「セカイ系」の復活 fhánaが語る「憂鬱の向こう側」とは?

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何をやっても飽きてしまう自分が唯一続けることのできた音楽

──PCゲーム好きとして話がつながっていったfhána結成秘話は前回うかがいましたが、改めて、結成前のみなさんの音楽活動についてうかがえますか?
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yuxuki 僕は中学時代にコピーバンドでギターを始めたのが音楽的なスタートで、同時期にMIDIで曲がつくれることを知り、家のPCでいろいろ曲をつくって遊んでいましたね。高校では初めてのオリジナルバンドを始めて、大学生になってからは別のオリジナルバンドをtowanaと組んでいました。

そのころ初音ミク発売のニュースを知り、ボカロを使って曲をつくり始めました。佐藤さんやkevinくん含め、それがきっかけでいろんな人と出会うことができました。

僕は、ずっと続けてこられたものが音楽だけで……。他のことをやっても、音楽のことを考えてしまうんです。一度、音楽制作と並行して、大学卒業後に会社に入ってみたりしたのですが、すぐに辞めちゃったし。だから今こうやって音楽に集中できる環境にいるのが嬉しいです。

towana 私は、音楽の経歴といっても、ピアノを小さい頃からやっていたくらいのものでした。カラオケも好きだったけど、yuxukiくんとバンドを始めてから、人前に出て歌う楽しさを知るようになりました。

yuxuki 友達が「良いボーカルを知っている」と言って連れてきたのがtowanaだったんですね。towanaからは椎名林檎さんとかJUDY AND MARYさんが好きと聞いていたんですが、当時一緒にやっていたバンドはポストロックやシューゲイザーをベースとしたオルタナティブなバンドだったので、本当についてきてくれて良かったなと(笑)。

towana コード進行だけを決めて、それをスタジオで延々と繰り返してセッションして、その中で私もその場でメロディーをつくって合わせて、歌詞を書くっていうつくり方をしていたんですよ。

yuxuki そう、自分のパートは自分でやってくれというスタイルだった。

towana そこで得た経験はfhánaに活かされてます。というか、鍛えられました(笑)。

映画監督になりたかった

kevin 僕も中学からバンドを組んでて、腐れ縁的な感じで仲の良い男友達がいて、バンドやメンバーが変わりつつも、そいつとは大学までコアメンバーとしてずっと一緒だったんですね。僕がいまソロで活動しているLeggysaladという名義も、もともとはその友達と一緒にやっていたユニットです。 

ずっとバンド畑の人間だったんですが、高校生の終わりくらいに、くるりやコーネリアスの影響で「サンプリング音楽ってめちゃめちゃカッコいい」と思って、電子音楽に目覚めました。

それで、自分で音をつくってHP上で公開したりしてるうちに、Web上に無料で音源を公開するネットレーベルというムーブメントが起き始めて、そういうカルチャーに吸い寄せられながら気ままにやっていたら、佐藤さんやyuxukiさんに出会ったんです。

──佐藤さんは、fhánaを結成するまでどういった活動をされていたのですか?

佐藤 僕は小さい頃、映画監督になりたかったんですよね。子供の頃から物語や映像や音楽など全体をひっくるめた世界観みたいなものがつくりたいと思っていて。映画監督が正確にどういう役割を担っているのかわかっていなかったんですが、とりあえず監督になれば作品をつくれるだろうと。

音楽については、小学生の頃に、カシオトーンっていうサンプリング機能のついた玩具のキーボードを買ってもらって、ドラクエとかゲームの曲を耳コピしながら遊んでいました。

いろいろ興味が向く中で、絵を描くのが大好きだったし、ゲームも好きだったので、中学の時は漫画家やゲームデザイナーになりたかった。でも、3年の時に突然YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)やフリッパーズ・ギターにハマって「バンドカッコいい」と思って、急に音楽路線へ変わっていきました。

音楽路線に変わりつつも、美術大学に入るんですが、大学4年の頃組んでいた女の子ボーカルのユニットで、デモCDをメジャーからインディーズまで、大量のレコード会社各社に送ったところ、すぐにほぼ全部からリアクションが来て……21歳の時にそんな状況になったので「自分は天才なんじゃないか」ってすごく浮かれてました(笑)。ただ、とあるレコード会社の育成部門に入って事務所も決まりデビューに向けて準備を始めたものの、そのバンドはデビューしないで空中分解するんです。

──理由はなんだったんですか?

佐藤 みんな美大生で、何か表現したいという気持ちはあったけど、それが急に仕事としてやらなくちゃいけなくなった時に、心がバラバラになっちゃったんですよね。

それで、新しい女性ボーカルを探したんですが、いい人が見つからなかったので、しょうがなく僕が自分でボーカルを務めてFLEETという3人組のユニットを結成したんです。ちょうどインターネットが盛り上がり始めた時代で、当時はまだニコニコ動画もYoutubeもなかったけど、自分のHPに曲をアップしたことがきっかけで、FLEETもランティスさんからメジャーデビューすることになりました。

その後レコード会社を移籍したりしつつ、最後のアルバムが完成したときには他の2人は脱退して、僕のソロユニットになっていました。そんなタイミングでyuxukiくんとkevinくんに出会ったというわけです。

分離していたfhánaの世界観を統合した『Outside of Melancholy』

『Outside of Melancholy』初回盤ジャケット

──fhánaは物語性の強い楽曲やパッケージを貫かれているという印象ですが、今回初のフルアルバムとして、ストーリー設計は意識されましたか?

佐藤 「Outside of Melancholy」というタイトルは初めから決めていて、憂鬱をキーワードにしようと思っていました。人それぞれ必ず何かしらの憂鬱さを抱えているけど、その外側、向こう側へ行こう……という希望を込められればと。

もともとゲームやアニメにある“ループもの”の世界観がすごく好きで、デビュー前のfhánaは特にそのコンセプトを強く打ち出していました。

kevin 僕らには、『CLANNAD』というゲームが好きで意気投合し結成したという経緯があります。いくつも選択肢があり、色々な世界線をループしながらより良いエンディングに辿り着くという、PCゲーム・ノベルゲームのような世界観をコンセプトにした自主制作盤にもそれが強く表れていました。

佐藤 しかし、デビューしてからは、アニメのタイアップではやはりアニメ作品の世界観や物語に寄せて曲をつくるため、デビュー前と後で意識的に分離していたんです。

ただ、そこの分離に物足りなさを感じてもいて、平行世界的なコンセプト、ノベルゲーム的な世界観をもう一度、このアルバムを通して表現したいと思って、Melancholy(憂鬱)というキーワードとノベルゲーム的な世界観という二つの軸で行こうということになったんです。“最初は”。

──「最初は」というと、途中で何か変化があったのですか?

佐藤 表題曲でもある1曲目の歌詞は「幾千回ものループを繰り返し今ここに 辿り着いた『この僕』」で始まるのですが、この歌詞が上がってきたときに、「デビュー後にfhánaが担当させていただいてきたアニメの物語というのも、言わばfhánaという大きな物語の中の世界線・可能性の一つなのではないか」という全体像が見えたんです。

今まではデビュー前の楽曲群とデビュー後の楽曲たちがバラバラで存在していたのが、このアルバムによって初めて全てが統合されて、fhánaというユニットのアイデンティティを自分たちで発見できたアルバムだったと気付いたということです。
【次のページ】セカイ系の復権? 主観による世界認識
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