それにしても、やっぱり新宿はとても魅力的な街なんだよな。
今回、新宿歌舞伎町に闇を抱えた若者のユートピアが出現したのも、新宿っていう街の特性が大きかったんじゃないかなあと思う。
そもそもコロナ禍で水商売が世間の目の敵にされていて、がらんどうだった歌舞伎町に彼らが集まりやすかった、というタイミング的、地理的な理由も確かにあるだろう。でも、なんとなくそれだけとは思えない。実は、おれもだいぶ長く新宿で働いてたからそう思う。
1990年代ラストの頃(98〜99)の新宿歌舞伎町の路上で、おれはカラオケ屋の客引きをやっていた。歌舞伎町で働きながら住んでいたのも新宿だったから、かなり新宿が好きなやつだった。当時はカラオケ屋もたくさんあったし、カラオケ屋に行きたい人たちもたくさんいたから、歌舞伎町中のカラオケ屋がたくさんの客引きを街に放出していて、おれもそのうちの一人だった。
歌舞伎町は狭いのに客も客引きも多すぎて、おれたち客引きと客とのトラブルも多かったし、縄張りみたいなものを巡って客引き同士のトラブルなんかも頻発していた。最終的には“このカラオケ屋の客引きは、ここからここまでしか客引き行為ができない”みたいな歌舞伎町のローカルルールなんてものもできた。
歌舞伎町一番街にあるカラオケ屋の客引きだったおれは、そのルールに従ってコマ広場で客引きをしていた。わからないだろうから説明すると、コマ広場とは、コマ劇場に隣接していた今は存在しない広場のことで、その場所が今どこに当たるかというと、実は思いっきりトー横周辺で──つまり、おれも過去に同じストリートに立っていたというわけだ。
おれは客引きなわけだから、もちろん路上にずっといたわけだ。当時の新宿はもちろん今より全然エネルギーがあって、深夜のコマ広場でも色んなことが起こり、おれはそれを見ることができた。
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脱法ドラッグなんて言葉が生まれるその前、“合法ドラッグブーム”のときだから、まあ色々ゆるくて、マジックマッシュルームとか、GHBっていう睡眠薬とか、色んなものをストリートの露天商が売っていたし、イスラエル人のアクセサリー屋ではエクスタシーやハシシも売っていた。街を流してるイラン系のプッシャーもまだいて、あきらかにジャンキーな外見のおれを見て「オ兄サン、ドラッグアルヨ」とその場で営業かけてくるやつもいた。
ヤクザはたくさんいるし、覚醒剤もコカインもなんでも持っている。当時はまだ新宿にあったリキッドルームからはアシッドを食ってる半裸の男がライブ終わりに飛び出してきたし、CODEからはケミカルを突っ込んで踊るパキパキの男女が汗だくで出てきたりしていた。おれはそいつらを「うちのカラオケ屋で休んでいきません? 今日店長いないから部屋でガンジャ吸っていいですよ。朝までコース安くしますよ!」とやばめな客引きで自分の店に入れたりしていた。まあ、めちゃくちゃだったわけだ。
客もめちゃくちゃだったけど、客引きもめちゃくちゃ、全員めちゃくちゃで、当時のおれの友人の客引きたちはみんな覚醒剤をやっていて、それに合わせて睡眠薬も飲んでた。カラオケの部屋でガラス管を炙ってから睡眠薬も飲むという感じで。その組み合わせは、アッパーとダウナーのカクテル、つまりスピードボール的なやつで、さっき話に出たブロンなんかとも近い。でも覚醒剤はブロンより全然高揚感が強いから、ダウナーもやってるけどブロンよりはシャキッとしてるかな……という感じで、まあケンカっ早いイカれたやつにはなるけど、当たり前に気持ちいいし元気になる。
で、なんでそんなカクテルやってたかというと、“深夜のカラオケ屋の客引きなんて、ネタでも食ってある程度勢いがあったほうが客が引けるじゃん”という今聞いたらおれでも引いちゃうようなアタマの悪い理由によるんだけど、当時はアタマ悪いとも思わず「うん、そうだね」と答えていたし、ほんとにそう思ってた。まあ実際にちょっと勢いがある方が酔っ払ってる客は引ける。
