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POPなポイントを3行で

  • 映画祭での初公開から5年、初めて一般公開される『解放区』
  • フィクションと現実の境目が曖昧な、西成が舞台の問題作
  • 表現の自由や助成金問題とのシンクロニシティー

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西成が舞台の映画『解放区』インタビュー 太田監督、琥珀うたが語る問題作

監督・主演・脚本・編集をつとめた太田信吾さん

“<第四の壁>という言葉がある。それは想像上の透明な壁。俳優が立つフィクションの世界と鑑賞者が立つ現実世界との境界を表す概念。多くの映画と違い、映画「解放区」の<第四の壁>はカメラと俳優の間にはない。カメラを構えるスタッフの背後で壁は音を立てて崩れ続けている。今日も、まだ。”

これは映画『解放区』の監督・主演・脚本・編集をつとめた太田信吾さんがTwitterで語ったことである(外部リンク)。その言葉通り、大阪の西成区を映した本作は、どこまでがフィクションなのか曖昧な映画だ。たとえば作中で西成を代表するラッパー、SHINGO☆西成さんが人々に語り掛けるシーンは、彼が普段やっていることなのか、映画のワンシーンなのか区別がつかなかったりする。

『解放区』は2014年の東京国際映画祭スプラッシュ部門にて初公開されるも、映画製作の助成金を出していた大阪市の修正指示に対し、助成金を返上した経緯を持つ。それから5年の月日が経ち、初めて公開されることになった。
奇しくも『解放区』は、表現の自由の問題とシンクロニシティーを起こした2019年に公開を迎える。「あいちトリエンナーレ2019」の「表現の不自由展・その後」の問題から文化庁は補助金不交付を決定した(外部リンク)。

つい先日には映画『宮本から君へ』において、3月にコカイン使用で逮捕され、6月に執行猶予付き有罪判決を受けたピエール瀧さんが出演していたことから、内定していた助成金を不交付にしたことがわかった(外部リンク)。

いま、表現と社会の関係はどうなっているのだろうか? 今回は太田監督や本作に出演した本山大さん、琥珀うたさんらのインタビューを織り交ぜた『解放区』本編のレビューをお届けする。

取材・文:葛西 祝

限りなく現実を映す劇映画

映画『解放区』

映画『解放区』

すでに各地で上映がスタートしており、少なくない観客やメディアから『解放区』に対して戸惑いの声が上がっている。それは本作をどうカテゴライズするかに現れている。“フェイクドキュメンタリー”や “セミドキュメンタリー”と言われているが、そうした映画に見られる諧謔(かいぎゃく)やシニカルなアプローチは『解放区』にはほとんどない。

『解放区』はフィクションの劇映画だ。ただ現実を映す総量が他より莫大なのである。実写映画は現実の俳優、ロケーションを映す以上、少なからずドキュメンタリーの要素を持つ。『解放区』はそうした実写映画の性質を、最大に引き出した手法による映画である。つくり事を超える現実が全編に漏れ出ており、観客をぞわぞわとさせるだろう。

太田監督はどうしてこうした手法にたどり着いたのだろうか?

「大学の時にお蔵入りにした映画があって、長野の山奥で撮影したんです。コンビニも何もない場所でみんな精神的に追い詰められて、主演の女の子をみんなが好きになって、『俺の女だ』って言いだす奴も出てきて、撮影どころじゃなくなったんです」

監督は『解放区』のような映画手法の原点をそう語る。“現場で起きていることのほうが映画の構想より面白くなってしまった”経験を発展させ、「フィクショナルな設定を、現実の中で行うことで、現実が違うアクションを生むプロセスも、映画の中に入れられたら面白いんじゃないかと」と説明する。 映画『解放区』の監督・太田信吾 その手法通り、『解放区』ではほとんどの登場人物の設定が俳優本人に紐づいている。主人公であるドキュメンタリー番組のAD・スヤマにしても、実際に映画監督であり、ドキュメンタリー番組に関わってきた太田監督本人が演じている。

