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音楽理論を身につけた中学生

「本格的に音楽に目覚めていったエピソードなども聞きました」

小学5年生くらいの時に全校合奏があって、校長先生に三味線を習って弾いてましたね。そこから弦楽器に興味をもって、主人にエレキギターを買ってもらって、教えてもらっていました。

中学では、1年生の時から合唱コンクールのピアノの伴奏を自分で引き受けていました。でも、2年生での課題曲が難しくて、それで初めてピアノをちゃんと習い始めましたね。ゆっぺ母

「エリーゼ弾けるしできるっしょ、みたいに周囲にはやしたてられて、『やっちゃう?』みたいな。でも実際は全然ダメで、ピアノ習わせてくださいって頼みました。それで初めてちゃんとした演奏方法を学んだんですけど、本番で一発目の音を思いっきり外して、ざわつきましたね(笑)」

家族旅行でホテルにピアノがあると、従業員さんに頼んで、『今日の気分を曲にするとこんな感じ』って即興でよく弾いてました。従業員さんが『素敵だった』と褒めてジュースをおごってくれたことがあって、『初めてのギャラだね』なんて話したものです。ゆっぺ母

「そうでしたそうでした。弟と楽器屋に通って、『曲ってどうやってできてんの?』とか『1曲の中で使っていい音は基本的には7個しかない』みたいな、いわゆる楽典理論を習得したんですよね。だから、なぜか中学でセッション(即興)できてましたね。キッズバンドを組んでおじいちゃんおばあちゃんの前でライブしたり、楽器店のコンサートに応募して出演したり」

ある時、クラスメイトを家に集めて、夜な夜なみんなでこそこそ何かやっていて。後から知ったんですけど、自分で曲をつくってみんなで歌ってそれをCDにして、家族や友達に販売して集めたお金を、新潟県中越地震の義援金として寄付していました。ゆっぺ母

「これはいい話だ!」

「当時、募金がめっちゃ流行ってたんですよね。じゃあ俺らもなんかやるべってなって、しょぼい機材でどうにか録音してCDつくって、1枚100円とかで売ったものを役場に募金しました(笑)」

「普通にいい話じゃん」

「いやー、結局は目立ちたかったんですよね」

「それが初めてCDをつくって販売した経験ですか?」

「そうですね。楽典理論を理解して作曲したのも初めてでした」

「原点はここなんですよね。自分も目立ちたい、それで人を幸せにしたい。理想のアーティスト像という話も腑に落ちました」

「んー…音楽の力みたいなものを信じていた時代だったんで

とにかく勉強が退屈だったんですよ。すげー嫌だった。音楽というおもちゃを手に入れてしまって、音楽という教科もあるし一応勉強だっていうのを言い訳にやり続けてた。実際、音楽と数学ってすごい近しいんです。コード進行って数式を解いてるみたいで。元々音楽のロジカルなところに興味があったから、ボカロに興味をもったのも自然だと思う」

高校でのフェス出場から、歓声ジャンキーに

「高校で、いよいよ本格的にバンドを始めたんですよね?」

「ジャズ部に所属してビッグバンドをやってた経験が大きいですね。アドリブでのソロパートがそれぞれにあるんだけど、高校生だからできないんですよね。もう時効だと思うけど、高校生で楽典理論もコードもわかってる人間なんて俺以外にいないから、アドリブ用の譜面をつくってあげて、その報酬としてパンを荒稼ぎしてました(笑)」

「外でのバンド活動も続けていたんですか?」

「ポップなメタルバンドを組んでて、企画を組んで夜な夜なライブハウスでライブしてました。『ROCK IN JAPAN FES』も関わってる『TEENS ROCK IN HITACHINAKA』っていう大きいフェスに出たことがあったんです」

「すごいですね、それは普通にオーディションで?」

「そうです。良い子ちゃんなフリしてオーディション受けて、いざライブをやったら、ビックリするくらい盛り上がったんですよ。それで高まりすぎたギターがなぜかロンドンコーリングしだして……」

ザ・クラッシュ『ロンドン・コーリング』ジャケット

ザ・クラッシュ『ロンドン・コーリング』ジャケット

「後援に茨城県の教育委員会が入ってるもんだから、『あれは破壊行為だ』ってキレられて一時間くらい説教受けました。おまえらはもう二度と出るなって。でも、それで味をしめたところがあって、そこから人生狂いだした感じはしますね」

