まさかのソニー・ミュージックの社員に
2010年 初のバラード涙MIXリリース、そしてソニー・ミュージック入社
2010年2月
「ひだまりの詩」や「if...」、「プラネタリウム」などを収録した初の国民的バラードMIX『J-ポッパー伝説 涙』をリリース。“泣ける男”として知られるフリーアナウンサーの徳光和夫さんが号泣するCMは当時話題を呼んだ。そしてそのまま、SONY MUSIC ASSOCIATED RECORDSとのアーティスト契約に加え、業務委託契約を結び、ソニー・ミュージックへ入社。
MIX CDをリリースする上で最も難航する作業である楽曲使用の許諾手続きをはじめ、ジャケット制作や宣伝周りなど、選曲して音源をつなぐDJとしての仕事に加え、作品の制作自体に社員として深く関わるようになった。
西麻布で出会った現在のプロデューサーに提案されたのがきっかけでした。当時の僕のDJとしての仕事は「イベントでのDJ」+「MIX CDをつくる」くらいだったので、オフ期間が長いんです(笑)。
リリースが空いてる時期は結構時間を持て余していて、プロデューサーから「DJ和をやりながら、DJ和の担当をしろ」という話をいただきました(笑)。社会人としての勉強にもなりますし、それが他にあまり見たことがない形態だったので面白そうだと思って「お願いします!」ということになりました。 DJ和さんのコメント
2011年 伝説のロック43曲怒涛のノンストップ!!
2011年3月
「今すぐKiss Me」、「イージュー★ライダー」、「POISON~言いたい事も言えないこんな世の中は~」など、王道の名曲ロックを収録した『J-ロッカー伝説』をリリース。社員としてはじめて制作に関わった作品にして、ロックギタリスト・野村義男さんがライナーノーツを執筆した。前作の『J-ポッパー伝説 涙』の実売(約3万枚)を超せなかったらDJを辞める宣言をした程の渾身の意欲作。
しかし結果はリリース5日前に東日本大震災が起きたこともあってか、初週実売800枚。シリーズ初のオリコン圏外を記録することとなった。
アーティストとしてだけでなく、社員としての責任も大きく、DJ和存続の危機に立たされた年でもあったそう。
売上不振… 存続危機に立たされる
そんな中、売上不振に悩みながらも震災復興に力を注いでいたDJ和さんは、ゴールデンウィークに神奈川・海老名サービスエリアで10日連続でチャリティー企画としてDJ実演イベントを実施。誰もが知っている名曲ロックのノンストップミックスは、多くの人の心に響き、2,000枚ものCDを売り上げる。このあたりから、徐々に口コミで広がっていき、年末には3万枚を突破。2013年夏には7万枚を突破することとなった。
以降、破竹の勢いでその活動は激しさを増し、秋にはヨーロッパ最大のマンガやアニメなどの日本文化とエンターテインメントのフェスティバル「Lucca Comics & Games 2011」へ出演。そこでのアニソンDJに対する海外のアニメファンからの反響は予想以上に大きなものだった。2011年の存続危機に関しては、勝手に自分を自分で追い込んでいたということもあるのですが、実は1作目の『J-ポッパー伝説』から4作目の『J-ポッパー伝説 涙』まで、売上は少し右肩下がりでした。
その状況に自分の力不足を感じていて、『J-ロッカー伝説』のリリースが決まった時に、自分を奮い立たせるために、「前作の『J-ポッパー伝説 涙』を越えなかったらDJやめます!」と大勢の大人がいる会議で言いました(笑)。
リリース前だったので何の保証もなかったのですが、とにかくこれは自信作でした。でも発売週はなんとオリコンランキング圏外……。「あ、やばいな……」と思いました(笑)。だけどそれからは、地方を中心にジワジワと少しずつ広がって、大変ありがたいことに、結果的には『J-ポッパー伝説 涙』の倍以上の売上になりました。 DJ和さんのコメント
ここでの経験が、後のアマチュア時代からの念願であったアニソンMIX CD「J-アニソン神曲祭り」シリーズにもつながっていく。
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DJ和
DJ
そこにいる全ての人の心と体を揺らす、抜群のスキルと斬新な選曲。
「J-アニソン神曲祭り」「J-ポッパー伝説」シリーズ等々、
今までにリリースしたMIX CD13枚の累計が80万枚を突破。
ANIMAX MUSIX、@JAMなど国内をはじめ、イタリア、インドネシア、
台湾でのアニメフェスなど国内外の様々なフェス・イベントでDJを担当している。
DJ和 Twitter(@djkazu1025)
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