2020年3月、いまだに新型コロナウイルスの影響により演奏会・イベントの自粛は続いています。そんな自粛ムードのなか、とある音楽家が自身のYouTubeにコンサートの中止を知らせる動画を投稿していました。
この動画を投稿したのは指揮者の平林遼さん(@ryo_hirabayashi)。那須フィルハーモニー管弦楽団名曲コンサート中止のお知らせ
平林さんは東京音楽大学指揮科を卒業したあと、海外で修行を重ね、イタリア国際指揮者コンクールで第3位、ニーノ・ロータ国際指揮者コンクールで聴衆賞を受賞するという輝かしい経歴を持つ指揮者です。
現在のような自粛ムードが高まる以前から、筆者は個人的に平林さんに会う予定でした。
音楽に関しての素人が、指揮者本人にインタビューをして、一般には馴染みのない“指揮者”という職業の役割について、本人の口から語ってもらえれば面白い記事になるかもしれない──当初はそんな動機でアポをとりました。
しかし、実際に平林さんから話を聞くうちに、指揮者はオーケストラと手を取り合って「演奏会」という生の音を産む場をつくる人間であり、そこには自粛ムードのなかで行われるライブストリームでは再現し得ない魅力があることを知りました。
この記事が、日本で演奏会が再開されたときに観客が1人でも増えることに繋がれば幸いです。
取材・文:トロピカルボーイ
平林遼(以下、平林) おっしゃる通り、大きな影響が出ています。このままでは干上がってしまうので、私の音楽仲間では「バイトをしないと」と言っている者もいますね。
損失は冗談では済まされないものがありますが、中止になったものは仕方がないので、空いてしまった時間を天が与えた勉強の時間と思って有効に過ごそうと、ここ数日は楽な気持ちで過ごせるようになりました。
──プロの音楽家であっても、四六時中音楽漬けというわけではないとは思いますが、平林さんはどのように余暇を過ごされていますか?
平林 そもそも音楽以外のことにも興味があるんですよ。普段から音楽以外の本を読んだり、お笑いを観たりするのも、どこかで自分の音楽の肥やしになる、と思っていたりするので。
最近だとYouTubeにいろいろなジャンルの専門家が参入してきてますよね? ひと昔前だとお金を出して講演会に行かないと聞けなかったような話が、今ではYouTubeで専門家や経営者本人の口から明かされはじめています。
なので、そういう方たちがお話されているのをYouTubeで見ることが私にとっての余暇かもしれないですね。 ──いち視聴者としてYouTubeを利用していた平林さんですが、5年前からご自身でもYouTubeで動画を配信しています。きっかけは何だったのでしょうか?
平林 きっかけはいくつかあるんですけれど……指揮者という仕事はそれこそ名のあるコンクールで受賞しない限り、存在を認知してもらえることはあまりないのが実情です。
YouTubeで動画投稿をはじめた頃の私は、目立ったコンクールの実績もありませんでした。仮にYouTubeを見ている方たちから、素人的に映ったとしても、私のような指揮をやってる人がいるんだって知っていただくきっかけにはなるんじゃないか? と思ったんです。
そういった自分の知名度を上げるような目的もありましたが、もうひとつの理由として、私自身、指揮以外に思想や哲学にも興味があったからです。そこで“音楽に関する哲学”のようなものを自分なりにまとめたい思いがありました。
ピアノを演奏する動画をたまに投稿したりするんですが、それより自分の音楽に対する考えを話している動画のほうが多いので、今思えば、そうした「思想を紡ぐ」みたいなことのほうが本質的な理由かもしれません。 ──面白そうですね。本業があるなかで動画投稿を続けるのは大変だったのではないでしょうか?
平林 コンクールで良い結果が出るまでは、自分で大きくPRできる実績みたいなものが足りなかったので、とりあえず1日1個は動画を出そうと日課で決めていただけだったんですよ(笑)。
ただ、最近は動画投稿をちょっと自制しています。「指揮者が何やらベラベラ喋ってるな」って訝しげに思われる可能性は十分あるので、変な印象を振りまかないようにと思いまして。
平林 私でよければ、何でもお答えしますよ。
──そもそも、平林さんをご紹介する場合、どんな肩書きで書けばいいでしょうか? “音楽家”は肩書きとして正解なんですか?