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そんな状態で、おれのともだちやおれは歌舞伎町の路上に立ち、客引きをし、楽しいものたくさん見たが、やはり一番見たのは今となっては貴重な天然もののヤクザで、今の歌舞伎町しか知らなければ信じられないだろうけど、偉い親分が来るときは何百人ものヤクザが、並んでいたりしたのもよく見た。いつもはトラックスーツでそのへんをピョンピョン飛び跳ねてる元国体選手の俊敏で乱暴者でそのへんで恐れられるヤクザでさえ、親分がくるその日はかっちりしたスーツを着てマジメな顔をしていて、「親分ってすごいんだろうな〜、この人がちゃんとしてるなんて」と感じた記憶がある。ヤクザはほんとにほんとに多かったんです。
おれは新宿にいたけれど、実は90年代の終わりの当時、若者たちが集まる場所は、全然新宿じゃなくて、おもいっきり渋谷だった。リアルなギャルがいた頃の渋谷だから、なんならカルチャーの中心だったと思う。
60年代は新宿に若者が集まり、2020年、2021年も新宿に若者が集まったけど、それが90年代末はモロに渋谷だった。すべてのものが渋谷から発信されてた。あらゆるものが渋谷に惹きつけられた。昔からのおれの友人たちもそのときは渋谷にいたと思う。
でも、なんでそんなときにもおれが歌舞伎町にいたかというと、それは単に新宿の魅力によるところが多い。なんというか、新宿はさらにゴチャまぜだったというか…。
当時の渋谷もかなりヤンチャな街で、集める人の数は新宿なんかより全然すごくて、かなり色々な人が集まっていたんだけど、それが若者に限定されていたイメージがある。そこにあるカルチャーがそもそも若者のためのものだった。
一方の新宿は浮浪者もいるし、立ちんぼもいるし、ヤクザもいるし、ヤクザ崩れもいるし、ジジイだかババアだかわからん老いた生物もいるし……渋谷のほうがかっこよくて最先端なイメージだったけど、新宿歌舞伎町はさらに混沌としていて、自由な感じがしていた。
新宿、特に歌舞伎町は、より多くの雑多なものを“受け入れている”感じが強くある。
60年代にはヒッピーやフーテンを受容し、90年代にはおれが渋谷よりさらに混沌としていたと感じる新宿の成り立ち、カオスすら飲み込むような圧倒的な懐の深さには、戦後の闇市が深く関わっているらしい。きっと闇市はあらゆるものを受け入れていたはずだもんね。そして自由だったはずだ。だったら、心に闇がある若者ぐらいすぐ受け入れるはずだ。
おれはきっと、そんな雰囲気を感じて、みんなが渋谷にいたあの90年代に新宿にいたのかもしれない。で、トー横に集まった彼らにも、きっと同じような感覚があったんじゃないかな。「ここならなんとなく大丈夫だろうな」というあの感じを、彼らも感じていたんじゃないだろうか。
今はもう誰もいなくなってしまったトー横。路上にはゴミとかタバコの吸い殻があるだけ。ここには誰もいないから誰にも質問なんてできないけど、おれはなんとくそう思ってる。彼らがそれを感じてたはずだと。だって新宿はカオスさえ飲み込む、特別でサイコーにイカれた街だから(^ ^)iLLNESSの仕事と思想 BLACK BRAIN Clothingオフィス訪問
今回、新宿歌舞伎町に闇を抱えた若者のユートピアが出現したのも、新宿っていう街の特性が大きかったんじゃないかなあと思う。
そもそもコロナ禍で水商売が世間の目の敵にされていて、がらんどうだった歌舞伎町に彼らが集まりやすかった、というタイミング的、地理的な理由も確かにあるだろう。でも、なんとなくそれだけとは思えない。実は、おれもだいぶ長く新宿で働いてたからそう思う。
1990年代ラストの頃(98〜99)の新宿歌舞伎町の路上で、おれはカラオケ屋の客引きをやっていた。歌舞伎町で働きながら住んでいたのも新宿だったから、かなり新宿が好きなやつだった。当時はカラオケ屋もたくさんあったし、カラオケ屋に行きたい人たちもたくさんいたから、歌舞伎町中のカラオケ屋がたくさんの客引きを街に放出していて、おれもそのうちの一人だった。
