Supremeからみる「Hype(ハイプ)」の正体 米コメディの新星 ハサン・ミンハジの笑いを解説

観客爆笑のオチを解説 ユーモアから文化的背景を知る

パンチライン(1)

「Whatever. The windows are rolled up.(問題ない。窓は閉まってる)」

背景にある重要なポイント
「Nワードを口にすることのタブー性」
ネタの流れ
ハサンはヒップホップ文化におけるスニーカーの重要性を解説し、「ヒップホップ文化がインド人にとってどれだけ意味を持っているか分かるか!?」と声高に主張します。

特に「Kabir」という名前のインド人は例外なく、人気ヒップホップ曲の「Nワード」の部分まで歌い上げてしまうと冗談交じりに続けます。

そんな行き過ぎた友人をハサンは注意しますが、Kabirは『Whatever. The windows are rolled up.(問題ない。窓は閉めた)』というパンチラインを放ちます。
ネタの解説
「ヒップホップ」は1973年に黒人コミュニティの中でその産声を上げたといわれる文化です。

しかし、ヒップホップは次第に商業化されていき、1991年時点で「ヒップホップを消費している層の80%が白人、特に郊外に住む10代の白人」となってしまったことが指摘されています(外部リンク)。

そしてこのマーケット層には、その周縁にいる「郊外に住む、人種を問わない10代のキッズ」も包括されており、ハサンもそんなヒップホップ文化を享受してきた一人なのです。

ハサンがインド人コミュニティにおけるヒップホップの影響力を観客に向かって声高に主張するのは、皮肉でも何でもない彼の本心なのです。

しかし、そんなヒップホップを楽しむ際のタブーが1つだけあります。

それが「Nigga」(通称「N-word」)を黒人以外が口にしてはいけないという暗黙のルールです。

「Nigga」は、フランクな間柄同士の黒人がお互いを呼び合うときの「兄弟」くらいのニュアンスを持つ言葉ですが、元々は『Nigger(黒んぼ)』という蔑み言葉にルーツがあります。

そんな背景から、報道の際や黒人以外がやむを得ない理由でNiggaという言葉を口にする場合は、「N-word」という隠語で代替されているのです。

「黒人の友達とヒップホップの名曲を大合唱中に、歌詞がN-wordの箇所になった途端、片方が大人しくなってしまう気まずさ」というシチュエーションは、いわばコメディにおける大ネタです。

「Whatever. The windows are rolled up.(問題ない。窓は閉めた)」というパンチラインもこの文脈上にあります。
 
ここでは、ハサンの友人「Kabir」が、曲中の「Nワード」を歌い上げてしまう、やんちゃな人物として描写されます。

アメリカの現代スラングをまとめたパロディ辞書サイト「Urban Dictionary」を参照すると、「Kabir」という名前には「お洒落で魅力的だけれども、少し傲慢なイメージのインド人男性」というステレオタイプがあることが分かります(外部リンク)。

ハサンがまず「Kabir」という「インド人の名前に付随するイメージ」を唐突に、確信的に放り込むことで、観客は苦笑いを起こすのです。 そんなKabirは、「窓は閉めた」ので「Nワード」を歌い上げても「問題ない」と悪びれずに主張します。この一節のオチとなる部分ですが、いまいち画が浮かんで来ないかもしれません。

ここでいう「窓」とは「車のウィンドウ」のことを指します。車のウィンドウガラスを手動のハンドルで上げ下げしていた名残で、車のウィンドウに関しては”Close(閉める)”ではなく”Roll up(回して上げる)”という表現が用いられるのです。

ここでは、ハサンとKabirがお気に入りのヒップホップ・ソングである「Forgot About Dre」を車中で合唱しているシーンが想定されています。車社会のアメリカでは、周囲を気にしなくて良い車の中で熱唱するというのは珍しくないシーンです。アメリカの番組『Carpool Karaoke』(※)が非常に人気を博すのも、そうした日常のあるあるに即したフォーマットであることが理由のひとつです。

※『Carpool Karaoke』は有名歌手たちが一般人の様に車中で合唱するという人気企画

そして、歌詞中のNワードを歌い上げてしまうことを注意するハサンに対する、「Whatever. The windows are rolled up.(問題ない。窓は閉めた)」というKabirの返答は、「車のウィンドウガラスが上がって(閉まって)いて、黒人には聞こえないから大丈夫だ」というオチになるのです。

Nワードを口にすることのタブー性を理解しているKabirですが、仲間内では躊躇わずに歌い上げてしまう。ハサンはそんなタブーの線引きに関するリアルについて、風刺を通じて明らかにしているのです。 ちなみに、「Nワード」の含まれる「Forgot About Dre」は、超人気ヘッドホン・ブランド「beats by Dr.Dre」でもお馴染みのDr.Dreの楽曲。Dr.Dreが発掘した白人ラッパーのエミネムをフューチャリングし、彼を世に送り出した出世作といえる一曲。

