「よろしくお願いします」──堂々たるパフォーマンスからは想像できない控えめな態度でインタビュー会場に姿を表したのは、ラップアーティストのさなりさんだ。
小学生時代からYouTubeに自作したオリジナル動画を投稿してきたクリエイターというバックボーンを持ちながら、2018年にSKY-HIさんのプロデュースのもと15歳でメジャーデビューを果たしたアーティスト。
その後、恋愛リアリティ番組『白雪とオオカミくんには騙されない』をはじめ、ドラマ『いとしのニーナ』『ギヴン』にも出演するなど、活動の幅を拡大。一見順調だが、2020年前後から楽曲のリリースが少なくなっていた。
「何を考えてもネガティブな思考に支配された」時期を経て、4月1日に待望の新曲「Begin Again」をリリース。文字通り再始動しようとするさなりさんは、これまでどんな思いを抱えて過ごし、どんな未来を見据えているのだろうか。コロナ禍での心理状態、さらには自身に対するSNSでの誹謗中傷まで、包み隠さず赤裸々に語ってもらった。
【画像】さなり撮り下ろし写真をもっと見る(全21枚) 取材・文:高橋梓 編集:恩田雄多 撮影:寺内暁
さなり もともと僕は即興ラップ、フリースタイルラップをバトルでやっていました。当時は中高生ラッパーが増え出した時期で、みんな流行りのフリースタイルラップをやっていたんです。
でも僕は「ラップだけやっていても違うかな」「曲を出してこそラッパーになれるんだ」と思っていたので、まずは友だちと一緒に歌詞を書くようになりました。その歌詞をYouTubeで無料公開されているビートに乗せてみたことが楽曲制作のはじまりです。ずっとフリースタイルラップをやっていたこともあったので、あまり難しく考えていませんでしたね。
──独学ではじめられて、現在のキャッチーなトラックを生み出せるようになったということですね。
さなり 音楽を聴きはじめたきっかけがボーカロイドなんですけど、ボーカロイドってちょっと変わったコードを使ったり、特徴的なトラックが多いですよね。その影響が出ているのかもしれません。 ──具体的なアーティストからの影響というよりも、ボーカロイドで感性が培われた?
さなり トラックに関してはそうですね。当時ハマっていたのは、ねこぼーろことSasanomaly(ササノマリイ)さん、有機酸こと神山羊さん。彼らのトラックがすごく好きで、大きな影響を受けたと思います。
──2018年、15歳でのメジャーデビューから現在までを振り返って、自分にとって転機になった出来事はありますか?
さなり やっぱり「さなり」になったこと、つまりデビューしたことが大きいです。SKY-HIさんにプロデュースしてもらった楽曲でデビューしましたが、これまでと生活が大きく変わったこともあり、当時の僕は全然先が見えていなくて。「この先どんな感じになるんだろう」って不安とワクワクが入り混じっていました。悪戯
──デビューの翌年は年間で24曲と、かなり精力的に楽曲をリリースされていました。当時で印象に残っていることはありますか?
さなり 毎日いろんなことがありすぎて、何も考えていなかったかもしれません(笑)。こんなにも急速にたくさんの人に知ってもらえるんだとは思いました。でも、最初は正直よくわからなかったですね。初めてボイトレもやりましたし、ダンスもはじめて、レコーディングに行くようになって。目の前のことをひたすら淡々とこなしていたという印象です。
──2019年は恋愛リアリティ番組『白雪とオオカミくんには騙されない』にも出演され、その後『いとしのニーナ』『ギヴン』とドラマで演技にも挑戦されています。アーティスト活動以外の仕事に対しては、どんな気持ちで臨んでいたのでしょうか?
