうんですよ。もう旅の後半とか険悪で、解散寸前でした(苦笑)。
──ヒッチハイクの様子やストリートライブの模様をLINE LIVEを活用したことで、ファンを新規開拓できたと思いますが、お互いの信頼関係を確認できるようなところもあったんじゃないですか?
──LINE LIVEやYouTubeでヒッチハイクやストリートライブの模様をアップし続けたことで、久々にお会いするのに親近感がめっちゃ生まれていて。あれ、やっぱ素晴らしい宝になりますよね。電波少女の成長過程やストーリーが凝縮されているんですよね。
nicecream そう思ってもらえたら幸いですね。
「ラップじゃなくても、別に何でもよかった」
──それこそ、電波少女の活動開始は2009年ですよね。結成8年目での、待望のメジャーデビューになりました。 ハシシ 何か、メジャーデビューってことを素直に喜びすぎるのもカッコ悪いじゃないですか? もちろん純粋に嬉しい自分もいるけど、すごく冷静に見てる自分もいる。自分がやることは変わんないし、結果を出してかないとすぐ飽きられると思うから。というか飽きられる速度は上がると思う。下手打ったときのリスクがより怖いので気を引き締めなきゃなと思ってます。nicecream 周りのレベルも全然違ってくると思う。もちろん嬉しいは嬉しいんすけどね……。
──これまでの活動は、アンダーグラウンドなシーンの閉じたコミュニティでの戦いだったと思うんです。でも、このヒッチハイクの旅を含めて完全に開かれた戦いに変化が起きてますよね。それこそ、オリコン・チャートも好調だったアルバム『パラノイア』からスイッチが切り替わった瞬間とかってありましたか?
ハシシ いや、俺はずーっと、狭いコミュニティのキッズと戦ってきたという意識です。やっぱキッズって声でかいし、平気でワケわかんねぇこと言うので、素直にむかつくんで。そことずーっとケンカしてましたね。まあ、それを楽しんでるんですけどね。やってること自体はそんなに変わらないんじゃないかな。
ハシシ あのスナックは跡地で、いまは廃墟になっていると思います。nicecreamとは、中学時代からお互い会ったことないのに知ってたんですよ。
nicecream そう、存在はね。
ハシシ 中学は別で、会ったことないのにお互い嫌いだったんです(笑)。共通の女の子を通じて名前を聞いてて。何か"いけすかね〜"みたいな感じだったんです(苦笑)。でも、高校に入ったらすぐに仲良くなって。そこからは毎日泊まりに行ったりするくらい一緒に過ごしてきました。
高校時代から一緒にDJとかはじめて音楽活動をやるようになって、MCとダンサーに派生して。それで紆余曲折あって電波少女に入ってもらったって感じです。俺がネットでラップをやり出してから。
nicecream ハシシの第一印象は、やっぱり"いけすかね〜"みたいな感じでしたね。共通の女の子と遊んでたんですけど、あ、変な意味じゃなくて(笑)、仲良かったレベルの話です。高校で一緒になってからは、3年間同じクラスだったんですよ。波長が同じヤツみたいな感じでしたね。 ──そんな第一印象が最悪だった二人が仲良くなったきっかけは?
ハシシ 入学式の次の日に先輩がやってるDJイベントがあって。中学の頃は二人ともギター少年だったんですけど、途中からヒップホップ・ブームがはじまって。仲良くなりたかったから「明日イベントあるんだけど一緒に行かない?」って声かけたのがきっかけです。クラブとも言えないバーみたいなところだったんですけど。
──地元・宮崎のシーンはどんな感じだったんですか?
ハシシ 何もなかったですね。でも、変な習性というか同級生でクルーを組む流れが──暴走族みたいでダサいんすけど、世代ごとにクルーを組んでいたんです。
俺らの3つ下がMOL53(モエルゴミ)とかMCバトルで活躍している世代で。合同でイベントをやったりもしてました。シーンと呼べるものかわからないんですが、そういうのが1個上の世代からはじまったんですよ。フリースタイルが今流行ってますけど、地元では俺ともう一人がはじめたって感じでした。宮崎県の日南市だったら俺がフリースタイルの元祖ですね。あはは(笑)。
──宮崎でヒップホップというと、最近話題のラッパー・GADOROさんとも被っているんですか?
ハシシ いや、GADOROさんは実はお会いしたこともないっす。宮崎といっても地元が全然違うんすよ、けっこう離れてる。
──でも最近ハシシさんを含めて、宮崎のラップがアツいみたいな感じになってませんか?
ハシシ ちょろちょろいますよね。でも本当にいなかったんすよ、でそれまで宮崎でヒップホップの有名人ってのが。
──なるほど。元々二人はバンドとかやってたんでしょ?
nicecream 僕がエレキギターをやってて、ハシシはフォークギターでした。中学の頃はコピバンで卒業式の後に公民館借りてやるみたいなレベルでした。当時は、モロ流行ってたMONGOL800とかコピーして。高校入ってからもバンドをやろうと思ってたんですけど、流れに呑まれてヒップホップの道へ……。
──突然のヒップホップムーヴメントが発生するわけですね。自分の居場所はどうやって見つけたのですか?
nicecream 僕はまずDJをやりました。とりあえず「イベントをやろうぜ!」って流れだったんですよ。俺らもクルーをつくって「じゃあDJが必要だ、やる人!」ってなったときに目立ちたがり屋だったんで「やるやる!」ってはじめて。
DJだからヒップホップの曲や文化を掘っていくじゃないですか。そこで僕はブレイクダンスを見つけた。もともとスケボーやったりバク転をやったり、アクロバットや運動的なことが好きだったんです。「あ、ヒップホップにこんなシーンあったんだな」って衝撃を受けてハマっていきました。
──ハシシさんは、ラップの表現というのはどんなきっかけからはじめたんですか?
