「警察と毎日追いかけっ子してました」

14歳まで徳島県で生まれ育ったというさなりさんに、地元に関することもいくつか聞いてきた。これまでにインタビューでは話してこなかったという過去の話。始まりは、徳島を離れた14歳まで遡る。

門司港にて

──「有名になりたかった」という思いがデビューにつながったと話していましたが、その思いには理由があるんでしょうか?

さなり 「有名になりたい」って気持ちはかなり小さい頃から持ってたと思います。周りに「俺の存在を認めさせてやるんだ!」って気持ちがなくはなかったかな。

──学校にはあまり行っていなかったと聞きました。小中時代のそうした経験も背景にあるんでしょうか?

さなり そうなのかな。馬鹿にされてたみたいなことはなかったですけど...まあ嫌われてたんすよ。学校の中でやんちゃしたりして悪目立ちしてたんで、狭い世界だったから変な噂が流れたり。実際に悪いこともしてはいたし。「普通でいたくない」って欲が、そういうやんちゃなことだったりしたんですけど。

──悪いことってどんなことを?

さなり 警察と毎日追いかけっ子したりとか。

──追いかけっこ!毎日...!

さなり はい、毎日。警官と喧嘩したりして。中学生の頃から友達と遊ぶのが楽しくて、ろくに学校も行ってなかったんですけど、ドロップアウトっていうのかな? ただ、地元じゃ学校に行かなくとなると、そのあとは鳶になるかもっと悪いことする人になるかなんですけど、僕はそれが絶対に嫌だった。とにかく「普通」が嫌だったんです。 ──普通が嫌だというのはなぜでしょう?

さなり 常識っていうものが好きじゃないんです。そこを疑わないのはなんでなんだろうって思う。僕は中2の後半に神戸に引っ越したんですけど、普通に学校に行く気もなかったから引きこもってて、その間は曲をつくってました。

──今につながる話ですね。

さなり ただ楽しくて曲づくりやYouTubeの活動をしてたんですけど、そこからもっと、「自分は他人と違う」ことをもっと周囲に認めさせたい気持ちが湧いてきた。とにかく何か結果を残したくてオーディションを受けまくって。それで去年デビューしたって感じですね。

国の重要文化財に指定されている門司港駅にて。3月に改修が終わったばかり

有名になりたい

このシンプルな欲求と、地元・徳島の友人たちを見返したいという気持ちが相まって、地方からのいわゆる「成り上がり」を現在進行形で体現し、今や1人のアーティストとして日々を送るさなりさん。

どちらかといえばクールな印象のある彼が言葉にした強固な思いは、今も彼の原動力となって、その歩みを支えている。 門司港レトロでの撮りおろし写真を見る

「自信って、どうやってつくの?」地元の高校生と語る

さなりさんは地元の徳島を離れ、若干15歳で親元も離れ上京。アーティストとして生きている。さなりさんと同じくらいの年齢であれば、学校へ行き、勉強をし、友人と遊ぶ。そんな青春を過ごしている10代がほとんどだろう。 「中学校なかばくらいから、学校はほとんど行かなかった」というさなりさんは、以前に出演した恋愛リアリティー番組では「青春の疑似体験をした」とも語っている。そんな彼に、「いま学校に行くとしたら何をしたい?」と聞いてみた。

「なんだろう。友達と待ち合わせてしょうもない話をしながら登校して、普通に授業を受けて、ちょっといい感じの女の子としゃべって、給食を食べて昼休みに友達と遊んで──。そういうなんでもない当たり前のことをやりたいですね」と、静かに答える。 今回の旅では、若くして「地元」「学校」から離れたさなりさんに、地元の学生たちと触れ合う機会を設けた。集まってくれたのは、全国でも数少ない演劇専門の専攻を擁する東筑紫学園高校の生徒の方々だ。

それぞれ女優、声優、歌い手などの夢を持ち、日々勉学に励むみなさんに加え、昨年、北九州市にある明治学園高校在学中に「株式会社RATEL」を起業したe-Sportsプレイヤー・吉村信平さんをゲストに招き、語り合ってもらった。 東筑紫学園高校の生徒たちからは、「親に夢を反対されてて悩んでいる」という悩みが多く挙げられた。

吉村信平さん。e-Sportsプレーヤーでもあり、高校在学中に「esportsが愛される世界」を目指し「株式会社RATEL」(ラーテル)を起業した19歳の経営者でもある。昨年度に明治学園高校を卒業

自身も親から「ゲームで生きていくなんて」と反対されていたという吉村さんは、「ぼくも親には反対されていたんですけど、同時に『結果を出せばいいよ』といわれていました。だから勉強はすごく頑張ったし、起業してからはアプリのダウンロード数や売上をしっかり残して親を説得しましたね」と語る。