さなり 演技の仕事をしている時はちょっと不思議な感覚でしたね。今の自分とは全然違う誰かになるってそうそうないじゃないですか。僕は基本的に「やりたくないこと」があまりないので、特にストレスに感じていたということはありませんでした。
僕の場合はそれまで素の自分か「さなり」かだけだったので、演技で新しい人格みたいなものが増えたことで「僕って誰なんだろう?」っていう気持ちになっていたことはあります。
──演技経験がアーティスト活動に活きるということもありそうです。
さなり 嘘つくのが上手く……じゃなくて、「さなり」を演じるのはうまくなったかもしれません。演技レッスンをはじめてから、意図して演じるというよりも、自然と「さなり」に切り替えられるようにはなったと思います。
さなり 2019年は積極的に楽曲をつくりたいという気持ちがあったんですけど、2020年はそれがなくなってしまって。すでにタイアップが決まっているような「つくるべき曲」しかつくっていなかった気がしました。
というのも、コロナ禍であまり外に出れず、次第に引きこもりはじめたことで、いつの間にかやる気が出なくなってしまっていたんです。家から出れない中でゲームに打ち込んでいたんですけど、情熱がそっちにいってしまったというか。『Apex Legends』がSteamやNintendo Switchでもできるようになって、余計のめり込んでしまっていました(笑)。
ライブの数も減って音楽に触れる時間が少なくなった結果、曲のつくり方を忘れてしまったんですよね。テクニック的な面ではなく、気持ちの部分でのつくり方です。僕は曲に対する熱がないと納得できる楽曲がつくれないんですけど、徐々に熱が乗らなくなってしまって「なんかもういいや」と思ってしまっていたのかもしれません。「Sanari Nineteen’s Birthday Party」MC
──何か精神的なダメージがあったんですか?
さなり これといったダメージはなかったんですけど、どちらかというと満足感が出てきたという感覚が近いです。「もうこれくらいでいいか」「やりきったのかな」みたいな感覚がありました。
もともとはゲーム感覚でラップをやっていましたが、さなりになって仕事としてやらなきゃいけなくなったことが大きいのかもしれないと思っています。最初は「仕事になってもゲーム感覚でやっていた頃と変わらないかな」と思っていましたが、気持ちとしては結構変わっていたみたいです。
そこから徐々に熱が入らなくなったというか、さなりになる前のような気持ちで曲がつくれなくなっていきました。さなりとしてデビューしたこと自体に、安心して満足してしまっていた。
オーディションで優勝して15歳でデビューしましたが、気づかないうちにデビューすることが目標になっていて、達成されたことで自分が納得できる曲がつくれなくなる。その状況は辛かったですね。
──それは具体的にいつくらいの時期なのでしょうか?
さなり 辛く感じるようになったのは2020年くらいからですね。2019年は辛いという気持ちはなかったんですけど、曲に対して妥協してしまっていた部分はあるかもしれません。
クオリティをもっと高められるはずなのに「この曲はこれでいっか」みたいな気持ちになってしまうことが多かったように思います。そこから徐々に落ちていった感じですね。今でも熱が入らないこともありますが、一番落ちていた頃に比べるとだいぶ回復してきました。
小学生時代からYouTubeに自作したオリジナル動画を投稿してきたクリエイターというバックボーンを持ちながら、2018年にSKY-HIさんのプロデュースのもと15歳でメジャーデビューを果たしたアーティスト。
その後、恋愛リアリティ番組『白雪とオオカミくんには騙されない』をはじめ、ドラマ『いとしのニーナ』『ギヴン』にも出演するなど、活動の幅を拡大。一見順調だが、2020年前後から楽曲のリリースが少なくなっていた。
「何を考えてもネガティブな思考に支配された」時期を経て、4月1日に待望の新曲「Begin Again」をリリース。文字通り再始動しようとするさなりさんは、これまでどんな思いを抱えて過ごし、どんな未来を見据えているのだろうか。コロナ禍での心理状態、さらには自身に対するSNSでの誹謗中傷まで、包み隠さず赤裸々に語ってもらった。
【画像】さなり撮り下ろし写真をもっと見る(全21枚) 取材・文:高橋梓 編集:恩田雄多 撮影:寺内暁
目次
デビューから現在まで「自分は誰なのかがわからない」
──さなりさんの活動の原点はYouTubeとのことですが、なぜ楽曲制作をはじめてみようと思ったのでしょうか?さなり もともと僕は即興ラップ、フリースタイルラップをバトルでやっていました。当時は中高生ラッパーが増え出した時期で、みんな流行りのフリースタイルラップをやっていたんです。
でも僕は「ラップだけやっていても違うかな」「曲を出してこそラッパーになれるんだ」と思っていたので、まずは友だちと一緒に歌詞を書くようになりました。その歌詞をYouTubeで無料公開されているビートに乗せてみたことが楽曲制作のはじまりです。ずっとフリースタイルラップをやっていたこともあったので、あまり難しく考えていませんでしたね。
──独学ではじめられて、現在のキャッチーなトラックを生み出せるようになったということですね。
さなり 音楽を聴きはじめたきっかけがボーカロイドなんですけど、ボーカロイドってちょっと変わったコードを使ったり、特徴的なトラックが多いですよね。その影響が出ているのかもしれません。 ──具体的なアーティストからの影響というよりも、ボーカロイドで感性が培われた?
