「セカイ系」の復活 fhánaが語る「憂鬱の向こう側」とは?

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世界は主観で回り始めている

──今回、佐藤さんが書かれているアルバムの「序文」や、これまでにfhánaの歌詞を手がけられている林英樹さんが書かれている「終文」を最初に読んだ時、何を感じましたか?

「哲学は消えた」と、ある人は言った。
人々の心は、離れ離れになった。

だけど僕たちは、本当はそんなに変わらない。昔の人も、今の人も、外国の人も。
心の奥は変わらないけれど、僕たちの言葉は、誰かの心に届かなくなってしまった。

そんな世界で、僕は君に出会った。 (序:Text by 佐藤純一)

kevin 1曲目と最後の「white light」も対になっていて、この序文・終文を合わせて読むとわかるんですが、そこにあるのは、やっぱりfhánaがデビュー前からやっていた自主制作盤と同じコンセプトなんですよ。

僕らが持っている世界観が、自然と収束していった感覚があります。

yuxuki ある種映画のようなシナリオ性を感じて、それがアレンジにも反映されたりしました。最初の「哲学が消えた」という言葉は、佐藤さんが初めてボカロでつくったFLEET「Cipher(サイファ)」という曲の引用です。僕が初めて佐藤さんの作品に関わらせていただいた楽曲だったので、kevinと同じく、出会った頃への収束感があって、エモーショナルな感じでした。

──例えば、ここにある「僕」と「君」を、fhánaとファンに置き換えてみたとして、本当に価値観が多様化して趣味も細分化して、みんながバラバラな方を向いている現代で、音楽で“その人”と出会うためには何がきっかけになると思いますか?

佐藤 偶然と想いの力じゃないですかね。偶然を引き寄せるのも自分の意思で、何かを想い、行動しているからこそつながっていく。

つながれる規模は運などに左右されるけど、まず最初に意思が介在しなければ何も起こらない。月並みに聞こえるかもしれませんが、自意識というか、自分の主観が大事だと思うんです。

この“主観”は大事なキーワードで、実は、アルバムで表現したかったものって、言ってみれば「セカイ系」だと思うんです。

──たぶんもう音楽から完全に離れつつあるので説明すると、2000年代前半に、サブカルチャーを論じる上で用いられた物語のジャンルですよね。

佐藤 乱暴に言うと、「セカイ系」というのは主観的な世界の認識で、自分の自意識が世界の命運と直結してしまうというもの。これは知ってる人にはお馴染みのテンプレ説明文ですが…例えば、主人公とヒロインとの個人的な関係性が、国家や社会とかっていう中間のレイヤーをすっ飛ばして、世界の危機とかにつなげて描かれる作品群のことです。

──ただ、「セカイ系」は2010年代に入ってほとんど廃れたと言われていますよね?

佐藤 物語ジャンルとしても廃れたし、社会的にも、インターネットが普及してからの世界というのは、言ってみれば主観よりも客観性を重視され、相対的な視点で自分と世界を捉えることが良しとされた、リテラシーが求められる世界でした。それは「セカイ系」とは対極です。

でも今、一周回って、世の中全体が主観の世界に戻ってきているんじゃないかなと思うんです。というか、そもそも人は「主観」を通してでしか世界を認識することが出来ないし、実はもともとずっとそうだったんじゃないかと。

──主観の世界とはどういう意味ですか?

佐藤 ネットを通して検索して、一方通行の情報だけでなく、同じ1つの物事に対しても様々な価値観や立場の情報を得ることが出来ると言いますが、今はパソコンでブラウザを立ち上げて検索するよりも、スマホが主流になってニュースアプリやSNSから流れてくる情報を得る時代です。つまり各々が自分の「主観」によってフィルタリングされた情報を摂取している。

インターネットをやっているからリテラシーが高く、客観的な価値観とか知識が育成されるのかというと、全然そんなことはなかった。インターネットの良いところ、ユートピアとして語られてきた部分が、実は「単なる理想論だった」ということがわかり始めている。そういう意味で、人の意識は、ネットが普及する前と変わらなかった。それが、今再び「セカイ系」に戻っているように感じる理由です。

世界観と時代性との符牒

『Outside of Melancholy』通常盤ジャケット

佐藤 僕が思春期を過ごした90年代的な価値観というか世界の認識みたいなものと、インターネット時代以降の現状が近くなってきているような気がして。結果的にアルバムも、僕の好みと時代の流れの帰結として「セカイ系」になっています。

音楽的にも当時のオルタナティブロックや渋谷系やJ-POPのような、90年代音楽カルチャーが散りばめられています。

──今、あらゆるジャンルで80年代・90年代リバイバルが指摘されていますが、それも意識されていたのですか?