まさに人種の壁を越えたヒップホップの名曲を黒人の友達と大合唱していたのに、『Nワード』の箇所になった途端に「シュン…」となってしまう気まずさ。そんな「ヒップホップあるある」には、人種が多く入り混じるアメリカのリアルな背景が存在するのです。

パンチライン(2)

That’s why so many Indian fuckboys wear Supreme.(だからインド人のヤリチンはSupremeを着ているんだね)

背景にある重要なポイント
「インド人学生のステレオタイプ」
ネタの流れ
『Supreme』は需要と供給を上手くコントロールして、そのブランド価値を高めています。

ハサンはこれを「入学が困難な私立大学」と「門戸の広い公立大学」のブランド格差に喩えて、Supremeが大学でいうところの『ハーバード大学』のような存在だと指摘します。

そしてハサンは、「So that’s why so many Indian fuckbois wear Supreme(だからインド人のヤリチンは大抵Supremeを着ているんだね)」というパンチラインでこの風刺を締めくくります。
ネタの解説
なぜ「Indian fuckboi(インド人のヤリチン)」は「Supreme」を着ているのでしょうか?

アメリカにおけるインド系・アジア系の人々に関するステレオタイプは、一言でいってしまえば「オタク臭いガリ勉」です。

実にアメリカの科学者の12%、医師の38%、そしてNASAの科学者の36%がインド系アメリカ人によって占められている状況を鑑みるに、それも無理はありません(外部リンク)。
The Thanksgiving Episode | 『マスター・オブ・ゼロ』
※Neftlixオリジナルドラマ『マスター・オブ・ゼロ』(原題:Master of None)ではインド系アメリカ人の目から見たリアルが描かれ、人気を博している。

そんな彼らは、「ヤリチン」というイメージからは程遠いように感じます。ハサンと観客の脳裏に浮かんでいる「Indian fuckbois」とは具体的にどの様なイメージのインド人なのでしょうか?

まずは彼らが『Supreme』を身に着けていることから、20代から30代のオシャレに敏感な青年を指していることが分かります。転売ヤーからお目当てのSupreme商品を購入するだけの財力もあるのでしょう。

そして「fuckboi」というスラングには「ヤリチン」という意味に加えて「オシャレに異常に気を遣う軽薄で調子に乗った10代から20代の男性」というイメージが付随します。 また、アメリカの私立大学の学費についても触れなくてはなりません。ことハーバード大学においては親の負担は年間で7万ドル、日本円にして年間700万円以上にも上ると言われています(外部リンク)。

つまり、このジョークの文脈では「Indian fuckbois(インド人のヤリチン)」は「苦学生のインド系アメリカ人」ではなく、「アメリカの有名私立大学に留学している超富裕層のインド人」を指していることが分かります。

実際に今回例に挙げられた米最高峰のハーバード大学においては、過去10年でインド人学生は190%増加し、増加率では164%の中国を抑えています。

また、カースト制度を引きずる格差大国インドの経済格差は凄まじく、インドの現地紙『タイムズ・オブ・インディア』は、2017年にインドで生み出された富の73%を国民の1%に当たる富裕層が占めていると指摘しています(外部リンク)。

そんな富裕層のご子息たちこそが、「Supreme」を着こなす「Indian fuckbois」という、ハサンの描き出すステレオタイプの正体です。

ハサンはこの一見トンチンカンなパンチラインで観客の爆笑をかっさらいつつも、その背景にあるインドの格差問題を暗に指摘しているのです。

パンチライン(3)

But I’m the brown one!(だが、僕は褐色人種だ!)

背景にある重要なポイント
「コメディにおいて人種は武器になるのか?」
ネタの流れ
ハサンは供給超過が市場にもたらす悪影響を、現在氾濫している「風刺系のコメディ番組」になぞらえつつ、パンチラインへの布石を打っていきます。

またハサンは自身の番組がそんな番組たちと一括りにされていることを自覚していることを明かしつつも、最後に『But I’m the brown one! (だが、僕は褐色人種だ!)』というパンチラインを放ちます。
ネタの解説
最後は、笑いが起きたというよりも、このエピソードで最も歓声が湧き上がった瞬間といえるでしょう。

一山いくらの風刺系コメディ番組が氾濫する中で、番組のホストが持つ「人種的背景」はその他の番組との差別化を図るための大きな武器になります。これはアメリカのスタンダップ・コメディ全般においていえることでもあります。

