【ゆよゆっぺインタビュー】米ビルボードにその名を刻んだ青年がシンガーソングライターとして3度目のデビューを果たした話

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【ゆよゆっぺインタビュー】米ビルボードにその名を刻んだ青年がシンガーソングライターとして3度目のデビューを果たした話
【ゆよゆっぺインタビュー】米ビルボードにその名を刻んだ青年がシンガーソングライターとして3度目のデビューを果たした話
ゆよゆっぺ」という名前を聞いたことがありますか?

元は人気ボカロP、DJとしてもロッキンに4年連続出場中
ドラゴンボール映画版の主題歌を手がけてる!
ベビメタの作曲家として、米ビルボードにその名を刻む

3行にまとめるとこんな感じ。

補足すると、3人の少女たちによるダンスユニットBABYMETALが、アメリカで一番有名な音楽チャート・ビルボード誌に名前を刻んだことで話題になりました。

日本人として(ほぼ)日本語の曲で構成されたアルバムがアメリカのビルボード総合のTOP40に食い込むという快挙は、「上を向いて歩こう」で知られる坂本九さん以来53年ぶり、史上2組目。

そのアルバムのリード曲である「KARATE」を作詞・作曲編曲したのが、この少し眠そうな顔のゆよゆっぺさんというアーティストです。つまり、ゆよゆっぺさんも、世界にその名を刻んだアーティストと言えます。
もとはボカロPとして人気に火が点いてメジャーデビュー、関連動画の再生数は1000万回。

かたや、DJ'TEKINA//SOMETHING(テキナサムシング)という適当な名義ながらDJ活動を始め、amazonダンスチャート1位を獲得。2013年から国内最大級のロックフェス「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」に連続出演もしていて、そちらでもavexからメジャーデビューしています。

さらには、かれこれ7組目くらいになるバンドを実の弟と結成して今も全国を飛び回っていたり、映画『ドラゴンボールZ 復活の「F」』主題歌の編曲を手がけたりと、あらゆる領域で活動しています。

そのゆよゆっぺさんが、なぜか今さらシンガーソングライターとして3度目のメジャーデビューを果たすそうです。というか、いきなりアルバムが10月26日に発売されました。

アルバムタイトルは『ゆとりだから本気になれない』。

『ゆとりだから本気になれない』(DVD付き初回盤)

『ゆとりだから本気になれない』を購入する 筆者(にいみ)は、ゆよゆっぺさんと同じ事務所に所属するミュージシャン・ヒゲドライバーさんに何度か取材したご縁から(関連記事)、インタビューのオファーをもらいました。

アルバムのコンセプトが「ゆとり教育とよばれた時代で育った過去の自分と向き合い歌う」ということだったので、ゆよゆっぺさんのお母さん(現役の教員!)や幼なじみに根掘り葉掘りお話を聞いてきて、それをご本人に問いただしてみました。かなり真面目な内容です。

「ゆっぺさんってすごく人見知りだし、壁をつくるタイプですよね?」

「そうっすねー…どうにかして『アーティストぶろう』としますね」

「今回は本当の人となりに迫るために、盟友・ヒゲドライバーさんや社長の村田さんに同席してもらったり、お母さんやお友達に話を聞いてきました」

インターネット発のミュージシャン。楽曲提供はアニメ『艦これ』ED「吹雪」など。ソロはもちろん、新たにバンド形態としてヒゲドライVANでも活動中。ボカロPが苦手で、ゆよゆっぺさんとも当初は壁があった。

ヒゲドライバーさん、ゆよゆっぺさんの所属するtokyologicを経営する社長。自身もバンドマン。基本的に口調が強い。曰く「ゆよゆっぺは昔は尖ってた」。

なんで今さらシンガーソングライターなの?

改めて、ゆよゆっぺさん

「ヒゲさんもすごく人見知りですよね。ゆっぺさんとも最初は壁があったそうですが、どうやってその壁は溶けたんですか?」

「ゆっぺさんは基本的に、パーティーピーポーじゃないけど、明るくて調子のいい人だから、自然と?」

「いや、俺、ヒゲさんと仲良くなれた瞬間は覚えてますよ。酔っ払ってたのか、ヒゲさんにガチでキスしたことがある(笑)」

「そうだ!! イベントの打ち上げでみんなが見てる中で、『チュっ』でいいのに、この人舌入れてきて…舌入れてもみんな見えないだろ! 最近も、ヒゲドライVANのワンマンの打ち上げでまたキスしてきて…」

「出会ってから今でも、ヒゲさんへの信頼は変わってないってことですね」

「ゆっぺさんが東京に進出した2010年以来、キスで信頼を確かめ合ってきた6年だったと」

「そうですね。『Hope』というボカロ曲が2009年にニコニコでヒットして、村田さんにも出会って、その翌年にはもう東京で一人暮らしを始めた頃でしたね。ボカロPとしてCDつくってコミケで売って軍資金を蓄えてました」