さなり トラックに関してはそうですね。当時ハマっていたのは、ねこぼーろことSasanomaly(ササノマリイ)さん、有機酸こと神山羊さん。彼らのトラックがすごく好きで、大きな影響を受けたと思います。
──2018年、15歳でのメジャーデビューから現在までを振り返って、自分にとって転機になった出来事はありますか?
さなり やっぱり「さなり」になったこと、つまりデビューしたことが大きいです。SKY-HIさんにプロデュースしてもらった楽曲でデビューしましたが、これまでと生活が大きく変わったこともあり、当時の僕は全然先が見えていなくて。「この先どんな感じになるんだろう」って不安とワクワクが入り混じっていました。
さなり 毎日いろんなことがありすぎて、何も考えていなかったかもしれません(笑)。こんなにも急速にたくさんの人に知ってもらえるんだとは思いました。でも、最初は正直よくわからなかったですね。初めてボイトレもやりましたし、ダンスもはじめて、レコーディングに行くようになって。目の前のことをひたすら淡々とこなしていたという印象です。
──2019年は恋愛リアリティ番組『白雪とオオカミくんには騙されない』にも出演され、その後『いとしのニーナ』『ギヴン』とドラマで演技にも挑戦されています。アーティスト活動以外の仕事に対しては、どんな気持ちで臨んでいたのでしょうか?
さなり 演技の仕事をしている時はちょっと不思議な感覚でしたね。今の自分とは全然違う誰かになるってそうそうないじゃないですか。僕は基本的に「やりたくないこと」があまりないので、特にストレスに感じていたということはありませんでした。
僕の場合はそれまで素の自分か「さなり」かだけだったので、演技で新しい人格みたいなものが増えたことで「僕って誰なんだろう?」っていう気持ちになっていたことはあります。
──演技経験がアーティスト活動に活きるということもありそうです。
さなり 嘘つくのが上手く……じゃなくて、「さなり」を演じるのはうまくなったかもしれません。演技レッスンをはじめてから、意図して演じるというよりも、自然と「さなり」に切り替えられるようにはなったと思います。
「曲がつくれない」原因は満足感
──そういった様々な活動を経験した前年と比べると、2020年は楽曲リリースのペースが落ち着いていますね。さなり 2019年は積極的に楽曲をつくりたいという気持ちがあったんですけど、2020年はそれがなくなってしまって。すでにタイアップが決まっているような「つくるべき曲」しかつくっていなかった気がしました。
というのも、コロナ禍であまり外に出れず、次第に引きこもりはじめたことで、いつの間にかやる気が出なくなってしまっていたんです。家から出れない中でゲームに打ち込んでいたんですけど、情熱がそっちにいってしまったというか。『Apex Legends』がSteamやNintendo Switchでもできるようになって、余計のめり込んでしまっていました(笑)。
ライブの数も減って音楽に触れる時間が少なくなった結果、曲のつくり方を忘れてしまったんですよね。テクニック的な面ではなく、気持ちの部分でのつくり方です。僕は曲に対する熱がないと納得できる楽曲がつくれないんですけど、徐々に熱が乗らなくなってしまって「なんかもういいや」と思ってしまっていたのかもしれません。
さなり これといったダメージはなかったんですけど、どちらかというと満足感が出てきたという感覚が近いです。「もうこれくらいでいいか」「やりきったのかな」みたいな感覚がありました。
もともとはゲーム感覚でラップをやっていましたが、さなりになって仕事としてやらなきゃいけなくなったことが大きいのかもしれないと思っています。最初は「仕事になってもゲーム感覚でやっていた頃と変わらないかな」と思っていましたが、気持ちとしては結構変わっていたみたいです。
そこから徐々に熱が入らなくなったというか、さなりになる前のような気持ちで曲がつくれなくなっていきました。さなりとしてデビューしたこと自体に、安心して満足してしまっていた。
オーディションで優勝して15歳でデビューしましたが、気づかないうちにデビューすることが目標になっていて、達成されたことで自分が納得できる曲がつくれなくなる。その状況は辛かったですね。
──それは具体的にいつくらいの時期なのでしょうか?
さなり 辛く感じるようになったのは2020年くらいからですね。2019年は辛いという気持ちはなかったんですけど、曲に対して妥協してしまっていた部分はあるかもしれません。
クオリティをもっと高められるはずなのに「この曲はこれでいっか」みたいな気持ちになってしまうことが多かったように思います。そこから徐々に落ちていった感じですね。今でも熱が入らないこともありますが、一番落ちていた頃に比べるとだいぶ回復してきました。
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