監督・熊谷友作「まだら牛さん自身が狂気山脈なんだ」
上映が始まる前、劇場内に入ると、ちょうどまだら牛さんの盟友・高生紳士さんによるアナウンスが開始。会場内からは「ホワァッ!」という声も上がっており、いきなり推しに話しかけられて驚いてしまった人がいたようだった。しばらくすると、会場内にまだら牛さんを始めとする関係者たちも集合。後ろの席からは「牛さんだ」「あの赤いパーカーいっつも着てるよな、すぐわかった」という声も。
そうした後に、会場は暗転し、映像が流れ始める。まず上映されたのは、制作過程を収録した「狂気山脈アニメ映画化のあしあと」(※)を再編集し、まだら牛さんや監督・熊谷友作さんのインタビューを加えたドキュメンタリーだ。
インタビューの中で筆者が印象に残っているのは、熊谷友作さんが「まだら牛さん自身が狂気山脈なんだ」「狂気山脈を描くにあたって、まだら牛さんが何をどう感じているのかが重要だと感じた」と言っていたことだ。
やや話はずれるが、「クトゥルフ神話」をつくり出したラヴクラフトさんは、悪夢などに度々悩まされており、彼自身の恐怖への体験と理解が、人間では到底叶わないような強大な存在による恐怖を描き出すための一助となったことが知られている。
それと同じように、未踏峰たる狂気山脈の頂上にある、誰も見たことのない景色を描き出すためには、まだら牛さんが自身の経験と想像力から導き出した“何か”を描き出す必要がある。 熊谷友作さんはまた、「答えを出すことで、小さくまとまってしまうのではないか」「完成させるのが怖い」とも語っていた。
『狂気の山脈にて』では、南極に秘められた太古の歴史を詳細に描くことで、却ってその計り知れなさが演出されている。神は細部に宿るとも言うが、登山のディテールにこだわり抜いている本作が、そのこだわりを突き詰めきった先に、一体何が描かれるのだろうか。
改めて、挑戦の意味を語り直す意義
ドキュメンタリーでは、まだら牛さんや熊谷友作さんがどのような思い、どのような意義を持ってこの挑戦を行ってきたのかも語られた。内容としては、この1年間、プロジェクトの発表時などから端々で語られてきた内容を改めてひとまとめにして言語化したものだった。改めて、自分がその挑戦を行う意義を言語化し、支援者の前に差し出すと言うのは、勇気がいる行為だと思う。
しかし、上映会という場で、1年間の成果を発表する前に改めてその表明を行ったのは、まだら牛さんが通した筋であり、成果物に対する自身の表れだったのだろう。
個人的には、丁寧にこれまでを振り返り、いざパイロットフィルムの上映へと向かっていく緊張感は、カウンター席の高い寿司屋で、ネタの山地や調理工程などを丁寧に熱く語られた上で、皿に盛り付けられ、「さぁ、食べてください……!」と目の前に差し出されたような気分だった。
「ここまでされたからには、改めてこちらも真剣に見ないと失礼だな」と身が引き締まったのを思い出す。
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