去る2月末、あるMVがYouTubeで公開された。「ビバリウム」と題されたそのMVは、一世を風靡する歌い手・Adoさんにとって初となる、自らが出演した実写作品であった。
これまで一切、素顔を明かしてこなかったAdoさん。彼女はなぜ我々の前に姿を現したのか。
「ビバリウム」ジャケット写真
今回は、Adoさんの歴史を語る上で、最も重要なターニングポイントになるだろう「ビバリウム」を紐解きながら、これまでの彼女の歩みについても、いちファンの視点で記していければと思う。
文:キタガワ
目次
2020年代を代表するポップスター・歌い手「Ado」
思えば、Adoさんはメジャーデビューから現在に至るまで、怒涛の勢いで音楽シーンを駆け抜けてきた。
Adoさん
はじめてのオリジナル楽曲でありながら社会現象を巻き起こした「うっせぇわ」(2020)、「NHK紅白歌合戦」への出場を果たしたウタ名義の「新時代」(2022)、ダンス動画がSNSで大流行した「唱」(2023)……他にも、Adoさんが歌唱する多種多様な楽曲の数々を、我々はここ数年間、生活のあちこちで耳にしてきたはずだ。
昨今はワールドツアーが満員御礼の連続で幕を下ろしたことも相まって、ともすれば「一般人とは住む世界が違うんだろうな」とさえ思ってしまうほどに、その勢いは本当に凄まじかった。
一方で、Adoさんの心中はというと、きらびやかなイメージとは全くかけ離れた場所にあったこともうかがい知れる。
インタビューでは一躍ポップスターとなった現状を俯瞰で捉え、ライブのMCでも自分本位には決してならない。
常に自身を救ってくれた音楽、すなわちVOCALOID(ボーカロイド)シーンへの感謝の思いを語るその姿は、ここまでの大ブレイクを果たした人物としては、あまりにも冷静だった。
Adoが翻弄されてきた“現実の私”と“理想のAdo”とのギャップ
デビュー当初から「根暗」と自身を形容し続けてきたことからもわかる通り、彼女の素の性格はとても内向的。
ライブパフォーマンスにおける、檻の中にいる自身のシルエットのみをを映し出すスタイルはその象徴とも言える。
まるで「あくまでステージにいるのはAdo。実際の私はそれを演出する役割」と決めているかのように、いつしか“みんなに注目される理想のAdoの姿”と“AdoではあるけどAdoではない現実の私”とのギャップに、彼女は長らく翻弄され続けてきた。
その苦悩は、2月26日に刊行された自伝的小説『ビバリウム Adoと私』(KADOKAWA)にも赤裸々に表れている。
『ビバリウム Adoと私』(KADOKAWA)
今作は、ノンフィクション作家の小松成美さんが、Adoさんと二人三脚でつくり上げたもの。これまで一切語られてこなかったネガティブなものも含め、Adoさんの半生が小説として書き下ろされている。
物語自体の内容についてはネタバレになるので、この場で記すことは控えたいとは思う。
けれども、サブタイトルに記されているように、つまるところ彼女が憧れ続け、そして悩み続けた存在こそが、他でもない“Ado”というペルソナ(=外向きの人格)なのだという事実は、今作とリンクする新曲「ビバリウム」を聴く上で、最も重要になってくる。
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1件のコメント
匿名ハッコウくん(ID:13506)
顔出しで騒ぐような記事が多い中、それついては直接触れず、Adoさんへのリスペクトを感じる良い文章、有難うございます。最後の文章、私もそんな未来が来ることを祈っています。