平林 私の場合は、わかりやすく言えば“指揮者”ですね。
──指揮者というのは、弁護士や医者のような資格職なのでしょうか?
平林 資格職ではないですね。というか、そもそも音楽に携わる仕事で「この資格がないとその業務をしてはいけない」というような話はあまり聞かないですね。あったとしても特殊な業種かなと思います。
──ピアノの調律をする人とかはどうなんでしょうか?
平林 調律師には資格がありますね。ピアノ調律技能士という国家資格なのですが、調律の専門学校などを修了して「自分は調律の勉強をしました」という学歴を証拠にして、調律師をいっぱい抱えている会社に入って仕事をする場合もあります。空港でピアノ弾いてみた in ブリュッセル
平林さんのYouTubeには超絶技巧なピアノ演奏動画が数多く投稿されている。
──これは単純な好奇心ですが、ライターであれば料理ライターやゲームライターなど、好きなように肩書きをつけてセルフブランディングできるのですが、今まで会われた音楽家の中で印象に残っている肩書きはありましたか?
平林 肩書きが多い人はいますけどね。たとえば指揮者だけどオペラの舞台演出もできるとか、歌手だけど翻訳もできるとか。肩書きは基本的にみんな指揮者とかピアニストとか、そんなものですよ。
平林 基本的にオーケストラは指揮者がいないと動きません。指揮者がいないオーケストラは、例えるなら、社長のいない会社のような感じですね。
──「オーケストラが動かない」について、もう少し具体的にお聞きしたいです。どういうレベルで動かないのでしょうか?
平林 「そもそも誰がテンポを決めるんですか?」 というレベルです。テンポというのは1秒、2秒といった万人共通の絶対値ではないんです。
クラシックは、テンポをどれくらいに設定するかというところからはじまります。この曲は遅めに演奏するのか、速めに演奏するのか。どのぐらいのテンポで演奏しようかなっていうとこから、みんなの仕事がはじまります。
曲が簡単であれば100人ぐらい集まっていても、指揮者なしでコンサートマスター(※)が指揮者の代わりをすれば演奏できます。でも難しい曲だったら、3人でも指揮者がいないと無理です。
※コンサートマスター:オーケストラの各奏者を統率して、指揮者の意図を音楽に具現する役職。第1ヴァイオリンの首席奏者がつとめるのが通常である。
──てっきり楽譜があれば僕が演奏しても100年後の誰かが演奏しても同じになる再現性のあるものだと思っていました。
平林 曲にもよると思いますが、楽譜からの再現性というと、私の体感では古典派やバロックなど楽譜の情報量が少ない楽曲だと3~4割、近代に近づいてくると5~6割くらいの再現性なのではないでしょうか。
だからこそ、演奏家の役割があるとも言えるのですが。 ──僕がはるか昔に授業で使った音楽の教科書には「何分音符」とか「やや強く」みたいな記号が書いてありました。
平林 「やや強く」と言ってもどれくらい強くするかが全部違うんで、それを決めるのが指揮者であり演奏家ですね。
私の感覚では、楽譜に書ける情報はほんのちょっとしかありません。たとえば2分音符が書いてあっても、それを最後まで伸ばすのか、しぼむように伸ばすのかということまで書けないんです。
それに近い“ディミヌエンド”という記号はあるんですけど、すべての音符に対して細かく書くというのは要素が細かくなりすぎてまったく不可能です。
例えば「強く」といっても、指揮でこれぐらい強いのか…… これぐらいまで強くするのかで変わります。指揮者 平林遼 腕の振り方でオーケストラの音は変わる
──えっ! それで演奏に違いが出るんですか?
