MCバトルに捧げた男 晋平太インタビュー「ずっと誰かの役に立つ方法を探していた」

日本一になりたい

──そして再起を賭けて出場したのが、2009年の「UMB」ですね。

晋平太 2回戦でメシアTHEフライに負けるんですけど、結構いい試合ができて手応えがあったんですよ。メシアくんは僕とは真逆のスタイルですごく人気もあるし、ファンもいる。そのメシアくんと延長までもつれこんで、結果は負けちゃんですけど、「晋平太やばいね」って言ってくれる人もいて、自信につながりました。

だけどその年の敗者復活戦で崇勲にあっさり負けちゃって、すげーショックで。これは本気でやらなきゃ優勝できないぞって思い知らされて、年明けからフリースタイルしまくりました。

──その後、翌年の「UMB」2010年優勝、2011年優勝と当時では初となる2連覇を遂げるわけですよね。

晋平太 2010年に優勝するまで、ひたすら日本全国の大会に出場してバトルしまくってました。沖縄から北海道、とりあえずいろんな場所のラッパーと戦う「はじめの一歩」って企画なんですけど、バトルの様子をYouTubeにあげ続けて。
晋平太 やっぱりすごく努力してたんですよ。それは周りから見ても感じてもらえてただろうし、YouTubeにあげることで、だんだん応援してくれる人も増えてきた。夏くらいまでは全然どこいっても勝てなかったんですけど、「UMB」東京予選でなんとか勝ちあがれた。

細かいことは覚えてないんですけど、本当に優勝したい、日本一になりたい。ただ、それだけを考えて生きてました。

──昔は、MCバトルやフリースタイルに練習という概念はなかったと聞きます。当時の晋平太さんは練習や努力をされてたんですか?

晋平太 してましたね。特に2010年は勝ちたかったんで。たしかに、MCバトルってそんなマジにやるもんじゃないです。今でこそ、「命を賭ける」みたいなスタンスのラッパーも出てきたけど、命を賭けるもんじゃないですね。

実際、僕が2005年の「B BOY PARK」で優勝した後、しばらくバトルから身を引いていたのも、バトルはマジでやるもんじゃないという風潮があったから。だけど2010年は、勝つしかなかった、勝たなきゃ僕の気が済まなかったんで、全国回って戦いまくって、勝つための研究をしていました

──実際、優勝した年の「UMB」は覚えてますか?

晋平太 2010年は優勝する気で出場して勝って、2011年は逆に優勝は狙ってなかったけど、いい具合に肩の力が抜けてくれて全力で戦えた。で、2012年は、会場の空気も今までとかなり変わってて、「もういい加減、あいつ調子乗ってるし負けるところがみたい」という感じでした。

僕自信も、2012年は思うようにスキルが伸びなくて、結局本選でも全然いいラップができなくてあっさり負けました。2011年の時は、僕が考える理想のラップにかなり近づいていて、誰にも負けなかった。
──理想のラップとは?

晋平太 会話が成立していて、なおかつ韻も踏んで即興性が非常に高いラップでしょうか。2011年は本当にその理想がある程度できるようになってたんですけど、その先に進めていなかった。

無理して相手をディスるスタイルに寄ったりとかしてたんですけど、今振り返ると、ディスるのは僕には合ってなかったんでしょうね。

──2009年、2010年に晋平太さんが「UMB」優勝したことで、その後のバトルに出場するラッパーのレベルが一気にあがったと聞いたことがあります。

晋平太 どうなんですかね。僕1人じゃないと思いますけど、やっぱり飛び抜けたR-指定の存在はデカイですよね。R-指定がすごかったから、僕もR-指定に負けないようにスキルを磨きましたし。

あと輪入道とかACEとか、明らかに異次元的にすごいフリースタイルをする奴がその頃からいました。僕の中では、そういうすごい奴と切磋琢磨してきた感じです。

R-指定/「MCバトルの王 R-指定インタビュー ラッパーは16小節に生死を賭ける」より

晋平太 努力して研究して、バトルに勝ちまくる。これってすごくゲーム性が高いじゃないですか? このゲーム性が「高校生RAP選手権」に引き継がれて、たとえば「フリースタイルダンジョン」とか、今みたいなブームが起きてるのかな、とは思いますね。

2010年、2011年というのは、いろんなラッパーが同時に今までとは違うスタイルをはじめてた。すごい奴のレベルが一気に高まりだしていた時期だと思います。

楽しみながら続けることが尊い、大事なのはスキルじゃない

──2012年の「UMB」で3連覇は逃しますが、今度は「UMB」の総合司会として運営に関わるようになります。

晋平太 はい。明確に自分の立ち位置が変わって、バトルに対するマインドが大きく変化しました。司会になることで、大会がスムーズに進行できるように気を使ったりだとか、予選で日本全国くまなく旅したんですよ。

最初は32都市だったのが、今年は47都道府県にまで増えて、変な話、予算が潤沢にあるわけじゃない。すっごく過密なスケジュールの中、ワゴンで日本全国を回るんです。全然華やかじゃない、というか、こんなことをやってる人たちがいたなんて知らなかった。ヒップホップを仕事にするとか、MCバトルを全国に根付かせることがこんなに大変なことなんだって実感しました。
晋平太 全国のいろんなラッパーを4年くらい見続けてきて思うのは、やっぱり20代中盤とかでラップやってると、世間体があまりよくないですよね。そんな生活や重圧に耐えながらラップを続けるのって、本音を言うと気持ちよくはないと思う。

でも、MCバトルがもっと根付いて、テレビやラジオに出れたりするようになれば、ちょっとは世間体がよくなって、ラップを続けやすい環境になるのかなって。だったら、僕はラッパーがずっとラップを続けられるようにMCバトルを広めていきたい

「UMB」で優勝すると100万円もらえるんですけど、優勝しなくても、もっと大きな何かを獲得して地元に持って帰れるようにしたいなって。

──「UMB」の運営に関わるようになってから、ヒップホップやMCバトルを広げていくことに惹かれてたんですかね。

晋平太 Zeebraさんが自分のことをヒップホップアクティビストだっておっしゃっていて。ヒップホップを世の中に広めて、よくしていく思想は素晴らしいですよね。思えば、僕は「B BOY PARK」世代なんで、主催のアキラ(CRAZY-A)さんとかユタカ(DJ YUTAKA)さんが広げようとしてる姿も間近で見てた。 晋平太 「UMB」の総合司会として運営に関わるようになってから、Zeebraさんやアキラさんみたいにヒップホップを世の中に広げていきたいなって思うようになって、全国を回っているうちに、少しだけど、広げることができていると実感するようにもなりました。

──晋平太さんの活動の中で、何か変化はありましたか?

晋平太 それからですね。とにかくラップを楽しむことが最優先なんだってことに気づけたのは。ラップの下手な子がラップやっちゃいけないの? って言われたら絶対そんなことないと。ヒップホップに興味があると言われた時に、「やってみな、きっとできるよ」って声をかけてあげられるようになりました。

いま、いろんな街でサイファーやってる子とかすごく楽しそうじゃないですか。本当にいいことですよね。だけど、地元のしがらみとか、バトルで勝てないから病んじゃったりとかでラップを辞める子も多く見てきて、それはすごく残念なこと。

うまい方がかっこいいかもしれないけど、楽しみながら続けることが一番尊い。大事なのはスキルじゃない

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