歌舞伎町は狭いのに客も客引きも多すぎて、おれたち客引きと客とのトラブルも多かったし、縄張りみたいなものを巡って客引き同士のトラブルなんかも頻発していた。最終的には“このカラオケ屋の客引きは、ここからここまでしか客引き行為ができない”みたいな歌舞伎町のローカルルールなんてものもできた。
歌舞伎町一番街にあるカラオケ屋の客引きだったおれは、そのルールに従ってコマ広場で客引きをしていた。わからないだろうから説明すると、コマ広場とは、コマ劇場に隣接していた今は存在しない広場のことで、その場所が今どこに当たるかというと、実は思いっきりトー横周辺で──つまり、おれも過去に同じストリートに立っていたというわけだ。
おれは客引きなわけだから、もちろん路上にずっといたわけだ。当時の新宿はもちろん今より全然エネルギーがあって、深夜のコマ広場でも色んなことが起こり、おれはそれを見ることができた。
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脱法ドラッグなんて言葉が生まれるその前、“合法ドラッグブーム”のときだから、まあ色々ゆるくて、マジックマッシュルームとか、GHBっていう睡眠薬とか、色んなものをストリートの露天商が売っていたし、イスラエル人のアクセサリー屋ではエクスタシーやハシシも売っていた。街を流してるイラン系のプッシャーもまだいて、あきらかにジャンキーな外見のおれを見て「オ兄サン、ドラッグアルヨ」とその場で営業かけてくるやつもいた。
ヤクザはたくさんいるし、覚醒剤もコカインもなんでも持っている。当時はまだ新宿にあったリキッドルームからはアシッドを食ってる半裸の男がライブ終わりに飛び出してきたし、CODEからはケミカルを突っ込んで踊るパキパキの男女が汗だくで出てきたりしていた。おれはそいつらを「うちのカラオケ屋で休んでいきません? 今日店長いないから部屋でガンジャ吸っていいですよ。朝までコース安くしますよ!」とやばめな客引きで自分の店に入れたりしていた。まあ、めちゃくちゃだったわけだ。
客もめちゃくちゃだったけど、客引きもめちゃくちゃ、全員めちゃくちゃで、当時のおれの友人の客引きたちはみんな覚醒剤をやっていて、それに合わせて睡眠薬も飲んでた。カラオケの部屋でガラス管を炙ってから睡眠薬も飲むという感じで。その組み合わせは、アッパーとダウナーのカクテル、つまりスピードボール的なやつで、さっき話に出たブロンなんかとも近い。でも覚醒剤はブロンより全然高揚感が強いから、ダウナーもやってるけどブロンよりはシャキッとしてるかな……という感じで、まあケンカっ早いイカれたやつにはなるけど、当たり前に気持ちいいし元気になる。
で、なんでそんなカクテルやってたかというと、“深夜のカラオケ屋の客引きなんて、ネタでも食ってある程度勢いがあったほうが客が引けるじゃん”という今聞いたらおれでも引いちゃうようなアタマの悪い理由によるんだけど、当時はアタマ悪いとも思わず「うん、そうだね」と答えていたし、ほんとにそう思ってた。まあ実際にちょっと勢いがある方が酔っ払ってる客は引ける。
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そんな状態で、おれのともだちやおれは歌舞伎町の路上に立ち、客引きをし、楽しいものたくさん見たが、やはり一番見たのは今となっては貴重な天然もののヤクザで、今の歌舞伎町しか知らなければ信じられないだろうけど、偉い親分が来るときは何百人ものヤクザが、並んでいたりしたのもよく見た。いつもはトラックスーツでそのへんをピョンピョン飛び跳ねてる元国体選手の俊敏で乱暴者でそのへんで恐れられるヤクザでさえ、親分がくるその日はかっちりしたスーツを着てマジメな顔をしていて、「親分ってすごいんだろうな〜、この人がちゃんとしてるなんて」と感じた記憶がある。ヤクザはほんとにほんとに多かったんです。
おれは新宿にいたけれど、実は90年代の終わりの当時、若者たちが集まる場所は、全然新宿じゃなくて、おもいっきり渋谷だった。リアルなギャルがいた頃の渋谷だから、なんならカルチャーの中心だったと思う。