平林 違います。ピアノの鍵盤をどれぐらい強く叩くのか、ピアニスト1人だったら自分で全部決められます。しかし、オーケストラは何十人と集まっているので、誰かがすべての意思決定をしないと仕事がはじまらないんです。
この動画を投稿したのは指揮者の平林遼さん(@ryo_hirabayashi)。
現在のような自粛ムードが高まる以前から、筆者は個人的に平林さんに会う予定でした。
音楽に関しての素人が、指揮者本人にインタビューをして、一般には馴染みのない“指揮者”という職業の役割について、本人の口から語ってもらえれば面白い記事になるかもしれない──当初はそんな動機でアポをとりました。
しかし、実際に平林さんから話を聞くうちに、指揮者はオーケストラと手を取り合って「演奏会」という生の音を産む場をつくる人間であり、そこには自粛ムードのなかで行われるライブストリームでは再現し得ない魅力があることを知りました。
この記事が、日本で演奏会が再開されたときに観客が1人でも増えることに繋がれば幸いです。
取材・文:トロピカルボーイ
演奏会が中止になった指揮者がすること
──今、世間では演奏会の自粛ムードが続いています。平林さんも出演予定の演奏会が中止になるなど、影響を受けているようですが……。平林遼(以下、平林) おっしゃる通り、大きな影響が出ています。このままでは干上がってしまうので、私の音楽仲間では「バイトをしないと」と言っている者もいますね。
損失は冗談では済まされないものがありますが、中止になったものは仕方がないので、空いてしまった時間を天が与えた勉強の時間と思って有効に過ごそうと、ここ数日は楽な気持ちで過ごせるようになりました。
──プロの音楽家であっても、四六時中音楽漬けというわけではないとは思いますが、平林さんはどのように余暇を過ごされていますか?
平林 そもそも音楽以外のことにも興味があるんですよ。普段から音楽以外の本を読んだり、お笑いを観たりするのも、どこかで自分の音楽の肥やしになる、と思っていたりするので。
最近だとYouTubeにいろいろなジャンルの専門家が参入してきてますよね? ひと昔前だとお金を出して講演会に行かないと聞けなかったような話が、今ではYouTubeで専門家や経営者本人の口から明かされはじめています。
なので、そういう方たちがお話されているのをYouTubeで見ることが私にとっての余暇かもしれないですね。 ──いち視聴者としてYouTubeを利用していた平林さんですが、5年前からご自身でもYouTubeで動画を配信しています。きっかけは何だったのでしょうか?
平林 きっかけはいくつかあるんですけれど……指揮者という仕事はそれこそ名のあるコンクールで受賞しない限り、存在を認知してもらえることはあまりないのが実情です。
YouTubeで動画投稿をはじめた頃の私は、目立ったコンクールの実績もありませんでした。仮にYouTubeを見ている方たちから、素人的に映ったとしても、私のような指揮をやってる人がいるんだって知っていただくきっかけにはなるんじゃないか? と思ったんです。
そういった自分の知名度を上げるような目的もありましたが、もうひとつの理由として、私自身、指揮以外に思想や哲学にも興味があったからです。そこで“音楽に関する哲学”のようなものを自分なりにまとめたい思いがありました。
ピアノを演奏する動画をたまに投稿したりするんですが、それより自分の音楽に対する考えを話している動画のほうが多いので、今思えば、そうした「思想を紡ぐ」みたいなことのほうが本質的な理由かもしれません。 ──面白そうですね。本業があるなかで動画投稿を続けるのは大変だったのではないでしょうか?
平林 コンクールで良い結果が出るまでは、自分で大きくPRできる実績みたいなものが足りなかったので、とりあえず1日1個は動画を出そうと日課で決めていただけだったんですよ(笑)。
ただ、最近は動画投稿をちょっと自制しています。「指揮者が何やらベラベラ喋ってるな」って訝しげに思われる可能性は十分あるので、変な印象を振りまかないようにと思いまして。
指揮者になるために資格はいらない
──今日は、音楽のまったくの門外漢である僕の疑問を、畏れ多くもプロの音楽家である平林さんにぶつけよう、という思いがありまして。平林 私でよければ、何でもお答えしますよ。
──そもそも、平林さんをご紹介する場合、どんな肩書きで書けばいいでしょうか? “音楽家”は肩書きとして正解なんですか?
