傍観者だった“あなた”を引きずり出す、衝撃のクライマックス
これまでふたりしかいなかったはずの空間に、隠されたもうひとりの存在を見つけた男。ループ脱出のための隠された道が、ようやく開かれることとなる。
男性は靴をリズミカルに打ち付けると、画面の向こうにいた鑑賞者の“あなた”を引きずり出し、なんと同じ状況を共有させてしまう(ここまでポスタリゼーションされていた登場人物たちが、引きづり込まれた途端にリアルになるのも素晴らしい)。
そうして男性は脱出に成功するが、これまでMVを観ていた“あなた”は逆に捉えられ、次なるループの主人公にさせられる、という驚きの展開へと突き進んでいく。
男性と共闘することになる“私”/画像はYouTubeのスクリーンショット
なお、この“何事も自分ひとりでは限界がある”という展開は、『LIAR GAME』にも共通するところがある。
『LIAR GAME』では天才詐欺師・秋山深一の存在が自体を好転させる役割を担っていて、決して神崎直だけでは至らない理外の考えを教えてくれる。
神崎直が言う「必勝法がある」は隙だらけだが、秋山深一の「必勝法がある」は必ず、現状を打開するカギになる。
秋山深一「このゲームには必勝法がある」/画像はTVアニメ『LIAR GAME -ライアーゲーム-』公式Xより
また「あぶく」のMVでは<想像の頭上の上を行け>という歌詞から物語が佳境へ向かっていくが、こちらも『LIAR GAME』とリンクするものと捉えることもできるだろう。
もう以前のようには観られない?「あぶく」MVが生んだ無数のIF
鑑賞者の“わたし”たちに干渉するような「あぶく」MVのラスト。よもやの展開にしたその真意はn-bunaさんと、擬態するメタにしか分からない部分はある。
ただ、この急展開の余波は鑑賞後少なからず、我々聴き手に残るはずだ。
他のアーティストのMVを観たり聴いたりする際にも、「もしもここでこちら側に手が伸びてきたら?」「もしも動画内の主人公が自分ならどうする?」「この動画の未来はどんな感じ?」……当分の間、そんな考えが一瞬頭をよぎってしまうだろう。
今度は傍観者だった”わたし”が黒服の男に殺されることに/画像はYouTubeのスクリーンショット
ヨルシカはこれまで、ある意味では既存の音楽のパッケージ形態に逆らうような試みを行ってきた。
通常版とCDを付属させない2パターンのリリースで、CDのそもそもの在り方を問うた『創作』。スマートフォンやタブレットのカメラを画集の絵にかざすことで読み込み、専用の音楽再生ページへ接続する仕様を組み込んだ『幻燈』。実際の封筒と手紙を一枚ずつ開く体験を通して音楽を聴かせる『二人称』……。
音楽ストリーミングサービスで簡単に聴ける時代に、あえて音楽鑑賞に一手間かけるという、ヨルシカでしか体験できない特別感がそこにはある。
それらは結果として、音源により深みを与えるのと同時に、人によっては「音楽ってそもそもどんなものだったっけ?」と一度立ち止まって考える契機にもなったのではなかろうか。
ヨルシカ
今回の「あぶく」MVもまた、そういった音楽作品に対する向き合い方について、気づきを与える作品だ。
これまでのようにMVを観ていた頃には考えなかった数々のIFが浮かんでしまった瞬間、私たちを単なる傍観者の立場から当事者に変化させたと言えるのではないだろうか。
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