「その頃のヒゲさんは即売会とかdisってたよね?」

「壁は感じてました。ボカロブームにも乗っかるつもりはなかったし、即売会でチヤホヤされてる感じも閉鎖的に見えてしまって…」

「でも、その当時って、音楽を聴いてくれてる人が多かった気がします。まだCDはグッズじゃなかった。ボカロのCDを普通のCDショップで手に入れることができなかったから、通販を待ちきれなくて地方から来てる人とか、純粋に音楽好きな人はいました。『つくっている人』にはあまり興味なくて、ボカロだから買うという人も少なからずいて、ボカロという表現形式へのファンがちゃんといたんですよね」

「今は?」

「今ニコニコ(ニコニコ動画)で発信してるような、音楽を聴き始めたキッズたちは、純粋には音楽を聴いてない気がして。『いい曲だから』じゃなくて、売れてる作品の主題歌だから、ランキング上位だから、という理由ばかり。

老害って言われるかもしれないけど、右にならって、流行りに乗っかって歌ったり動画つくったりしてるのが見え透いてしまう。ボカロや東方projectとか、ネットならではのカルチャーやネタに全力を出すという感じでもなくなってますよね。

既に流行っているものを、わざわざニコニコに引っ張ってくる必要はなくない?って思っちゃう。『前前前世』はめちゃくちゃいい曲だけど、テレビでいいじゃんと思ってしまう。そもそもボカロ自体もブームは終わっていますから」

「では、ボカロP・ハチ(Hachi)としてキャリアを始めて、今年もさらに活動を広げている米津玄師さんのことはどう思っていますか?」

「彼はすごいっす、純粋に。自分の世界観を一切ぶらさず、どメジャーまで持ってってるんだから。ハチくんが米津玄師として歌い始めた『vivi』っていう曲聴いた時、やべえなって思いましたもん。形は違えど、俺もどうにかしてあそこまで行きたい」

「それで、なぜ新しく始めた活動がシンガーソングライターなんですか?」

一回、自分に帰る必要があったんです。これまで、ボカロ・DJ・バンドだけじゃなくて、作家としてアイドルやアニメとかへの曲提供を続けてきて、いろんな人といろんなところで戦える音楽をつくってきた自負はある。

でも、自分が憧れてたアーティスト像って、自分で歌って感動を与えたり、聴いた人の人生を変えたりできる人なんですよ。作家活動が増えすぎて、それをずっと忘れちゃってたところがあって。悪い意味で固まってきた自分の音楽観を全部削ぎ落とそうと思って、ギター1本でやることにしました」

地元・茨城でのジャケット撮影の様子

「自分の原点に帰るという意味で、『ゆとり教育で育った自分』に向き合ったということですね。じゃあ、向き合いましょう。ご自分も忘れているかもしれない過去と…!」

ゆよゆっぺの「目立ちたがり」エピソード

「あらかじめ、お母さんと地元・茨城の幼なじみに、ゆよゆっぺさんについて色々聞いてきましたんで」

夫婦揃って音楽が好きだったので、いつも音楽がある環境だったと思います。主人はギターを、私はピアノを弾いていました。主人はサザンが好きで、息子を連れて、ロックインジャパンにいったりライブに行ってましたね。ゆっぺ母

「もしかすると、桑田さんを見ていたからこそDJ'TEKINA//SOMETHINGが生まれたのかもしれない。あのグルーヴというか。いつでも家でレコード聴ける環境だったし、親に感謝したいっす」

ピアノを習うのは嫌だって断られていたんですけど、小学校3年くらいの時に『エリーゼのために』を聞いてるうちに、自分で弾いてみたいから、楽譜の読み方を教えてほしいって言い出したんです。ゆっぺ母

「そうだ、すべては『子供のためのピアノ名曲集』の『エリーゼのために』が始まりでした。ジャケも覚えてる!」

「ていうか、お母さんよく覚えてるね」

「母親として印象的だったし嬉しかったんでしょうね」

俺は単純に目立ちたかったんですよ。人と違うことをやれば目立つだろうっていう意識だった気がする」

「ゆっぺさんの目立ちたがりエピソードはいっぱいあります」

クラスのみんなを楽しませるのが好きで。猫が正義の味方になる『にゃっくマン』っていう漫画を学級通信に載せてましたね。友人のMくん

「内容は今聞くまで全く覚えてなかったけど、学級通信に何か描きたい人を募集した時に、俺がノリで描きますって名乗り出て、4コマなら描けるってことで始まったような…」

普通のゲームはあまりやらせたくなくて、音楽ゲームを買ってあげました。小学生の時、『ダンスダンスレボリューション』を家で練習して外で披露して、「今日は女子高生を何人集めた」とか自慢してましたね。もともと小さい頃から社交的でした。幼稚園に入るもっと前から、家の前をかわいい女の子が通ると『名前なんて言うの?』なんて言って話しかけてましたね。ゆっぺ母

「あーーー(笑)!

『ダンレボ』は、当時の最高難易度を弟と一緒に死ぬほど練習してました。小学生2人でやると目立つじゃないですか! 当時、怖いものなんてなかった。オカンに連れられて髪切りにいって、待合室にいるギャルに一人ずつ話しかけたりとか。あの頃は人生楽しかったな…(遠い目)」

「『クレヨンしんちゃん』かよ(笑)」

「知らない人に話しかけちゃいけないとか、そういう教育を受けてなかったです。ハイパー放任主義でしたね。もちろん心配はしてくれるけど、別に何も言われなかった」



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