劇場アニメーション作品『HUMAN LOST 人間失格』が2019年11月29日より絶賛公開中です。
監督は木﨑文智さん、ストーリー原案・脚本はSF作家の冲方丁さん、主演キャストは宮野真守さんと花澤香菜さん。スーパーバイザーとして、『踊る大捜査線』で社会現象を巻き起こした本広克行さんも参加しています(劇中には露骨な本広節を感じるシーンがあります)。
まず、『人間失格』といえば、小説家の太宰治さんが1948年に残した最後の作品です。脱稿の1ヶ月後に、彼が入水自殺で命を落とすのは、文学史としてあまりに有名なエピソードでしょう。
日本近代文学の名著である『人間失格』を原案としながらも、本作は大胆に翻案。昭和111年を舞台に、見事なSFダークヒーローアクションとして再構築しています。
この記事では、映画『HUMAN LOST 人間失格』の尖りに尖ったその見所を紹介していきます。
医療技術の驚異的な進歩によって、怪我や病気、あるいは死を克服することになりました。その背景もあって、19時間に及ぶ長時間労働が可能となり、環境を無視した凄まじい経済活動によってGDP世界第1位、年金支給額1億円という経済大国にもなっています。
物語で重要なのが、万能医療ナノマシン、通称「GRMP」です。
遺伝子操作(Genetic manipulation)、再生医療(Regeneration)、医療用ナノマシン(Medical nano-machine)、万能特効薬(Panacea)の頭文字を取った名で、四大医療革命と定義づけられています。
「GRMP」は全国民に投与されており、これによって平均寿命も120歳まで保証されています。
死のリスクを極限まで軽減させ、ユートピアを実現したかに思えますが、その行き過ぎた超高度医療社会によって、人間に多くの歪みが生まれてもいます(19時間労働を続けてたら精神がやられますよね)。
また、薬物や暴走行為によってあえてスリルを感じようとする人間も増加しています。 そんな状況下において、我々が本来持つ「人間性」はいかに機能し、重要なものとなるか。
この思考的な実験が本作の根底にあるテーマといえるでしょう(後述しますが、これは世界観だけみるとほとんど原型が残っていなさそうに見える太宰治『人間失格』を結ぶ線でもあります)。
そして、未来を描くSFにとって、見たことのない「何か」の造形は非常に重要です。 硬派な設定を持つSF作品であると同時に、痛快なアクション映画でもある今作をエンターテイメントたらしてめているのが、異形ともいえる機械やクリーチャーたちのデザインと、そのアニメーションの迫力でしょう。
名著として長年読み続けられている『人間失格』の解釈は様々ありますが、その作品評として「近代的自我」を持て余した人間の破滅と見る向きは強いです。 封建的な社会から解放され、誰しもが個人や「私」という自我に目覚めた時代。その一方で、世間と「私」という自我のずれに苦しんで、身の置き所を見出せなかった自分を埋没させる主人公(太宰自身)の、弱さゆえに衰弱して死んでいく物語が、『人間失格』のあらましです。
自分を貶め、笑い続け、笑われ続ける“道化“にもなりきれなかった孤独な魂。
各登場人物の名前や、キャラクターの造形以外でも、自身も小説家である冲方丁さんは、重厚なSF『HUMAN LOST 人間失格』において、戦後間もない頃に描かれた『人間失格』のそんなテーマをしっかりと下敷きにしています。
劇中でも繰り返しインサートされる「笑え」という父からの命令と、それに対してうまく応えることができなかった自分。『人間失格』を理解する上で“道化”というのは非常に重要で、しつこいくらいに映画でも反復されるモチーフです。
また、物語の重要人物・堀木正雄が人を救う職業・医者であり、かつ彼の開発した薬品によって“死ねなくなった人類”というモチーフも抜群にきいています。
そもそも近代国家が目指していたものは、「人間」を前提に設計されていなかった──社会や国家のため、酷使され続ける人間を延命させる必要性として、同時に近代医学も進歩させる要請があったという論。
言わずもがな、それは『HUMAN LOST 人間失格』の世界観にも直結しています。人間性を後退させた社会。
主人公の大庭葉藏は、そんな「完成された近代社会」(それを現代と呼ぶのかもしれない)のバグによって産み落とされた鬼として、死んだように生きる人間と、死んでるのに生き生きと暴れまくるロスト体の間で苦悩しながら、活躍する存在となっています。
大庭葉藏はこの行き過ぎた世界に対して、どのような解答を提示してくれるのか?