ハシシ 俺は本当は何でも良かったんです。音楽とか絵とか、そういう表現や物をつくること自体に興味があって。落書き程度ですけど、絵描くのも好きだったんです。ギターをはじめたのも、「何かかっこいい人になりたいな」みたいな表現者への憧れで。 ハシシ 当時は自他共に認めるギター少年って感じだったんでですが、ヒップホップが流行りだしてかっこいいなって思って。いきなり俺がラップやるって言うと茶化されると思って、まずはDJをはじめて(苦笑)。DJを経てラッパーになった方が違和感ないんじゃないかなって計算して。あはは。
最初は楽しかったんですけど、すぐ飽きて──丁度いいタイミングでラッパーの友達から、「やってみれば?」って誘いが来て「待ってました」と言わんばかりにはじめました。
──ラップをはじめた当時はどんなMCに憧れてたんですか?
ハシシ 俺らの頃はNITRO MICROPHONE UNDERGROUNDが超流行ってたよね。NITROのメンバーになりたいと思ってやってましたね。そこからすぐ雷が再結成してTWIGYを知って──もうTWIGYが大好きで。
でもいまでこそ電波少女でラップとダンスを俺らはやってますけど、何でも良かったと思うんですよ。たまたまヒップホップ・ブームに衝撃を受けたタイミングで、いまそれをやんないとカッコ悪いと思ったんです。
そのなかで俺だったら歌詞を書いたりモノづくりで表現する部分でいったらラッパーだったワケで。で、nicecreamは体を動かすのが得意で、別にブレイクダンスじゃなくても良かったと思うんですけど、その中で選ばないといけないって勝手に思い込んでたんで、ラップとブレイクダンスだったと思うんです。
──でもそれをずっと続けられるってすごいことですよね。
ハシシ 結局楽しかったんですよね。その文化を知ってくなかで、魅力も知れて。まあ後に引けなくなってるっていう部分もあるけど(苦笑)。
──それこそ電波少女って結成当初は人数もたくさんいて、少し前だと鬚さん(FUNKY鬚HANK)もいて、ハシシさんとの2MCが印象的でした。あまり公言されていませんが、どうして鬚さんや他のメンバーは去っていったのですか?
結成当時、nicecreamはまだいなくて──元々は6人で、ネットで知り合った仲が良かったメンツとネットラジオをやるっていう本当に意味のわかんない団体だったんです(笑)。しかも俺は誘われた側だったんで、主催者じゃないんですよ。電波少女って命名は自分がしたんすけど。
そこから「ラッパーやトラックメイカーがいるんだから曲つくりませんか?」って話をしたら「堅苦しい」みたいなノリで、かなり初期の段階でみんな抜けてったんですよ……。もうバイオグラフィーに入れなくてもいいくらいのレベルの期間しかいなかった人もいます。 ハシシ 最終的になんやかんやあって残ったのが自分と鬚さんで。やっぱり悔しかったんですよね。自分たちのレベルなんですけど、ネットラップっていうシーンのなかで結構大々的に宣伝してたんです。
このまま終わるのってすごいダサいなと思って、その想いを鬚さんに話したら、「俺もそう思うよ」って言ってくれて。「ちょっと見返せる曲つくりましょう!」ってことで曲をどんどんつくるようになった感じです。
──電波少女のネットラジオ番組っていうのはどんなものだったんですか?
ハシシ グダグダ喋ってるだけですよ。まあ最初はかっちり決めてたんですけど、例えばネットに上がってる曲を紹介するみたいなのを毎週2時間とかやってて。それも5~6回くらいで終わりましたけど。
当時ネットラップっていうシーンを見つけた時は、らっぷびとだったり、トップハムハット狂とか、シーンにはカリスマがいっぱいいた。だから普通にやっても目立てない、こういう場合は大人数がいい、と思いました。まあ当然なんですけど、まったくの無名だったんで、俺。
だからこそ、まだ自分のプロップス(評価)でも繋がれそうな、今後伸びるであろう人たちと仲良くなって結託して、バンッて上がった方が勢いがあるだろうと思ったんです。
この記事どう思う?
関連リンク
電波少女
ヒップホップクルー
2009年、インターネット動画投稿サイトに突如姿を現した数名の個性派MC・TMで電波少女結成。幾度のメンバー加入、脱退を経て、現在はMC担当ハシシとパフォーマンス&ボタンを押す係担当nicecreamの2名で活動。ハシシの等身大でリアルなリリックと、キャッチーなメロディーは一度聞いたら耳から離れない中毒性を持ち、ライブにおけるnicecreamのダンスパフォーマンスは、他では味わえない華やかさがありライブならではの一体感を生み出している。
0件のコメント