Dave Chappelle(デイヴ・シャペル)はアメリカを代表する黒人スタンダップ・コメディアン

たとえば、黒人のコメディアンが白人から受けた「マイクロ・アグレッション(自覚なき差別)」体験をステージ上でコミカルで自虐的に再現したとします。

それは日常の溜飲を下げる「あるあるネタ」として黒人の観客には受け取られるでしょう。その一方で、白人の観客にとってそれは「自分たちにとっての日常を非日常に置き換える」装置として働くのです。

このことからも分かるように、人種的マイノリティのコメディアンから生み出される言葉は必然的に「風刺性」を帯びやすくなります。彼らの目から見た日常の些細なことを取り上げただけで、それはよりマクロな人種間の格差や文化の差異を露わにするのですから。

しかし、これには代償が伴います。

彼らは成功していく程に、観客と同じ高さの目線から「日常」を切り取ることが難しくなっていくのです。富と名声を得るほどに「名誉白人」となっていく彼らが、同じ「人種ネタ」を披露したとしても、観客から同じ反応を得られるとは限らないのです。

ハサンもキャリア初期には、そんな人種ネタを武器に頭角を現していきました。しかし、そんな彼もステージを上げていくうちに、このトピックで戦い続けることの限界に気付き始めます。 そんな葛藤を抱える中、ハサンは『The Daily Show』という人気風刺系コメディ番組の現地リポーター役に抜擢されます。そこで彼は「インド系」と「アメリカ人」という二つの顔を使い分けながら人気を博していくことになります。

彼はこの経験から「アメリカ人」として風刺に挑戦していく方向にシフトして行きます。彼は同番組においても、自身が「インド系」であることをところどころでネタにしつつも、大きなトピックに対しては「等身大のアメリカ人青年」として風刺に向き合っていることが分かります。

それぞれの観客の人種的な背景は異なっても、彼らは同じ国に生まれ育ち、アメリカという国にそれなりの愛着と関心を持っている。そんな彼らに風刺を提供する際には「人種」という線引は障害にしかならないのです。

しかし、そんなハサンのスタンスに反して、人種的マイノリティがホストを務める風刺コメディ番組はいまだに色眼鏡で見られています。視聴する前から「きっと人種ネタで世相を斬るのだろう」という偏見を持たれてしまうのです。

「だが、僕は褐色人種だ!」というパンチラインは、そんな偏見に対するハサンの精一杯の皮肉なのです。氾濫する風刺系コメディ番組という枠組みの中で、さらに小さな「インド系風刺コメディ番組」として自分の番組が認識されていることをハサンは客観的に捉えられています。

そんな葛藤を抱えるハサンの皮肉の叫びは、観客に突き刺さります。だからこそ、このパンチラインは「爆笑」を越えて、ハサンを応援するような「歓声」でもって観客に迎えられているのです。

トランプの数々の発言により「テロ分子」として見なされる様になったムスリム系の彼が、「愛国者」と冠する番組を持つ。それ自体がそもそも皮肉になっているのですから、このパンチラインは一層の痛快さを獲得しているのです。

ハサンなりの『Patriot Act』

同番組の原題である『Patriot Act(米愛国者法)』は、9.11アメリカ同時多発テロ事件をきっかけに、米国内外のテロリズムと戦うことを目的として政府当局の権限を大幅に拡大させた法律です。

映画『ダークナイト』で「正義の門番」であるバットマンが「テロリスト」のジョーカー追跡のために、街中の通話を傍受するという象徴的なシーンがあります。このシーンは「米愛国者法」という大義名分を得た「NSA(アメリカ国家安全保障局)」が国中の通信を傍受していたスキャンダルに対する「風刺」でもあります。

クリストファー・ノーラン監督が風刺を通じて「正義」という価値観の名の下にどこまでが許されるのかを問うた様に、ハサンもまた国民が無自覚に信じている様々な「価値」について、いち愛国者として問い続けています。

ハサンはきっとこれからもお気に入りの「Hype」なスニーカーを履き続けるでしょう。だからこそ彼は「あなたは戦争を応援しますか?それともHypeな商品を買うのを辞めますか?」という「右か左か」といった着地のさせ方をしません。

「Hypeの価値」は現代社会に生きる我々に重くのしかかるジレンマの一つであり、「風刺」はそれに答えを出す「安易」な手段ではないことをハサンは知っているのです。

限りなく表象的な情報をもとに、文脈や他人への想像力を欠いた「右か左か」という議論に終始してしまう現代において、その「右と左」を繋ぐ文脈や理解を提示する媒介者が求められています。

その想像力を「風刺」を通じて提供することが、ハサンなりの「Patriot Act(愛国者としての行動)」なのです。

ハサン・ミンハジが問う「笑い」の役割 第2回

<画像提供:Netflix>
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「ユーモア」は最強の武器

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