映画のほとんどはハンディカメラで撮影され、彩度が落ち、ぼやけた映像で常に画面が揺れている。作中でそんな映像を批判するように、スヤマは同棲する彼女から「そんなカメラの映像なら誰だって撮れるじゃん」なんてメタなことを言われたりする。しかしこの荒い映像は自虐やジョークではなく、太田監督のコンセプトが貫かれたものだ。

この映画でやりたいことは3つありました。1つはメディア批評です」と太田監督は語る。映画の冒頭でスヤマは、引きこもりのドキュメンタリー撮影クルーの一員として家庭を訪問する。ディレクターは家族と会話に応じず、統合失調症を患った息子という、世間のイメージに沿った「引きこもりとその家族」の番組をつくろうとする。

番組の枠組みから外れた現実を探す

映画『解放区』

引きこもりの男性・ヒロシを演じる本山大さん(左)は、引きこもりではないが本当に統合失調症を患っていた

「メディア批評という点では、自分が番組づくりに携わる中で、枠にはめて取材するパターンがほとんどでした」と太田監督は言う。撮影の最中、スヤマはこっそりと部屋に引きこもる息子・ヒロシの部屋へ向かう。ヒロシの部屋から流れる音楽をきっかけに、スヤマは会話を切り出すとミュージシャンの話で盛り上がり、あっさり部屋に入るのだ。

「そうした番組づくりに対する疑問というか、実際に現場に行って、現場にある驚きや発見から常に(考えを)更新されていくようなことがあっても、それを(番組づくりに)取り込めないということ。それと(番組の中で)カメラで撮影する人間側は存在しないことになっているという違和感です」

ディレクターは「音楽の話なんてどうでもいいんだよ!」とスヤマに叫び、自然に関係を紡げていたところを壊す。ありがちな社会問題の枠組みでヒロシを映そうとする。

「番組で撮影しているものはネタでしかなくて、じゃあ何か問題があったとき、番組をつくっている彼らは生活をどう変えるかとか、どう、それを見てしまったことの落とし前をつけるのかが物足りないというか。あらかじめ構成された台本に沿って、そこから外れるものは出せなかったり、“取材する記者である私”の主観は出せないという疑問はすごくありました」

太田監督は自身のスタンスを「誰がどうやって見たのか、という立場から見せていかないと、観る人に誤解を生んじゃうんじゃないかなと。だからこそカメラの内側の、撮影クルーたちも(『解放区』では)出てくるんです」とまとめた。

太田監督は「演じるっていうより、そのままの自分を半分出しています」と、「当事者が、当事者を演じ直す」ことを重視したと語っている。引きこもりの男性・ヒロシを演じた本山大さんは、引きこもりではないが本当に統合失調症を患っていた。「病気っていうのは職場には隠しているんで」と語る本山さんと太田監督は大学時代からの仲であり、それが『解放区』中盤以降のシーンに活かされている。

西成へ、現実を探しにいく

スヤマは勝手な行動をディレクターに咎められてから、自分のドキュメンタリーをつくろうと、以前大阪で出会った2人の不良少年・ショウタとタカヒロを撮影した映像をもとにコンペティションへ向かう。しかし結果は芳しくなく、改めて彼らのドキュメンタリーを撮るため、単身大阪へと向かう。2人の足取りをたどる中で、スヤマは西成へと足を踏み入れていく。

「(映画でやりたいことの)2つ目は、西成の街に思いをはせることです」と語る太田監督。スヤマはヒロシを西成へと呼び寄せ、共にショウタたちを探そうとする。

「労働力を使い捨ててつくったゆえの街の現実がシャブであったり、酒に溺れる人だったりが溢れる場所にしっかり目を向けることと、(映画でやりたいことの3つ目として)人間の弱さを受け入れた上で、支え合って生きていくことを描いていきたいんです

しかし一向に見つからないまま、スヤマは飲み屋で出会った女の子と行きずりのセックスをして、お金を盗まれてしまう。映画がターニングポイントを迎えるシーンでその女の子を演じたのが元セクシー女優の琥珀うたさんだ。
映画『解放区』に出演した琥珀うたさん

