2009年ニコニコ動画を中心にボカロPとして活躍した後、多数のアーティストへの楽曲提供をはじめ、バンド、DJとジャンルを選ばない幅広い活動を展開している。
ハードコア、スクリーモを得意とする当初の作風から一転、近年ではEDMへ傾倒し、「ROCK IN JAPAN FES」に3年連続で出場。様々なイベントで観客を沸かせる圧倒的なパフォーマンスにも定評がある。
5月25日(水)にリリースされた新アルバム『KAWA-EDM』は、そんな彼に縁の深いアイドルソングのEDMアレンジ集。それを記念して、ロングインタビューを行った。記事最後では、本人に選んでもらった、EDM入門にオススメの5曲も掲載。 当日は、所属事務所・TOKYO LOGICの社長にしてマネージャーの村田裕作さんも同席。普段から「チャラい」と言われるゆよゆっぺことDJ’TEKINA//SOMETHINGに、「チャラい音楽」と言われるEDMについて疑問をぶつけると、かつてないほど熱のこもった応えを打ち返してくれた。
文:安倉儀たたた 写真:市村岬 協力:カラオケ ビッグエコー渋谷店 SING EDMルーム
「大人に騙されるな」ってじいちゃんに言われてた
──そもそも、当初はバンドマンだったところからボカロPになったゆよゆっぺさんは、なぜDJ’TEKINA//SOMETHINGとしての活動を始めるに至ったんですか?テキサム どっから話せばいいか……村田さんとの出会いまで遡りましょう(笑)。
村田 2009年頃に、エイベックス出資の会社でレーベルをやっていた僕が、知り合いのボカロPからゆよゆっぺを勧められて、本人に会いたいと連絡したんです。
テキサム 茨木から渋谷まで会いに行ってみたら、実は村田さんは全然乗り気じゃなかった……。
村田 その時のゆよゆっぺは、ボカロでロックをやっていて、僕は正直に「ボカロでロック? 普通にバンドの方が良くない?」という疑問をぶつけました。
テキサム それで僕が「そのギャップが楽しいんだ」っていう説得を試みたり私生活とかシモネタの話をしたりするうちに、村田さんが折れてくれて。こっちが呼ばれたはずなのに(笑)。
でも、そこが良かったというか。その時いろんなところから声はかけていただいてて、みんな「うちからCD出しませんか?」という感じだったんですけど、信用ならなかったんですよね。「大人は悪いやつが多いから騙されるな」ってじいちゃんに言われてたので(笑)。
でも村田さんだけフワっと「一緒にやろう」と言ってくれたので、僕にとってもその方が絶対にプラスになるなと思って村田さんとご一緒させてもらいました。それで最初に誘われたのが『LOiD-02 -postrock- LOiD's MiND』でした。
村田 ポストロック風のインストコンピアルバムで、当時の同僚に「こういうんじゃなくて、ボカロ出せよ」とか言われたんですが、散々どこもやっていることを僕らがやっても意味がないだろって断ったのを覚えています。まあ、あんまり売れなかったんだけど!
悔しさが駆り立てたダンスミュージックへの道
──それが、どういったきっかけで「DJ’TEKINA//SOMETHING」としてダンスミュージックをやることに?テキサム きっかけは、ヒゲドライバーという偉大な先輩の「ヒゲドライバーを持ち上げる会」という伝説的なイベントだったんです。
村田 彼について、詳しくは「【ヒゲドライバー誕生秘話】30代童貞だけど上京して音楽で成功した話」をご参照ください。
テキサム トリビュートアルバムのリリースパーティーだったんですが、僕も参加させていただいた縁で、村田さんから「時間とったからDJやって」と言われ、その日のうちにDJネームを決めるところまで話が進みました。その頃、「それって〜的なサムシングっすよねー」っていうのが僕の口癖だったので、「DJ’TEKINA//SOMETHING」でいくことになったんですよね。
──ノリですね。
テキサム そうっすね(笑)。次の日にはもうDJの機材を買ったんですが、何をどうすればいいかわからなかった。「とりあえず曲が繋がっていればいいんでしょ!」と思っていざ本番になったら、お客さんも盛り上がんないし、曲も止めてしまって・・・・・それが本当に悔しかった! そこで、もう一度トライしたいという強い思いが沸き上がってきたんです。これが僕をダンスミュージックの道に駆り立てた一番の動機でした。
Skrillex は元々めちゃ好きでしたし、海外から入ってきたばかりのスティーブ・アオキや、ゼルダのアレンジで話題になった頃のZeddとか聞きまくって、初めてEDMという言葉を知って、その魅力にも触れてからトラックをつくったのが、DJ’TEKINA//SOMETHINGの第一歩でした。もし、あそこで悔しいって思っていなかったら、今ダンスミュージックはやってなかったんじゃないかな。
EDMが人を惹きつけないわけない!