60年代は新宿に若者が集まり、2020年、2021年も新宿に若者が集まったけど、それが90年代末はモロに渋谷だった。すべてのものが渋谷から発信されてた。あらゆるものが渋谷に惹きつけられた。昔からのおれの友人たちもそのときは渋谷にいたと思う。
でも、なんでそんなときにもおれが歌舞伎町にいたかというと、それは単に新宿の魅力によるところが多い。なんというか、新宿はさらにゴチャまぜだったというか…。
当時の渋谷もかなりヤンチャな街で、集める人の数は新宿なんかより全然すごくて、かなり色々な人が集まっていたんだけど、それが若者に限定されていたイメージがある。そこにあるカルチャーがそもそも若者のためのものだった。
一方の新宿は浮浪者もいるし、立ちんぼもいるし、ヤクザもいるし、ヤクザ崩れもいるし、ジジイだかババアだかわからん老いた生物もいるし……渋谷のほうがかっこよくて最先端なイメージだったけど、新宿歌舞伎町はさらに混沌としていて、自由な感じがしていた。
新宿、特に歌舞伎町は、より多くの雑多なものを“受け入れている”感じが強くある。
60年代にはヒッピーやフーテンを受容し、90年代にはおれが渋谷よりさらに混沌としていたと感じる新宿の成り立ち、カオスすら飲み込むような圧倒的な懐の深さには、戦後の闇市が深く関わっているらしい。きっと闇市はあらゆるものを受け入れていたはずだもんね。そして自由だったはずだ。だったら、心に闇がある若者ぐらいすぐ受け入れるはずだ。
おれはきっと、そんな雰囲気を感じて、みんなが渋谷にいたあの90年代に新宿にいたのかもしれない。で、トー横に集まった彼らにも、きっと同じような感覚があったんじゃないかな。「ここならなんとなく大丈夫だろうな」というあの感じを、彼らも感じていたんじゃないだろうか。
今はもう誰もいなくなってしまったトー横。路上にはゴミとかタバコの吸い殻があるだけ。ここには誰もいないから誰にも質問なんてできないけど、おれはなんとくそう思ってる。彼らがそれを感じてたはずだと。だって新宿はカオスさえ飲み込む、特別でサイコーにイカれた街だから(^ ^)
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BLACK BRAIN Clothing ディレクター
ストリートブランド・Black Brain clothing(BBC)のディレクター。BBCは、2015年頃より不定期にインターネット上で販売を開始し、様々なラッパーやYouTuberが着用。ストリート/ネットカルチャーに敏感なユース世代を中心に絶大な人気を集めている。
2件のコメント
匿名ハッコウくん(ID:5123)
冗長
匿名ハッコウくん(ID:5048)
興味を惹く文章で最後まで読み進めましたがトー横界隈へ向けてというテーマにしては
あまりにもあっさりしているなという印象を受けました
そりゃ居場所がなかったりする人たちがここになら居られるかもっていう気持ちで集まっているのでしょうが
その部分にご自身の主観的な感想だけではなく
トー横に入り浸ってる様な世代の考えだったり言葉を織り交ぜてあったら更に興味深かったなと思います
冒頭で現在の暮らしぶりについて長文で語られていましたが今回の記事のテーマとそこまでリンクする要素でもなかったので
長すぎるな、、とも思いました。
過去にドラッグ等の使用経験を経て今の真逆の生活があるというお話のくだりがもっとシンプルに記述されていたら読み手側としてはありがたかったです。
あとトー横界隈の方々は非合法なドラッグ類は使用していないのでしたら
そこから脱線してドラッグについて語る必要性があったのでしょうか?
終始話の本質が見えづらい構成だったように感じました
テーマ自体は興味深かったので最後まで読みましたがリサーチが偏っているというか浅い、惜しい、といった感想を持ちました。
あと誤字が多いのでちゃんと添削するべきだと思います。せっかく興味を惹く文章なのにそこで気が散りました。