ダンスミュージックの解放を! ドレスコーズ・志磨遼平がインタビューで語るポップ観とは

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「結局このやり方になってしまうのか?」

──お互いを少しずつ知られていく中でつくられた『バンド・デシネ』。この盤と、特に1曲目の「ゴッホ」は、完成度の高さにおいても内容においても、バンドの方向性を決定付けた重要な作品ではないかと思います。

ドレスコーズ - ゴッホ

志磨 ありがとうございます。でもあれは実は一番最後にできた曲で、当時「この曲は2.5枚目の曲だよね」と言っていました。最初は、代わりに収録する予定だった未発表曲を含めて、12曲入りの予定だったんです。

アルバム制作中って、囚人のような生活で、その完成は、そこから解放されて「やった! 地上に出れる!」という気分なんです。

でも『バンド・デシネ』をつくり終えて、トラックダウンという最終作業を終えて、晴れて完成という日に、どうもみんな顔が浮かない。でもなんとなく理由はわかっていて、制作中に自分たちが、アルバムより少しだけ先のフェーズに進んでしまったんですね。録音をし終える頃には、自分たちの気分・モードがアルバムとちょっとズレていた。

──そこから「ゴッホ」にとりかかった?

志磨 普通ならそのまま3rdアルバムに向かえばいいんですけど、たぶん1年後とかになるのが待てなかったんでしょうね。当時所属していた日本コロムビアのスタッフさんと話し合ったところ、「発売日は動かせないけど、一週間なら待てる」と言っていただいて。

でもちょうど「トートロジー」が出たばかりのタイミングで、そのプロモーションとして日本中を飛び回っていてものすごく忙しかったんですね。その中で中途半端な曲をつくっても仕方ないので、「この『バンド・デシネ』を食ってしまえるような曲にしよう。でないと、1週間伸ばす意味もない」と確信しました。アルバムの“隠れ名曲”ではなくて、“代表曲”を確実に1週間で仕留める。しかも移動しながら(笑)。不思議なもので、そういうギリギリの緊張感が何か閃きを生み、それであの曲が出来ましてね。

その時、皆で色んな可能性やアレンジを試す時間はなかったんですね。だから「こういう風にして欲しい」という、まさしく15、6歳の時からやっていたような制作方法で、ドレスコーズメンバーとして初めて、僕のイメージ通りに着地してもらった。

で、そうして『バンド・デシネ』を完結させたんですが、バンドの中に、「結局このやり方になってしまうのか?」という疑問は残っていて。

僕のイメージ通りに演奏してもらうことについて、メンバーも皆「これからもこういう風にやっていくの?」と思った。「それは良くない」と皆の意見が一致しまして。それが次の制作へのとっかかりになったように思います。

ポップスに対する最大の疑問「ハミングではダメなのか?」

──その問題意識が、今回の『Hippies E.P.』に繋がっていったと?

志磨 だから、次の作品は、僕から発するものじゃなくて、4人が同じ速度で楽曲に参加できるようにしたかったんです。

従来ならどうしても、まずは僕がつくった歌と歌詞を聞いて、そこからみんなで考えることになる。そうではなく、同じ速度で楽曲に向かえるように、かつ、まだ僕ら4人が少しも手を付けたことのない音楽をやるべきじゃないかなと。それはロックではなく、僕はなんとなく、いわゆるダンスミュージックというような音楽ではないかなとイメージして。

──ロックではなかったのはどうしてですか?