この尖った、あるいは狂った映画に対して、各界から様々な声が上がっています。確かな名作なのですが、もうすぐ上映が終わってしまうということもあり、是非とも今週末に見て欲しいです。
©️2019 HUMAN LOST Project
監督は木﨑文智さん、ストーリー原案・脚本はSF作家の冲方丁さん、主演キャストは宮野真守さんと花澤香菜さん。スーパーバイザーとして、『踊る大捜査線』で社会現象を巻き起こした本広克行さんも参加しています(劇中には露骨な本広節を感じるシーンがあります)。
まず、『人間失格』といえば、小説家の太宰治さんが1948年に残した最後の作品です。脱稿の1ヶ月後に、彼が入水自殺で命を落とすのは、文学史としてあまりに有名なエピソードでしょう。
日本近代文学の名著である『人間失格』を原案としながらも、本作は大胆に翻案。昭和111年を舞台に、見事なSFダークヒーローアクションとして再構築しています。
この記事では、映画『HUMAN LOST 人間失格』の尖りに尖ったその見所を紹介していきます。
その、世界観──超高度医療社会の歪み
舞台は昭和111年。終わらなかった昭和というパラレルワールドの未来において、日本は無病長寿国として発展。医療技術の驚異的な進歩によって、怪我や病気、あるいは死を克服することになりました。その背景もあって、19時間に及ぶ長時間労働が可能となり、環境を無視した凄まじい経済活動によってGDP世界第1位、年金支給額1億円という経済大国にもなっています。
物語で重要なのが、万能医療ナノマシン、通称「GRMP」です。
遺伝子操作(Genetic manipulation)、再生医療(Regeneration)、医療用ナノマシン(Medical nano-machine)、万能特効薬(Panacea)の頭文字を取った名で、四大医療革命と定義づけられています。
「GRMP」は全国民に投与されており、これによって平均寿命も120歳まで保証されています。
死のリスクを極限まで軽減させ、ユートピアを実現したかに思えますが、その行き過ぎた超高度医療社会によって、人間に多くの歪みが生まれてもいます(19時間労働を続けてたら精神がやられますよね)。
また、薬物や暴走行為によってあえてスリルを感じようとする人間も増加しています。 そんな状況下において、我々が本来持つ「人間性」はいかに機能し、重要なものとなるか。
この思考的な実験が本作の根底にあるテーマといえるでしょう(後述しますが、これは世界観だけみるとほとんど原型が残っていなさそうに見える太宰治『人間失格』を結ぶ線でもあります)。
その、デザイン──行かれ過ぎたカッコいい生物と機械
脚本を手がけた冲方丁さんは、もともと『マルドゥック・スクランブル』などのハードSFの書き手として知られており、今作でも彼の強力なSF的アイデアが数多く詰め込まれていると想像できます。そして、未来を描くSFにとって、見たことのない「何か」の造形は非常に重要です。 硬派な設定を持つSF作品であると同時に、痛快なアクション映画でもある今作をエンターテイメントたらしてめているのが、異形ともいえる機械やクリーチャーたちのデザインと、そのアニメーションの迫力でしょう。
『HUMAN LOST 人間失格』と太宰治『人間失格』とを結ぶ線
まず、なんで『人間失格』からこんなSFを思いついたのか……その想像力と企画力に脱帽しますが、意外にも両作を結ぶ線はしっかりとしています。名著として長年読み続けられている『人間失格』の解釈は様々ありますが、その作品評として「近代的自我」を持て余した人間の破滅と見る向きは強いです。 封建的な社会から解放され、誰しもが個人や「私」という自我に目覚めた時代。その一方で、世間と「私」という自我のずれに苦しんで、身の置き所を見出せなかった自分を埋没させる主人公(太宰自身)の、弱さゆえに衰弱して死んでいく物語が、『人間失格』のあらましです。
自分を貶め、笑い続け、笑われ続ける“道化“にもなりきれなかった孤独な魂。
各登場人物の名前や、キャラクターの造形以外でも、自身も小説家である冲方丁さんは、重厚なSF『HUMAN LOST 人間失格』において、戦後間もない頃に描かれた『人間失格』のそんなテーマをしっかりと下敷きにしています。
劇中でも繰り返しインサートされる「笑え」という父からの命令と、それに対してうまく応えることができなかった自分。『人間失格』を理解する上で“道化”というのは非常に重要で、しつこいくらいに映画でも反復されるモチーフです。
また、物語の重要人物・堀木正雄が人を救う職業・医者であり、かつ彼の開発した薬品によって“死ねなくなった人類”というモチーフも抜群にきいています。
これは、『WIERD』でかつて編集長をつとめていた若林恵さんによる近代論です。つまり、近代の産業社会は、その理想形として最初から「超人=ポスト・ヒューマン」を仮想してきたっていうのね。工場ってのは最初っからロボットに最適化されたシステムで、そうなんだけど当初はそんなロボットなんてないから、ヒトをそれに近いものとしてつくりあげるために近代教育が生み出され、修理工場として近代病院ってものが整備されて行ったという。 「いつも未来に驚かされていたい:『WIRED』日本版プリント版刊行休止に関するお知らせ」より
そもそも近代国家が目指していたものは、「人間」を前提に設計されていなかった──社会や国家のため、酷使され続ける人間を延命させる必要性として、同時に近代医学も進歩させる要請があったという論。
言わずもがな、それは『HUMAN LOST 人間失格』の世界観にも直結しています。人間性を後退させた社会。
主人公の大庭葉藏は、そんな「完成された近代社会」(それを現代と呼ぶのかもしれない)のバグによって産み落とされた鬼として、死んだように生きる人間と、死んでるのに生き生きと暴れまくるロスト体の間で苦悩しながら、活躍する存在となっています。
大庭葉藏はこの行き過ぎた世界に対して、どのような解答を提示してくれるのか?
この尖った、あるいは狂った映画に対して、各界から様々な声が上がっています。確かな名作なのですが、もうすぐ上映が終わってしまうということもあり、是非とも今週末に見て欲しいです。
©️2019 HUMAN LOST Project
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