琥珀うたさん

「お話をいただいたときに『あっ西成!』ていう。10代のときに西成に行ったんで、どういう場所かだいたい想像がついていたんですけど、あんなに過酷な現場だとは思わなかったですね(笑)」と、琥珀さんは『解放区』での経験を語る。

撮影された2013年当時、現役の女優として活動していた琥珀さんは、どうして『解放区』に出演したのだろうか?「なんでだっけ?」と琥珀さんは太田監督に言う。『花鳥籠』『FLARE〜フレア〜』で太田監督と共演し、そこで監督は「演技力がすごい」と感じたことで出演を依頼したという。琥珀さんはそんな太田監督の説明を「えー! 会ってったんだ!」と驚きながら聞いていた。

「監督と共演していたことも覚えてないくらい、当時すっごい忙しかった時期なんですよ。月に33現場とか行ってる時期があって、現場ごとの記憶がそんなにないっていうか(笑)。私、AVの現場でもハードなエグいことを死ぬほどやってきて、気がついたら土に埋まるくらいまでやったんですけど(笑)、この作品だけはすっごい記憶に残ってます」

琥珀さんには撮影時、西成で銭湯を借りたときの印象的だったエピソードがあるという。

「銭湯で石けんを借りた、和彫りまみれで指のない女の人はパンチが効いてましたね。何をしたんだろうっていう。あと自販機の間に入って暖をとっている人とか、『流れ弾注意!』って看板があったりとか。流れ弾は注意できねえだろって(笑)」

金を無くしたスヤマは、東京の恋人にお金を頼むも出ていかれてしまい、ヒロシにお金を無心しながらショウタたちを探し続ける。あいりん総合センターで日払いの解体作業を請負い、慣れない作業で足を痛めながら、足取りをたどり続け、ついに行方がわかるも失望する結果だった。それでもスヤマは西成を離れない。

助成金を出していた大阪市からのチェック

映画『解放区』

映画『解放区』

つくり事でない現実が観客を動揺させる内容だが、そもそも『解放区』制作に関係していた団体ですらそうだった。制作に助成金を出していた大阪市である。

『解放区』はもともと2013年に撮影が始まった映画だ。当初、西成区を撮影することや、映画の手法について大阪市に説明し承諾をもらっていた。ところが編集の段階でチェックが入る。

「映画祭でお披露目するというときにストップがかかって、10か所くらい大阪市からカットの要望がありました。西成の街だとわかる描写は全部カット。覚せい剤の描写だったり、本山さんの統合失調症という病名や、『この街はどん底』という差別的な表現は削ってくださいと言われました」

太田監督は『解放区』の根幹を為す大部分のカットを要請されたという。「それは削れないという話になって、ぎりぎり再編集を粘って、どこまで自分が譲れるかやったんですけど、それでもラチがあかなかった」と粘ったものの、最後には助成金の返還を決める。以降、インディペンデントで制作することを決定する

2012年から大阪市は、当時市長をつとめていた橋下徹さんの“西成特区構想”による再開発が始まっており、同地区の不都合な現実を映していたのも関係していた。

西成の街で演技した本山さんも「実景で歩いていたときも『タワーマンションすごいな』みたいなことを話していました」と語る。「あいりん総合センターの窓から、当時日本で一番高いといわれていたあべのハルカスが見えて、(大阪市の)発展の象徴的なビルと、労働者たちの街のコントラストが、残酷なほど近くにありました」と太田監督は振り返る。

「再開発の波が西成のほうに来ている状態ですね」。2019年、あいりん総合センターは閉鎖され、建物の耐震性に問題があるため、取り壊されることが発表されている(外部リンク)。『解放区』には在りし日の西成が記録されるとともに、再開発により社会から何かが見えなくされていく過程も映していると言える。