──ゆよゆっぺさんにとって、その時に触れたEDMの魅力って何だと思いますか?テキサム 僕が元々やっていたハードコアにも通じる爆発力ですね。EDMには、「ブレイク」という休むパートと、「ドロップ」というみんなでぶち上がるパートがあるんですが、その緩急の差に爆発的な高揚感があるんです。ブレイクからドロップまでの間に「ビルドアップ」というだんだん盛り上がっていく展開があって、そこがEDMの良さを決定づけている。
0から100に上げることは誰にでもできる。でも、EDMは、0が100になった時に、聴いてる人をいかに気持よくさせるかの美学なんです。
EDMにはドロップに歌が入っている曲が多いですが、メロディをないがしろにしたらドロップの激しさが失われてしまう。ブレイクとドロップのギャップを上手くつけないと曲が成立しない。ドロップでベースとキックしか鳴らさない曲なら、音数を減らしながら音楽的にビルドアップさせないといけない。それってギークな音楽的素養がめちゃくちゃ要求されるんですね。しかもそのすべてが、100に持って行った時にどういうイメージを思い浮かべるかに集約される。だから、頭で論理的に考えるより、最終的に人としてのフィーリングが試されてるんです。
「EDMなんてサンプル貼ってシンセ適当に流してるだけ」みたいに思われていることもあるんですが、 逆にサンプルならそれをどう使うかのセンスが問われる。
村田 「Don't think Feel」!
テキサム そう、ブルース・リーってことです。
──それがここ数年EDMを中心に活動されている大きな理由ですか?
テキサム それは、わかんないです(笑)。でも、EDMってわかりやすいんですよ。日本でも、良い意味なのか悪い意味なのかわかんないけど浸透もしてるし、自分を知ってもらうためにはわかりやすい。
──その場合の「わかりやすさ」ってどういうものなんですか?
テキサム ここにもヒゲドライバーさんが登場するんです。大ヒットした曲で、彼が担当したアニメ主題歌の「回レ!雪月花」って曲のリリースパーティで真っ先に思ったことが、「これ回レって言ってるだけじゃねえかっ!」っていう(笑)。
村田 すごい悔しがってたよね。
テキサム そう、僕はムカつきながらDJしてました。でも、本当にいい曲で、心にぶっ刺さった。すごくキャッチーだったんですよね。
EDMも全てがキャッチーで、人が惹かれて当たり前だと思うんです。きゃりーぱみゅぱみゅだって、中田ヤスタカさんらしいサウンドにキャッチーなフレーズが乗っかってる。それってすごく大事なことで、キャッチーさがあるからこそ僕達は音楽を受け入れている。それを「回レ!雪月花」の時に気づかされたんですよね。本当、あの偉大なる童貞には学ばされてばっかりですよ!
バンドとDJを隔てた事件、ファンへの願いとは?
──そうして生まれた2つの名前と、バンド・ダンスミュージックという2つの音楽性ですが、ご自身ではその違いをどう意識されていますか?テキサム 公式的には、ゆよゆっぺがバンドサウンド、DJ’TEKINA//SOMETHINGはダンスミュージックということになっていますけど、同じ人間がやっていることなので、ぶっちゃけ基本的に違いはないんです。
強いて言えば格好ぐらいですかね。どちらも、思ったことを素直にぶつけています。特にライブとかパフォーマンスって、人間まるごとの表現っていうか、自分の内側をどれだけさらけ出せるか、ですから。そこに関してバンドだDJだって考えるのはやめようって思いました。僕から出てくる物、根底にあるものをちゃんと打ち出した方がお客さんに伝わるはずです。
──音楽面で言えば、ゆよゆっぺとしては特に「エモさ」を意識されていると思いますが、EDMでも同じですか?
テキサム そうですね、全然違いはないです。ベクトルは違っても、エモさはどういう形でも表現できる。むしろEDMの方がエモくできるんじゃないかとすら思います。
ただ、一つだけ、ゆよゆっぺとDJ’TEKINA//SOMETHINGのファンは違うのかもと思った事件があって……。
──事件?
