安室奈美恵は祈らない
もちろん、シンガーとして歌う曲こそが彼女自身のメッセージでもあり、その意味では多作なアーティストとしての安室奈美恵は饒舌そのものだった。小室時代からNao'ymtやT.Kura&michicoらが主に手がけた中期はもちろん引退に至るまで、安室奈美恵のメッセージは一貫して変わらない。
そうだから Baby 悲しまないで
考えても分かんない時もあるって
散々でも前に続く道のどこかに 望みはあるから 安室奈美恵「Baby Don't Cry」より
彼女はあらゆる歌で、あらゆるダンスで、繰り返し同じことをファンに呼びかける。なりたい自分になる──それが最もシンプルで最も難しいからこそ、一貫して愚直なメッセージとして歌い続けた(いわゆるマイルドヤンキー層の人気コンテンツ『ONE PIECE』と共鳴した理由もここにあるように思う。3回ものコラボを果たし、ファイナルツアーでも同作は重要な演出を担った)。
ラストアルバムの表題曲「Finally」は、報道番組『ニュースZERO』の主題歌だった。
毎日起こる事件や様々な問題が報道される番組の主題歌であること、自身のキャリアを締めくくる楽曲であること。その双方がどこかで響きあうようにと、切なさではなく前向きな楽曲にしたいという一心で作詞家と何度もやりとりを重ねたという。
切なく聴こえてしまうかもしれない箇所はすべて、何度も書き直してもらったと振り返るほど、そのこだわりは徹底されている。
これまでと同様に、困難に立ち向かう意思がやはり楽曲には込められている。過去を思えば、キャリアの最後に報道番組の主題歌を飾ったことの意味も小さくない。守るものがあるから 強くなれるの 光差し込む未知の世界へ
両手広げて 全て受け止めるから 輝かしい未来へ Finally安室奈美恵「Finally」より
愛とは祈りで、祈りとは祝詞だ。だから祈りとは言葉でもある。
口先だけの言葉を弄して祈ることを潔しとしなかった安室奈美恵は、小室時代からの代表曲「Don't wanna cry」で“祈るだけじゃもう届かない”と歌う安室奈美恵は、言葉ではなく全身全霊をもって、最後までファン一人ひとりに語りかけ続けた。
安室奈美恵は決して、自分がファンにとっての憧れの存在であろうとしたわけではない。彼女は、ファン一人ひとりがなりたい自分になってほしいと願い、その先鞭として自らがなりたい自分であり続けたのだ。
安室奈美恵が打ち立てた数々の記録。その一つ一つをつぶさに紹介することはしないが、10代・20代・30代・40代という、自身の年齢的キャリア4世代にわたってミリオンセラーを達成したソロアーティストは彼女の他に存在しない(2019年1月現在)。
平成4年にキャリアをスタートさせて平成の終わりを目前に引退した安室奈美恵が、目まぐるしく変化する平成の時代時代ごとに愛され続けてきたことを、この記録は端的な事実として示している。
アイドルからユーロビート、ダンスミュージック、HIPHOP、R&B…自分自身の喜びと同時代性を同居させてきた、強さとしなやかさで駆け抜けた安室奈美恵の軌跡から、時代と並走するということ、POPSに寄り添うということの難しさと大切さに改めて思いを馳せる。
彼女の纏うまっさらなイメージは、純真無垢であることの象徴ではなく、強靭でしなやかな意志によって勝ち取ったものだ。
彼女こそは、平成を象徴する歌姫だった
かつての山口百恵がそうであったように、彼女が今後、公の場に姿を現すことはないだろう。安室奈美恵こそは、確固たる“アーティスト像”をつくりあげて時代と並走しながら、一方でメディアに押し付けられそうになる都合の良い“安室奈美恵というキャラクター”として消費されることを拒み続けた、両義的な存在だった。
彼女の音楽はそれ単体でも比類なく優れたものだったし、自らが選び取った“安室奈美恵”の生き様それ自体が強い説得力でもあったからこそ、その歌は強く長く平成という時代に響き渡った。
そんなことが許される時代は、この先訪れることはないかもしれない。
過度に情報化され、それが事実であろうと虚構であろうとお構いなしにすべてが晒されるべきだという性急な欲望が傑出した現在にあって、消費されることを拒み自らメッセージを選び取ることは、きっとますます難しくなるだろう。
彼女の引退で平成という時代に幕が降りる意味は大きい。
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