佐藤 回顧しているわけではなく、僕にとっては90年代というのはリアルタイムだったので、自然に自分が影響を受けたものを出しているんですよね。

ただ、今の若い世代の子たちは、むしろ90年代の音楽が新鮮に感じて引用しているんじゃないかと思っていて、そういう下の世代の流れと自分の出す音楽が、このアルバムのタイミングで偶然一致したのかなと。

kevin 偶然性みたいなものは僕たちも感じてて、このアルバムは、今話していたようなコンセプトが最初からバシっと決まっていたわけじゃないんです。あくまでつくりながら、僕らも気付いていったというか。

つくっていた時点では、目の前のことをコツコツやっていただけで、個人的にはアルバム全体のコンセプトについてさほど意識していませんでした。だから、コンセプトを再現するように曲をつくっていったわけではないけれど、パズルのピースが埋まっていくように、それぞれの曲がきちんと関連していることが後からわかっていき、「つくっていったものが出来上がった時に、ちゃんと筋が通っていることに改めて気づいた」というのが一番正しい表現な気がします。 towana ただ、歌を録り始める前に、佐藤さんから「このアルバムはfhánaにとってこういうものだったんだ」というアツいメールが来たんですね。それは、言い方は違いますが、今佐藤さんが話していたことと同じようにも思います。

私たちの世界観として提示したこのアルバムですが、今の話を聞いていても、「セカイ系」とか「ループもの」とか言われても、馴染みのない方はもしかしたらパッとはわからないかもしれない。ただ、そういう人にも伝わればいいという願いを込めて、私は歌いました。

この世界線を肯定すること

──最後まで抽象的な質問になりますが、デビュー前後で分断されていた世界がアルバムによって一つにまとまったことで、見えてきたその先の世界はどのようなものでしたか?

佐藤 ループもののゲームって、選択肢を選んで進んでいくことでエンディングが変わるのが特徴ですよね。

エンディングを迎えて、もう一度最初からやって別の選択肢で別のエンディングを迎えて……これはゲームとかSFとかアニメだけの話ではなく、現実の世界とも変わらないと思います。

──どういう意味ですか?

佐藤 みんな、自分も含めて生きていく上でいろんな選択をしていて、人生に関わる選択もあれば、「今日何食べよう」とか日々のささやかな選択もある。その積み重ねで、偶然も含めて、今の自分とそれを取り巻く世界があるんだと思います。

ということは、もし別の選択をしていたら別の自分があり得たわけで、つまり、ここではない別の平行世界がいくらでもあり得たと言えます。

それでも、今ここにいる自分は、その時々の選択の結果として「こうでしかあり得なかった自分」なわけで、そこに対して「本当は違う自分が良かった」とか「あの時こうしていたら…」とか憂鬱さを抱えて否定するのではなく、偶然を含めた選択を積み重ねて至っている今の自分という奇跡的な存在を、僕は肯定したいと思うんです。

さっき、メンバーそれぞれの音楽遍歴も出ましたが、誰かの選択が一つでも違っていたら、僕らは出会っていなかったかもしれない。

──さまざまな選択肢の中から選んだこの世界は、かけがえのないものだと。

佐藤 今回のアルバムの歌詞も音楽も、いろいろな自分があり得た中で、今の「この僕」を君が見つけてくれた、だからこそそれは取り替え不可能なものなんだと、自分と自分を取り巻く世界を肯定しています。

それって、今の日常を奇跡だと感じるということです。それはかけがえのないものだし、それこそが憂鬱の向こう側なんじゃないかなと。

聴いてくれている人や自分自身も含め、今ある世界そのものを肯定したいというメッセージがこのアルバムには込められています。そういう想いで聴いていただければ嬉しいですね。
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fhána

音楽ユニット

佐藤純一(サトウ ジュンイチ)、yuxuki waga(ユウキ ワガ)、kevin mitsunaga(ケビン ミツナガ)という男性3名のサウンド・プロデューサーと、女性ボーカリストのtowana(トワナ)によるユニット。
2013年夏、TVアニメ「有頂天家族」(原作:森見登美彦、制作:P.A.WORKS)のED主題歌『ケセラセラ』でメジャーデビュー。2013年秋にはTVアニメ「ぎんぎつね」(原作:落合さより、制作:diomedea)のOP主題歌『tiny lamp』を担当。
ユニットとして自身の音源を発表するほか、さよならポニーテール「魔法のメロディ」、DECO*27 feat. 初音ミク「二息歩行」、TVアニメ「ROBOTICS;NOTES」劇伴のRemixをそれぞれ担当。
また、ChouCho「looping star」や「life is blue back」、相沢舞「その刹那」のサウンドプロデュースを担当するなど、幅広い活動を行なっている。ライブ活動も積極的に行なっており、その際には佐藤純一(Key/Cho)、yuxuki waga(Gt)、kevin mitsunaga(PC/Sampler)、towana(Vo)という編成で出演している。
2015年2月に1stアルバム「Outside of Melancholy」をリリース、5月からは東京・大阪・京都にて、初のワンマンツアーを敢行。

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