起業家として投資家を相手に自身をプレゼンし、しっかり資金調達してきた吉村さんの言葉だからこそ説得力は大きい。 さなりさんも、「自分が周りとは違う」ことを認めさせたい一心で、オーディションで存在感を発揮。そこから1ステップずつ結果を残してステージを駆け上っている。そんな彼に、同世代から「自信」についての質問が飛ぶ。 「緊張でいつも震える」「声がうわずってしまう」「ステージの前はどんな気持ちで臨むのか」──。吉村さんも、やはり「投資家にプレゼンするときは、スタッフの生活がかかっているのでもう逃げられない。そのときに自分の事業が認めてもらえる(お金が集まる)かを考えると緊張する」と話す。 吉村 「何においても自分が正しいと信じるしかないと思うんですが、学校ではアーティストについて教えてくれない。だから自分を信じ切れるアーティストって凄いなって思うんですけど、その自信はどこから来るんですか?」

さなり 「お客さんと会うのは楽しみなので、ワクワクのほうが大きい。あんまり複雑なことは考えず、『行くぞー!』って。あんまり緊張はしないんです。自信みたいなものは、僕の「成功」のハードルが結構低いからくるんだと思うんですよ。『曲ができた』『最強だぜって思うフレーズができた』──。それぐらいラフに、“小さな成功”から自信を得てきました。自分の手に余りそうなときは、自分をだましてやりきるか、逃げる。それでいいと思いいます」

吉村 「ゲーム脳ですね。ゲームも、小さなことでも何かをクリアするたびにレベルアップして、それが積み重なってクリアできる。漠然とした大きな理想と自分を比べるより、目の前にある好きなことをひとつひとつ楽しんでやったほうがいいですよね」 今日集まってくれた生徒たち、また同世代のひとたちに投げかけたいことは何か? 2人にそう聞いてみた。

吉村 シンプルに、高校生のうちに動いていたほうがいいと思います。たとえばTwitterでDMを送って熱意を伝えたら、「将来のある学生だから」って会ってくれる人もいます。高校生や10代ってだけで、ぼくらはスーパーな武器を持っているんですよ。それは自覚していいと思いますし、ガンガン活用したほうがいいと思います。 さなり ぼくは中2から学校にあまり行かず友達と遊んでました。学校に行かないからダメとか、そういう常識やルールを鵜呑みにする必要はなくて、疑ってもいい。周りの同調圧力に合わせなくていい。

自分がめちゃくちゃやりたいと思ったことに対して、親や先生の言うことがもし違うと思ったら、必要以上に聞かなくてもいい。ぼくはとにかく有名になりたかったんですけど、そういう自分の欲求に素直になるのが一番だと思います。 この場では、「東京に憧れているひとは?」という質問に対し、多くの生徒たちが「憧れている」と答えた。10代の若者、チャンスを掴みたいひと、新しい世界や経験を望むひとにとって、都会が魅力的に映るのは当然のことだ。

福岡出身の筆者にとっても、10代だったころ、地元は“一刻も早く出て行きたい場所”だった。

事実、さなりさんも「東京が楽しくて仕方ない」と話す。吉村さんも、「人から得られる情報の量」には圧倒的な差があると、東京について話す。 一方で、インターネットやテクノロジーの普及によって“何をやるにも場所は関係なくなっている”というのも語るまでもない事実だ。実力や自信があればいかようにも切り開くことができるというのも、単なる理想論ではないと感じる。

その自信に必要なものは、さなりさんがいうように、自分が小さな成功を積み重ねていくことだ。その小さなタネは、“まだ見ぬどこか遠くの世界”ではなく、いま自分の目の前に転がっている

今回協力してくれた東筑紫学園高校・演劇科専攻の皆さん

「悪いイメージを逆手に取ってユーモアで返していけばいい」

北九州を回る2日間の旅の時間はあっという間に過ぎた。

古いものと新しいものが一緒にあって、色んなものがミックスされてる印象でした。城や古い市場があるかと思ったら、新しいモールやビルの光が灯った綺麗な夜景があるし、自然もちょうどよく混ざっている」と、さなりさんは北九州市について振り返る。 「学生と話すと聞いたときは、もっとやんちゃな人たちと話すのかと思いました。自分のまわりのひともそういう同世代が多いので(笑)。でもみんなすごく真面目だったのでびっくりしました」。

冒頭でもあったように、さなりさんは常に自然体だ。若さゆえの奔放さも隠さないし、必要以上に「自分自身から離れた自分」を演じない。

2日間接して、しばしば「“さなり”なんだから、もっとカッコつけたほうがいいんじゃ…」と、筆者が思うことすらあった。 そんなさなりさんに、北九州市職員の石川裕之さんは「ファンからの反応に対して、『俺は本当はこういう人間なのに』とギャップを感じることはないんですか?」と問う。

「ファンが思っている自分と、自分が思っている自分との間にギャップがあまりなくて、SNSのコメントとかを見てても、意外と分かってくれてるんやってことのほうが多いんです。変なことしてても、『またやってるよ(笑)』みたいな反応も多いんですよ」とさなりさん。

かつて北九州市を訪れた、元“ぼくのりりっくのぼうよみ”ことたなかさんは、こう語っていた。

「僕はSNSで発信するときやメディアに露出する際、自分を支持してくれている層ごとに自分の見え方を変えている部分があります。だから、一定層のファンが自分に期待しているイメージと、僕が僕に対して思う実態との間には少なからずギャップが生まれるし、それを意識的に生んでいるところもあるんです」