平林 私の場合は、わかりやすく言えば“指揮者”ですね。
──指揮者というのは、弁護士や医者のような資格職なのでしょうか?
平林 資格職ではないですね。というか、そもそも音楽に携わる仕事で「この資格がないとその業務をしてはいけない」というような話はあまり聞かないですね。あったとしても特殊な業種かなと思います。
──ピアノの調律をする人とかはどうなんでしょうか?
平林 調律師には資格がありますね。ピアノ調律技能士という国家資格なのですが、調律の専門学校などを修了して「自分は調律の勉強をしました」という学歴を証拠にして、調律師をいっぱい抱えている会社に入って仕事をする場合もあります。
──これは単純な好奇心ですが、ライターであれば料理ライターやゲームライターなど、好きなように肩書きをつけてセルフブランディングできるのですが、今まで会われた音楽家の中で印象に残っている肩書きはありましたか?
平林 肩書きが多い人はいますけどね。たとえば指揮者だけどオペラの舞台演出もできるとか、歌手だけど翻訳もできるとか。肩書きは基本的にみんな指揮者とかピアニストとか、そんなものですよ。
オーケストラは指揮者がいないと動かない
──ピアニストのように楽器を演奏しているならともかく、指揮者は具体的に目に見えないものを扱っているような気がします。オーケストラで指揮者は何をしているのでしょうか?平林 基本的にオーケストラは指揮者がいないと動きません。指揮者がいないオーケストラは、例えるなら、社長のいない会社のような感じですね。
──「オーケストラが動かない」について、もう少し具体的にお聞きしたいです。どういうレベルで動かないのでしょうか?
平林 「そもそも誰がテンポを決めるんですか?」 というレベルです。テンポというのは1秒、2秒といった万人共通の絶対値ではないんです。
クラシックは、テンポをどれくらいに設定するかというところからはじまります。この曲は遅めに演奏するのか、速めに演奏するのか。どのぐらいのテンポで演奏しようかなっていうとこから、みんなの仕事がはじまります。
曲が簡単であれば100人ぐらい集まっていても、指揮者なしでコンサートマスター(※)が指揮者の代わりをすれば演奏できます。でも難しい曲だったら、3人でも指揮者がいないと無理です。
※コンサートマスター:オーケストラの各奏者を統率して、指揮者の意図を音楽に具現する役職。第1ヴァイオリンの首席奏者がつとめるのが通常である。
──てっきり楽譜があれば僕が演奏しても100年後の誰かが演奏しても同じになる再現性のあるものだと思っていました。
平林 曲にもよると思いますが、楽譜からの再現性というと、私の体感では古典派やバロックなど楽譜の情報量が少ない楽曲だと3~4割、近代に近づいてくると5~6割くらいの再現性なのではないでしょうか。
だからこそ、演奏家の役割があるとも言えるのですが。 ──僕がはるか昔に授業で使った音楽の教科書には「何分音符」とか「やや強く」みたいな記号が書いてありました。
平林 「やや強く」と言ってもどれくらい強くするかが全部違うんで、それを決めるのが指揮者であり演奏家ですね。
私の感覚では、楽譜に書ける情報はほんのちょっとしかありません。たとえば2分音符が書いてあっても、それを最後まで伸ばすのか、しぼむように伸ばすのかということまで書けないんです。
それに近い“ディミヌエンド”という記号はあるんですけど、すべての音符に対して細かく書くというのは要素が細かくなりすぎてまったく不可能です。
例えば「強く」といっても、指揮でこれぐらい強いのか…… これぐらいまで強くするのかで変わります。
平林 違います。ピアノの鍵盤をどれぐらい強く叩くのか、ピアニスト1人だったら自分で全部決められます。しかし、オーケストラは何十人と集まっているので、誰かがすべての意思決定をしないと仕事がはじまらないんです。
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