「そんな盛り上がったらね」

「それがゆっぺくんの初めての成功体験なんだ」

「完全に歓声ジャンキーになりました。でも、高校卒業後は就職や進学でバンドは解散してしまったので、僕は親に頼み込んで東京の音楽専門学校に行かせてもらったんです。その専門学校が全然面白くなかった…」

『アナル解放拳』と『うんこブリッジマウンテン』

最初は、普通に大学にいってほしかったですよ。私も主人も教員で、息子にも教員になってほしい気持ちが私にはありました。けれど、主人は若い頃、自分も音楽に打ち込んでいたので、応援してやりたいということで、専門学校に通わせることになりました。ゆっぺ母

「授業で教わることが知っていることばかりだし、質問しても、理論以上の理由を教えてくれない。先生も職業であって音楽のプロではなかったんです。しかも、譜面の書き方が数mmでもズレたら怒られ、指定の筆記用具じゃなければ授業受けさせない、みたいな。決め手になったのは、クラスの同期をセッションに誘っても、みんなドライで誰も参加してくれない。おまえら何のために音楽学んでるんだよって思ってました。

授業料払ってくれてる親にも申し訳なかったっす。少しでも期待に応えたいっていう気持ちだったけど、地元で組んだ別のバンドもいろいろあって解散して、もう自分にはできないんじゃないかと落ち込んで、就職を考えたりもしました」

「順風満帆に見えて、そういう時期もあったんだね」

「その頃は鬱屈としてましたね。高校卒業前に友達からボカロの存在を教えてもらって、数ヶ月くらい、ニコニコにすごい中途半端な曲を投稿したりもしてましたね。そしたら、ある日『おまえ本気出せよ』っていうコメントがついてて、それでカチンときて『My little hart』っていう曲をガチでつくったらそこそこ反響があったんです」

「そのコメントもすごい。だって、まだポテンシャルがあるって感じたってことですよね」

「実はそれ以前の曲にそもそも問題があって……『アナル解放拳』っていう曲とか(笑)」

「どんな曲だよ(笑)! でも、ちなみにヒゲドライバーとして初めて出した曲は、『うんこブリッジマウンテン』です(笑)。相方のじゅんちゃん(関連記事)が命名しました」

「おまえら小学生かよ! どっちもどっちだけど、一度聴いてはみたい」

「全部削除しちゃいましたけどね。わりと落ち込んだ状態でやってたから、というのもあると思いますけど、最初はボカロで人気になろうなんて考えてもいなかったので」

彼女にフラれて残ったのが音楽だった

ジャケット撮影ではキメてますが、『アナル解放拳』という曲を投稿していた人

ジャケット撮影ではキメてますが、『アナル解放拳』という曲を投稿していた人

「実はもう一つ、その時期すごい落ち込んだ大きな原因が、彼女にフラれたことだったんですよね」

中2から付き合ってた彼女がいましたね。のろけ話が多かったですけど、交際について相談を受けたこともありました。友人のMくん

「俺は、音楽を本気でやろうと思って東京の学校に通ってて、友達の家を点々としてたんですよ。でも、彼女はそれも不満で、結局のところ『私と音楽どっちが大事なの?』って言われてる気がしたんです」

「よくあるやつだ…」

「その考え方が受け入れられなかったし、ちゃんと地元に帰るし会う時間もつくるって説得もしたんですが、向こうが納得してくれなかったんですね。

実質別れた状態だったんですが、いつの間にかあっちに彼氏ができていて、子供もできて、早々と結婚もしてしまったんですよ…」

「めちゃくちゃダメージ受けてるじゃないですか……すいませんこんな話までほじくり出して、、」

お茶を飲んで気持ちを落ち着けるゆよゆっぺさん

お茶を飲んで気持ちを落ち着けるゆよゆっぺさん

「いまだに引きずってるの? もう7年くらい前だよね?」

「引きずってるわけじゃないです。でも、その時の気持ちは今も忘れてない。まじで人生に絶望しましたから。すごい後になって、その彼女のブログをmixiから見つけちゃって、つい覗いたら、コアなファンしか知らない俺の初期の曲タイトルが使われているのを見つけて、複雑な気持ちになりましたね……。

初めて音楽で大切なものを失って、逆に俺に残されたのは本当に音楽しかなくなった。それで生まれたのが、今回セルフカバーした『Hope』という曲。それがバズって、自分の感情を歌にしていいんだということに気付いて、曲もどんどんつくるようになった。負の連鎖から救ってくれたのがボカロだったからこそ、今でも感謝してます





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