2022年6月に出された依頼の内容は、“松井玲奈が雨女である”との記述を削除してほしいというもので、そもそも本人が「私は雨女じゃない」とTwitterに投稿し否定していた。
しかし、この依頼は拒否された。一体なぜか? この事態を紐解くことで、ウィキペディアの重大な欠陥が見えてくる。
目次
松井玲奈「私は雨女じゃない」──事態の経緯
まず、事態の経緯を見ていく。2022年6月3日に、松井玲奈さんが自らの公式Twitterで以下のように投稿した。これに基づき、ウィキペディアにある彼女の記事から「雨女である」という記述が削除された。ウィキペディアのすべての記事では、誰でも編集履歴を見ることができる。私は雨女じゃないし、そもそも天気を操れる人などいない論を置いておきます。
— 松井玲奈 (@renampme) June 3, 2022
Wikipediaから抹消してほしい項目NO1。
本当に頼むから消して欲しいです。誰か!!!
現状、PCなら記事の右上にある「履歴表示」のボタンを押せばよい。スマートフォンなら下部に「最終編集」のボタンがあり、そこをタップすれば履歴を見ることができる。
記述が削除されるなど、内容が減った編集は、編集履歴では赤文字で表示される。増えれば緑である。大幅な増減では太字になる。
以下の画像は、6月4日前後の松井玲奈さんの記事の編集履歴である。 「雨女である」との記述が削除されたその3分後に、「それは記事破壊である」という理由で「雨女である」という記述が再掲載された。もういちど削除すると、「出典付きの記述は除去してはならない」という理由で再び記述が再掲載された。
そのあとも複数回、「本人が消して欲しいとの話から」「本人が強く否定しており削除を強く望んでいるため」という理由で削除が繰り返されたものの、そのたびにウィキペディアンが「出典がついているため」と本人の望んでいない記述を復活させている。
自分のウィキペディア記事はコントロールできない
最終的に、ウィキペディアにある松井玲奈さんの記事は、管理者が保護した。保護とは、記事を編集できないようにする措置である。保護された時点でもなお「雨女である」という記述は残っている。そして、残った状態が6月12日まで継続した。この間、記事を編集できるのは管理者らのみであった(なお、現在は該当の記述は削除されている)。
ウィキペディアでは、自分の記事を自分ではコントロールできない。
今回はたまさか「雨女かどうか」という内容で済んだ。しかし、これが公表されたくない情報だったとしたら? 間違った情報がウィキペディアに書かれたとしたらどうだろうか?
ウィキペディアの記述は、どれほど望んでも自分で消すことはできないのである。ウィキペディアでは、記事の題材となった当人は編集すべきではない、と決められている(外部リンク)。よって最終的な手段はただ一つ。泣き寝入りである。
最終的には削除されたとはいえ、この騒動でもまた、松井玲奈さんがあきらめざるを得ない形となった。Wikipediaもうイタチごっこだからいいや。協力してくれた人はありがとうございます。
— 松井玲奈 (@renampme) June 4, 2022
戻して一文わざわざプラスした人は1週間指先がベタベタになりますように。
このように、著名人が除去を望み、最終的に泣き寝入りとなった事例は枚挙にいとまがない。それこそ当人が触れてほしくないことなので、この記事で具体的な例を挙げることはしない。
何のためにウィキペディアで「松井玲奈」を調べるか
以前にも触れているが、ウィキペディアに自分の記事ができることは、メリットよりもデメリットの方が非常に大きい。とはいうものの、松井玲奈さんほどの人物になると、ウィキペディアに記事ができるのは致し方のないことである。むしろ記事がないと調べものに困る。
さてここで、そもそも何のためにウィキペディアで「松井玲奈」を調べるか、考えてみる。
ファンがたわむれに読むこともあるだろうが、ウィキペディアでタレントを調べる人は、その人について知りたいことがある──裏を返せばその人のことを良く知らない人が大半であろう。
例えば、業界人がそのタレントと一緒に仕事をする際、あるいはインタビュアーがインタビューの前に、必要に駆られてウィキペディアを見る。実際、松井玲奈さんが雨女の記述を消してほしい理由もそうだった。仕事で一緒になった人がウィキペディアを読んで、雨女の話を振ったのだ。
お手軽に知識を得ようとしてウィキペディアを見る。すると、今回のようなトラブルが起きる。仕事する方はwiki見てくれてること多いから、ほぼ毎回「雨女なんですか?大丈夫かな?」って聞かれるのほんと辛い。
— 松井玲奈 (@renampme) June 3, 2022
みんなから面白おかしく雨女って言われるのも辛い。ずっと嫌だと思ってる。
「とあるジャンルについて良く知らない人は、九分九厘そのジャンルを誤解している」──門外漢の誤解が解けるほどの信頼性と情報量が、果たしてウィキペディアにあるだろうか。
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宇喜多・W・要出
長らくWikipedia日本語版の編集を行うとともに、ジャンル開闢以来のVTuberファンでもあった。自身のプロパティを生かすべく、2020年12月よりYouTubeへの動画投稿を開始したウィキペディアンVTuber。WikipediaとYouTubeを結ぶために、YouTubeやツイッター、そしてKAI-YOUで活動している。生年月日未公開。年齢未公開。公開されている年齢はウィキペディア創設が2001年であることを表す。
13件のコメント
匿名ハッコウくん(ID:6766)
ウィキペディアがなくなると図書館や書店が賑わうんじゃないんだ。AmazonやYouTube、Google検索上でのサイト、コンビニが賑わうんだ。
匿名ハッコウくん(ID:6763)
wikiの情報は不確かで有り、すべての情報のごく一部でしか無い!
コレさえ理解していれば問題無し
そして、全ての情報はそれだけでは役には立たない!
全ての情報をより多くて取得して成否を吟味して初めて価値を持つ
匿名ハッコウくん(ID:6762)
いい加減に結論ありきでそれに紐付けるための記事書くのをやめましょうよ。おそらくHalowand様だと思いますけれども、やっていることが管理者どころかウィキペディアンですら正しくないものですよ。