志磨 たとえば『バンド・デシネ』のように、メロディと言葉が優先的に扱われる、これはポップスの絶対条件ですよね。言うなれば、歌が伴奏をしのぐか、伴奏が歌をしのぐかというのは、分かりやすいポップスとロックの違いで。「歌は普通でいい、ギターがすごい、ドラムもすごい」となると、ポップという言葉では足りなくなる。それをロックと呼ぶとわかりやすいのかなと。

ダンスミュージックでは「歌や言葉」の代わりに、リズムというのが優先されるんですね。リズムのためにすべての音が鳴る。そのリズムにすら「誰かを躍らせるため」という目的がある。リスニングではなく、直接的に人の行動を促す音楽。それがイメージにしっくり来まして。僕らドレスコーズのための音楽ではなく、なにか行動を起こそうとしている人のための音楽をやってみたいなと。そう思ったのが今年のお正月でした。

──それでダンスミュージックが出てきたんですね。

志磨 僕は特に、音楽よりも先に文学などの“言葉”が大きくあった人間なので。言葉にするというのは、考えることとセットになっていますね。逆に音楽というのはもっと脊髄反射に近くて、考えるよりも先に行動するような部分がある。自分の思考回路に対して音楽が反乱を起こすというか。

だから、そこに歌詞を乗せることは、いつもものすごい乖離を生むんです。なぜ言葉を乗せる必要があったのかなと。それは僕のポップスに対する最大の疑問ですね。「ハミングやったらアカンの?」って(笑)。

実は僕、自分の曲はハミングの状態が一番好きだったりします。歌詞もよっぽどうまく書けたとき以外は、どうしても音楽のスピードを減速させてしまう気がしていて。それくらい音楽と言葉は違う。だから今回はなるべく音楽の速度を損なわないように臨みました。

考えてみればテクノとかクラブミュージックに歌詞はほとんどなくて、クラブではあまりおしゃべりしないですよね。音楽がうるさすぎて、しゃべることが不可能だし、あの空間に僕らの言葉や思考が不必要だからなんですよ。

そのダンスミュージックを、“言葉の人間”である自分が生み出すことができるのかな、というのが1つの挑戦でもあり、僕にとっては1つの否定でもあるわけです。これが本当に完成してしまうと僕はいらなくなるのでは? という面白い作品になりました。

──そうしたバンド的な必然性からダンスミュージックを採用された一方で、たとえば世界的なEDM(エレクトロニック・ダンス・ミュージック)ブームのような、時代的な必然性も意識されたんでしょうか?

志磨 理論立てては考えていないんですけど、何かあると思いますね。その時代その時代のダンスの形があって、今は音楽というものに即効性が求められていて、その時代性みたいなものと、自分の中の「話す前に、考える前に行動に移る」というスピード感がマッチしたんでしょうね。そういうものがやりたいと思いました。

でも、聞き流すような、BGMのようなものではなくて。アジテーションのような、誰かの何かのきっかけになるようなリズム。それはたぶん現代的だと思います。とにかく今は何もかもが速いんですよ。その速度が面白いですね。

──一方で今の日本ではクラブ規制問題もあって、社会的には「踊るな」という風潮も生まれてきていますが……。

志磨 難しいですね。そういう規制問題とかは単純に面白い興味深いなと思ってしまうんですけど、今作がそれに対する自分なりの返答ってわけではないです。

──「興味深い」というのは?

志磨 法がダンスを規制してしまえるのか、という点が興味深いというか。例えば「カカトを上げるとダンスになるのか?」とか、それは音楽側でも決めてこなかったでしょう。つまり、法律で「音楽が流れている中で生まれる反射的行動」と、音楽が流れていないけど同じ行動との違いを規定するわけです。それは果たして可能なのか、どうやってそれを定義するのか。それはやっぱり気になりますね。

ダンス音楽は「意識の解放」を目的とした音楽です。でも、社会的には意識が解放されるのはヤバいんですよ。だから取り締まる。なるべく意識というのは抑制しないといけないから。

──ヤバいのはなぜなんですか?

志磨 直感的に動かれると、1つの群れとして統制がとれなくなるんでしょうね。そこを抑制して、「皆さんこっちですよ」と働きかけることである程度社会は落ち着く。つまり、統制をとれなくさせる危険なものを自分はつくっているのか、ということの確認にもなっていますね。
【次のページ】志磨遼平の定義する「ポップ」とは?
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