さなりさんは、こうしたスタンスとは逆の振る舞いをとっているといっていい。「スターさなり」を演じない。彼が意識している数少ないことのうちのひとつが、「カッコつけすぎない」ということなのだという。 北九州市は、地域に根深く残る過去のネガティブな事実やステレオタイプと、現状とのギャップに苦しむ地域でもある。

北九州市の刑法犯認知件数が、政令指定都市20市のうち上から12番目で劇的に減少していること、公害を克服した都市として海外のモデルケースとなっていること、政令指定都市の住みやすい街ランキングで1位に選ばれるなどの事実は、手榴弾や暴力団といった、北九州市が揶揄される「修羅の国」というイメージに覆い隠されている。

北九州市企画調整局 地方創生推進室 石川裕之さん

「事実に沿ってイメージを改善したいんですが、どうしても昔の出来事が邪魔をするというか、北九州市というだけでいじられるんです」と石川さん。

するとさなりさんは、「ぼくなら、イメージを変えないかもしれない」と一言。

「ぼくはTwitterでツイートするときは、ファンがリプライでツッコむことができる余白を残したりするんです。それかあえて自虐する。つまり、ダサい自分を見せて、カッコつけない。自虐してツッコミどころを残すんです」。 これは半分意図的、半分自然体で行っている彼なりのブランディングだという。「16歳の悪ガキ」として、それを隠さずそのままさらけ出す。「誰に否定されてもそれを無視して我が道をゆく」という一貫した姿勢がファンに伝わることで、自然とファンが思う自分と自分が思う自分のギャップに苦しむこともないのだという。

自虐と余白ですね。逆手に取ってユーモアで返していく。そのほうがカッコよくないですか? 手榴弾も全部ネタに使っていけばいいと思うんです。変にカッコつけすぎたら、逆に危ないというか」。

変に背伸びすると、かえってリスクがともなう。これは街おこしや地方創生に関わる全国の地域にとって、もしかしたらドキッとする言葉かもしれない。

地方は、カッコつけなくていいのかもしれない

小倉市の紫川。文豪・森鴎外に因んで名付けられた「鴎外橋」から

さて、福岡市出身の筆者は上京して7年が経つが、これまで、北九州市には行ったことがなかった。

北九州空港から小倉に向かう道すがらの静かな工業地帯、海と空を見据える開放感ある門司港、圧巻の夜景を臨む皿倉山。スポットだけでなく、旦過市場のところどころから聞こえる「ほら、これも食べていかんね!いいのいいの!」という威勢のいい声、喫茶店のマスターが北九州市について話す頑固そうな表情、さなりさんを見つけるなり挙がる高校生たちの歓声。

それらを、東京へ帰る機内でうたた寝しながら思い返す。すぐそこにありながら足を運ぶことのなかった北九州市の情景が、ありありと思い浮かぶ。 2日間訪れたことで得られたひとつひとつの小さな地域の良さは、もしかしたら多くのひとの目にとまる大きな見出しにはならないかもしれない。しかし、小さな内実が、訪れた人の体験を確実に揺さぶる。

「カッコつけなくていい」。奔放で無邪気なさなりさんから放たれた言葉は、多くの同世代、全国の地方に投げかけているひとつの真実のような気がした。

北九州市の旅をもとに楽曲・MVを制作!

さなり / Life goes on

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北九州市わず スターフライヤーでした🤗 #starflyer #PR

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協力:スターフライヤー さなりさんの北九州旅の記録

超個性的アーティストと北九州市の邂逅

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プロフィール

本田悠喜 // Yuuki Honda

本田悠喜 // Yuuki Honda

Editor / Writer

1993年生。福岡県出身。大学でメディア学を専攻。卒業後、自転車での日本一周に出発。同時にライターとしてのキャリアをスタート。道中複数の媒体に寄稿しながら約5000kmを走破。以降『NEUT Magazine』などさまざまな媒体で執筆・編集を行う。好きなサッカーチームはリバプールFC。YNWA.

黒羽政士 // Masashi Kuroha

黒羽政士 // Masashi Kuroha

Photographer

1988年生まれ。写真家・鈴木心のアシスタントを経て、2018年に独立。
趣味は同人誌制作。週刊少年ジャンプを毎週買っています。

和田拓也 // Wada Takuya

和田拓也 // Wada Takuya

Editor / Writer

1986年生まれ。Web媒体を中心に執筆・編集を行っている。ストリートやカウンターカルチャーが好きです。

Hyori

Hyori

Photographer / Videographer

様々なジャンルで活動する16歳のアーティスト。
写真では、TGCやDNCE、Celine Farachなどを撮影。映像では”さなり”の「Mayday」のMVを監督。
ペイントの活動では、LAと東京を本拠地とするスケボーブランド” ERASED”とコラボ。
7月には主催音楽イベント”NEVER LEVEN”を開催。

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