『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』──2007年のサマー・オブ・ラブとは?

僕らはサード・サマー・オブ・ラブの時代を生きていた

本書の目次の序章にあたる「僕らはサード・サマー・オブ・ラブの時代を生きていた」は、柴さんが2013年1月に更新した(ほぼ)同タイトルのブログエントリを指していると思われる。

そこでは、初音ミクが世に出た2007年を、かつて音楽を媒介として若者が起こした、世界を変革させようとするムーブメントである「サマー・オブ・ラブ」の時代に見立てている。

詳しくは現在も公開されているブログエントリを参照してほしいが、そこでは、初音ミクを中心としたボーカロイド文化の未来を考察している。

同エントリが公開されて1年以上が経って刊行される本書が、そこからどのような論考を展開しているのか。初音ミク、そして音楽の未来に思いを巡らすすべての人に必見の書籍となるだろう。

歴史は繰り返す。ムーブメントそれ自体は、数年で下火になる。それは宿命のようなものだ。沢山の商売人が飛びついてきて、そして舌を鳴らしながら去っていく。したり顔で、得意げに「もう終わった」とささやく人が、沢山あらわれる。大手コンビニのキャラクターに「初音ミク」が登場し、何度もテレビで特集されるようになって、ニコ動とボカロを母体に生まれた「サード・サマー・オブ・ラブ」というムーブメントは、人知れず終わっていたのだと思う。

しかし、そのことを悲観することもないと、僕は思っている。二つの「サマー・オブ・ラブ」と「2007年」をつなぐことで、僕たちは歴史に学ぶことができる。

ブームは去っても、カルチャーは死なない。

サマー・オブ・ラブの季節が終わりを迎えても、ロックやクラブミュージックは、今も形を変えながら若者たちのものであり続ける。それと同じように、2007年のインターネットが宿していた熱も、この先長く生き続け、刺激的なカルチャーを生み出し続けるだろうと僕は思っている。ひょっとしたらこの先、ボーカロイドのブームは下火になるかもしれない。しかしそこで生まれた「n次創作的に共有するポップアイコン」というイメージは、これからのポップカルチャーのあり方を規定する価値観の一つになっていくはずだと思っている。 柴那典さん 僕らは「サード・サマー・オブ・ラブ」の時代を生きていた より

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