テキサム 数年前、Twitter上で、それぞれのファンがお互いを批判し合うということが起こって。
例えば、僕からすればハードコアのライブでモッシュするのは当たり前。でも、ダンスミュージックから入ってきてくれた人にはそれが非常識に見えたみたいで……。
村田 ボカロからのファンもそうでしたね。
テキサム だから、これは明確に違う人間がやっている違うものだということにした方が、僕もお客さんも幸せになれるだろうって思ったんです。そこで一度ゆよゆっぺとDJ’TEKINA//SOMETHINGが決別するということがありました。
でも、反発が起こってしまうのは、バンド・DJファンそれぞれを納得させられない僕の力が足りてないから。もっと大きいところに出演したり、両方からみて説得力のある楽曲をつくっていけばいつかは混ざり合うだろうと願いながら活動を続けてきて、最近、少しはそのギャップは埋められてきたと思っています。
村田 本当に、彼が言う通り、やってること自体は一緒なんですよね。
テキサム 僕は、音楽のジャンルを議論しあうのが嫌いというか、意味が分からない。自分が楽しいと思ったことに素直に反応できることが音楽の楽しみ方なんじゃないのって思うんです。
でも、「このジャンルはこうじゃなきゃいけない」って人もいて、EDMにも「EDMマナー」って言葉があったり、ハードロックでもメタルでも「こんなのは◯◯◯じゃない」っていう人が必ずいる。
「そんなんどうでもよくない!?」って心底思います。音楽を決めつけないでほしい。それって結局、ジャンルの面白さを狭めているだけ。EDMとは? じゃなくて、みんなが楽しくなれる4つ打ちがEDMなんですよ。「『これは◯◯◯じゃない』から何なんだよ、曲がいいか悪いかで聴いてくれよ!」 って思います。
ハードコア原理主義者だった過去
──テキサムさんご自身は、元々ハードコア好きだったと思いますが、そういうジャンルレスでフラットな考え方は昔からだったんですか?テキサム いや、全然そんなことないですね(笑)。僕も以前はハードコア原理主義で、「ハードコアたるもの〜」みたいなことを淡々と話す人間でした。
──そうだったんですね…! 変わったきっかけはあるんですか?
テキサム 2012年のメジャーデビューですね。同人やインディーズでずっとやっていた僕は「メジャーデビューなんて別にしなくてよくないっすか?」って村田さんに言ってましたからね(苦笑)。
村田 「メジャーにいく意味って何ですか?」って言ってたよね。その頃はめちゃくちゃ尖ってたんですよ(笑)。
テキサム でも、デビューして、人前にたくさん出て音楽をやるようになって。ライブをやってイベントやって色んなメディアに露出して、それでやっとCDを手にとってもらえるっていう現実を知った。それで、自分の曲が広まるように頑張らないといけないんだっていう風に、意識のギアが変わりましたね。今はなんにでもチャレンジすればいいという考えです。そうでなかったら、今でも「EDMって何?」って言ってたと思う。
──それはとてもポジティブで大きな変化だったと思います。同時に、考え方が変わったことでなくしたものもありますか?
テキサム いっぱいあります。原理主義だった僕の考えも含めて支持してくれていたファンの方は去りました。
もともとTwitterを始めてからずっと不思議だったのは、「俺は好きなことをやっているだけなのに、なんでこんな崇められているんだろう?」と。それに、「ゆよゆっぺは◯◯◯だ、だからファンである私は〜」って言われるのがすごくイヤでした。
でも、いま考えてみると、その人たちも、思い入れがあって僕の音楽を聴いてくれていたと思うんです。だからこそ離れていった。もし許されるなら、去ってしまった人達ひとり一人に「本当は伝えたいことも全然変わってないし、僕という存在も変わってない。目指したいところは何も変わっていないんだ。だから、もう一度聴いてみてくれないか。EDMという言葉だけで毛嫌いしないでほしい」って伝えて回りたいくらいです。
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DJ’TEKINA//SOMETHING
DJ’TEKINA//SOMETHINGとは? またの名をゆよゆっぺ。VOCALOIDPとしてキャリアをスタートさせ、その後ヤマハミュージックコミュニケーションズからメジャーデビュー。
BABYMETAL、ももいろクローバーZ、バンドじゃないもん!、ERIHIRO等の楽曲制作を手がける。3月に公開されたBABYMETAL の「KARATE」では作詞作曲編曲演奏ミキシングをすべて担当。見事ビルボードへBABYMETALを送り出す原動力として活躍した。
DJ’TEKINA//SOMETHINGとしては数々のロックフェスに登場。「ROCK IN JAPAN FES」に3年連続の出演、「SUMMER SONIC 2015」へ出演、さらに「COUNTDOWN JAPAN」への出場も果たしている。
海外イベントへの出演も多く、今までに、台湾、インドネシア、ベトナム、タイ、マレーシア、シンガポール等のアジア各国を初め、アメリカ、チリ等へも渡っている。
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