「労働者も高齢化していて、仕事もなくなりつつあるので、あの街も役目を終えたというのがあると思います」。現在、2025年の大阪市で開催を予定される「日本万国博覧会」を前に2017年、あいりん地区前の新今宮駅前に星野リゾートがホテルを建設すると発表されている(外部リンク)。『解放区』は西成がターニングポイントを迎えたころを映している意味も大きい

社会が表現を助成することについて

映画『解放区』

映画『解放区』

『解放区』が公開された2019年、さらに表現における反社会的な要素に対する反発が強まる事態がいくつも現れる。「あいちトリエンナーレ2019」の問題や、真利子哲也監督の『宮本から君へ』の助成金の問題である。これらは関係者の多くが文化庁に反対する意見を表明している。

しかし文化庁の助成金に関する問題は関係者側だけでなく、外野にとってはそれがどういうことかまったく理解できていない側面もあるだろう。

10月から『真実』が公開中の是枝裕和監督も、前年の『万引き家族』はカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞。こちらも文化庁から助成金を得たものだ。

ところがSNS上の一部の意見では、「文化庁のお金で“万引き”と日本のイメージを悪くする映画をやるのはどうか」「日本を“万引き”という言葉で咎めるな」という意見が溢れた(外部リンク)。助成金を使って、日本から見えないものとされているものを描くことに拒否反応を起こしているわけだ。

太田監督はあいちトリエンナーレ助成金の問題について慎重な立場である。『解放区』での経験のあと、韓国から助成金を受けて新作を製作しており、日韓における助成金の違いについて語ってくれた。

「今回の映画のあと、韓国の文化庁や、釜山国際映画祭から助成金をもらって、次の映画を撮ったんです。また、これは撮影には入っていないのですが、釜山国際映画祭は脚本にもお金を出してくれました」

太田監督は日韓での決定的な助成金の違いを「やはり日本の助成システムは成果物に(お金を)出すっていう、役人側の視点で発想されているシステムだと感じます。韓国ですごく感じたのは、(映画製作の)プロセスに(お金を)出している、種を撒くことに助成金が投じられています」と指摘する。

「成果というよりかは、そのプロセスをどう過ごすかというところで、あまり成果を求められないというか。むしろもっと長い目で見てくれる。締め切りについても、日本だと来年の年度末に(作品を)出さなきゃいけないところを韓国は延ばすし、先にお金が出ています」

「(日本の助成金は)アーティストのものになっていない気がします」と太田監督は語る。特に現場で起きることにレスポンスし続ける太田監督の手法とは、やはり相容れない部分があったのかもしれない。

「(作品を製作していると)常に考えを更新していきます。根幹がありながらも、試行錯誤していくので、すべて計画通りにいくことが、僕にとっては足かせにしかならないんです」

『解放区』を経て表現が探し出すもの

現実の政策が、社会に存在しているはずのものを、見えないものとして追いやっていく。『解放区』は西成区を映していることや、特徴的な映画手法に引きずられてしまうが、根本的には主人公であるスヤマが社会に存在しながらも、見えなくされているものを見るために生身で飛び込んでいく映画である。

現実とフィクションが曖昧な構造は、何が社会から見えなくされ、どうやってそれを見つけ出せるのかの葛藤そのものだ。スヤマが何もかも無くしながら、消えたショウタたちを探し続けることは、その葛藤をそのまま映している。

何かを見えなくしていく社会と、何かを見ようとする表現の関係──いま『解放区』を観に行くことは、リアルタイムで進行している両者について考えるきっかけになるだろう。

(c)2019「解放区」上映委員会

表現の深淵をのぞく

葛西 祝 // かさい はじめ

ライター

ジャンル複合ライティング業者。ビデオゲームや格闘技、アニメーションや映画、アートが他のジャンルと絡むときに生まれる価値についてを主に書いています。

Twitter:@EAbase887
ポートフォリオサイト:http://site-1400789-9271-5372.strikingly.com/

葛西 祝

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作品情報

解放区(かいほうく)

公開日 2019年10月18日からテアトル新宿にて上映中
監督・脚本・編集・出演 太田信吾

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