2013年7月6日(土)、Winnyの開発などで知られるプログラマー・金子勇さんが急性心筋梗塞によって亡くなっていることが分かった。享年42歳だった。
すでに元オン・ザ・エッヂのハッカー・小飼弾さん(http://blogos.com/article/65801/)や、ユビキタスエンターテイメント代表取締役社長の清水亮さん(http://d.hatena.ne.jp/shi3z/20130708/1373234089)をはじめ、多くの技術者が金子さんの死を悼んでいる。けれど、彼がいかにすごい人だったのか、何を成し遂げた人なのか、あらかじめ知識を持っていないと少し伝わりづらいところがあるので、今回の金子さんの死で、はじめて金子さんを知る方のために、冗長かもしれないが、その業績を振り返ってみたいと思う。
当時、ファイル共有ソフトといえば「WinMX」がまだまだ主流であり、世界中のユーザー間でファイル共有が行なわれていた。
しかし、その匿名性の低さ(ユーザーごとにIPが表示される)と、多国籍のユーザーを持つソフトフェアであるがえゆえに、日本のコンテンツはある程度メジャーなものしか共有されておらず、また同時にウィルスや騙しファイルなども多く、ネットユーザーは「WinMX」に取って代わる新たなソフトの登場を待ち望んでいた。
そんな中現れたのが、47氏だった。 当時の47氏の書き込みや、スレッドの盛り上がりは下記のURLで確認できるので、リアルタイムで追っていなかった人にも是非とも見て欲しい。「Winny」誕生の瞬間を知ることができる。
http://www.geocities.jp/aspara_z/1017590243.html
ファイル共有ソフトは、先にあげた「WinMX」をはじめ、基本的には自分の持っているファイルを多数の人に広めることが目的で使われていた。だが、ファイルであればどんなものでも転送可能なので、当然のように自分の著作ではない、例えばCDの音楽データや動画データ、漫画のスキャン画像といったものの共有にも使われており、著作権を侵害しかねないケースも多々あった(むしろ、それがメインで使っている人のほうが遥かに多かっただろうと思う)。だが、「インターネットって奴はこんなことができるのか!」という強烈な、そして分かりやすい衝撃がそこにはあった。
そんな中で、ファイル交換ソフトは圧倒的に頭抜けていた。インターネットにしかできないことや、インターネットでないと生まれ得ないコミュニティがそこにはあった。あえて大げさに言えば、誰か一人が持っているファイルが、繋がっているすべての人のファイルになってしまうのだ。ネットエージェント社の調査によると、ピーク時には50万人を越えるユーザーが「Winny」にはいたといわれている。
47氏は筑波大学を卒業後、博士研究員として日本原子力研究所(現日本原子力研究開発機構)に勤務し、またその後は情報処理推進機構 (IPA) の未踏ソフトウェア創造事業にも携わり、ついには東京大学大学院 情報理工学系研究科特任助手にまで任命される。そんな中、プライベートでいくつかのフリーソフトウェアの開発を行なっていた。「Winny」もその一つだった。
開発の経過を2ちゃんねるに詳細に綴り、他のユーザーの疑問などにも的確に受け答え、2ちゃんねるでは「ネ申」「天才」として崇められていた47氏の正体が全国メディアで細かに放映される様子は、かつて誰も体験したことのないような異様なものだった。
著作権法違反幇助の罪に問われた金子勇さんは、その後、7年間も続いた裁判の末に「無罪」を勝ち取ることになる。
現在、ジャーナリスト・津田大介さんが理事をつとめるインターネットユーザー協会(MIAU)がニコニコ動画にて金子勇さんが出演している動画をアップしている。 どのような意志で「Winny」を開発したのか。技術革新とはなんなのか。その敵とは何か。そういったことを正面から、自分の経験でもって深く語れるエンジニアとしても大変貴重な逸材だった。編集部一同、金子勇さん、そしてなによりも47氏のご冥福をお祈り申し上げます。
すでに元オン・ザ・エッヂのハッカー・小飼弾さん(http://blogos.com/article/65801/)や、ユビキタスエンターテイメント代表取締役社長の清水亮さん(http://d.hatena.ne.jp/shi3z/20130708/1373234089)をはじめ、多くの技術者が金子さんの死を悼んでいる。けれど、彼がいかにすごい人だったのか、何を成し遂げた人なのか、あらかじめ知識を持っていないと少し伝わりづらいところがあるので、今回の金子さんの死で、はじめて金子さんを知る方のために、冗長かもしれないが、その業績を振り返ってみたいと思う。
「Winny」の開発者「47氏」としての顔
金子勇さんといえば、まず真っ先に思い浮かぶのが「Winny」の開発者「47氏」としての顔だ。47氏という名前は、2002年、2ちゃんねるの「MXの次はなんなんだ?」というスレッドにて、「Winny」開発の決意宣言ととれる書き込みを行なった際、その書き込みの番号が47番だったことに起因している。当時、ファイル共有ソフトといえば「WinMX」がまだまだ主流であり、世界中のユーザー間でファイル共有が行なわれていた。
しかし、その匿名性の低さ(ユーザーごとにIPが表示される)と、多国籍のユーザーを持つソフトフェアであるがえゆえに、日本のコンテンツはある程度メジャーなものしか共有されておらず、また同時にウィルスや騙しファイルなども多く、ネットユーザーは「WinMX」に取って代わる新たなソフトの登場を待ち望んでいた。
そんな中現れたのが、47氏だった。 当時の47氏の書き込みや、スレッドの盛り上がりは下記のURLで確認できるので、リアルタイムで追っていなかった人にも是非とも見て欲しい。「Winny」誕生の瞬間を知ることができる。
http://www.geocities.jp/aspara_z/1017590243.html
ファイル共有ソフトは、先にあげた「WinMX」をはじめ、基本的には自分の持っているファイルを多数の人に広めることが目的で使われていた。だが、ファイルであればどんなものでも転送可能なので、当然のように自分の著作ではない、例えばCDの音楽データや動画データ、漫画のスキャン画像といったものの共有にも使われており、著作権を侵害しかねないケースも多々あった(むしろ、それがメインで使っている人のほうが遥かに多かっただろうと思う)。だが、「インターネットって奴はこんなことができるのか!」という強烈な、そして分かりやすい衝撃がそこにはあった。
あまりに頭抜けていた「Winny」の衝撃
当時はまだインターネットをしている人も少なく、回線も脆弱で、WebサイトもSNSのような双方向性の高いものも少なく、「インターネットのスゴさ」を体感できるメディアやコンテンツは少なかった。そんな中で、ファイル交換ソフトは圧倒的に頭抜けていた。インターネットにしかできないことや、インターネットでないと生まれ得ないコミュニティがそこにはあった。あえて大げさに言えば、誰か一人が持っているファイルが、繋がっているすべての人のファイルになってしまうのだ。ネットエージェント社の調査によると、ピーク時には50万人を越えるユーザーが「Winny」にはいたといわれている。
47氏は筑波大学を卒業後、博士研究員として日本原子力研究所(現日本原子力研究開発機構)に勤務し、またその後は情報処理推進機構 (IPA) の未踏ソフトウェア創造事業にも携わり、ついには東京大学大学院 情報理工学系研究科特任助手にまで任命される。そんな中、プライベートでいくつかのフリーソフトウェアの開発を行なっていた。「Winny」もその一つだった。
「インターネットの天才」と世間の乖離
そういった輝かしい経歴が明るみに出たのは、2003年に「WinMX」を利用しての違法ダウンロードによって逮捕者が続出する裏で、47氏の開発した「Winny」がその匿名性の高さ(翻って安全性、ともいえる)から国内のシェアを伸ばし続け、その知名度をあげ、多くのメディアにも取り上げられることになり、ついに開発者である金子勇さんが逮捕されたためだ。開発の経過を2ちゃんねるに詳細に綴り、他のユーザーの疑問などにも的確に受け答え、2ちゃんねるでは「ネ申」「天才」として崇められていた47氏の正体が全国メディアで細かに放映される様子は、かつて誰も体験したことのないような異様なものだった。
著作権法違反幇助の罪に問われた金子勇さんは、その後、7年間も続いた裁判の末に「無罪」を勝ち取ることになる。
現在、ジャーナリスト・津田大介さんが理事をつとめるインターネットユーザー協会(MIAU)がニコニコ動画にて金子勇さんが出演している動画をアップしている。 どのような意志で「Winny」を開発したのか。技術革新とはなんなのか。その敵とは何か。そういったことを正面から、自分の経験でもって深く語れるエンジニアとしても大変貴重な逸材だった。編集部一同、金子勇さん、そしてなによりも47氏のご冥福をお祈り申し上げます。
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