新しい一歩を踏み出そうとする時、誰でも自分がその世界で“通用”するかどうか考えると思う。【通用】《名・ス自》
広く、正式なもの、役に立つものとして用いられること。
例えば、僕はラッパーだけど同時に今はライターをやってる。
文章を書くという行為の歴史は途轍もなく長く、はっきり言って上には上が居過ぎてうんざりする。だから、初めて正式にお金をもらって文章を書かせてもらった時は、自分の文章が“通用”するのか本当に不安でしょうがなかった。
おそらく、今でも「ハハノシキュウはライターを名乗れるレベルじゃない」と思っている人がたくさんいる。それでも、僕は“通用”するかどうか戦い続けるしかない。
Webで読めるこの漫画『I'M STILL LAST ONE』は、そういう意味で非常に苦しい戦いを強いられている。 具体的に言うと、これは階層の異なる二種類の苦難を抱えている。
1.MCバトルの世界で自分が“通用”するか苦悩する主人公。
2.MCバトルを題材にした漫画が“通用”するか苦悩する作者。
※作者の鈴木佐藤先生にとってこれは初掲載作品にあたるらしく、1人の漫画家として“通用”するかも関わってくる。
一番険しい道は、何の言い訳もできない王道
MCバトルを題材にする上で、この漫画は果敢にも最も険しく、最も言い訳のできない“ステレオタイプへの道”を選択した。“漫画化できないスポーツはない”という通説があるように、どんな題材でもスラスラ読めるようにそのスポーツの真髄か何かをストーリーやキャラに変換してしまうのが漫画の面白いところだと僕は思っている。
例えば、ほったゆみ/小畑健の『ヒカルの碁』は何度通読しても、囲碁のルールが全く覚えられない。なのに、物凄く面白い。人気のある漫画はその変換が非常に上手いのだと思う。
僕は漫画を書いたことがないし、批評家でもないので明確な言葉では言い表せないが、その変換の上手さには漫画的な文法が関わっていると思っている。
この文法と言うのがまた言語化するには非常に厄介で、僕なりの嚙み砕き方で言うなら“模倣力”という言葉がしっくりくる。
“模倣力”は、『スラムダンク』を読んで「スラムダンクっぽい漫画を描きたい」と思い、バスケを違うものに置き換えて「スラムダンクっぽい漫画」を描けるスキルとでも言っておこうと思う。
これはラップの世界でも一緒で、その「〜っぽさ」を身体で覚えて自分で表現することに似ている。MCバトルだと相手のビートアプローチを真似したりするのに近いと思う。
とにかく、そういう意味合いで『I'M STILL LAST ONE』はヒップホップもMCバトルも一切知らない方がむしろ楽しめる漫画的な文法に基づいた描き方をされている。
ヒップホップが一般化したからこそ許される描写
「戦極MCBATTLE」主催のMC正社員氏はあらかじめヒップホップを巡る環境がこうなることを予見していたかのように、3年も前のインタビューでこんなことを言っている思い返せば、あの人は「MCバトルは一般化する」と手書きの宝の地図を広げながら雨の日も風の日もずっと唱え続けていた。「個人的にはバトルがスポーツ化してるっていうけど、(中略)それって“一般化した”ってことだと思うんですよ」 「VOL.7 MC正社員 - Freestyle MC Battle.com」より
そして、MCバトルは確かに“一般化”した。
その証拠に、『I'M STILL LAST ONE』の主人公は冒頭でヒップホップが好きだと明言しているが、どんな風にヒップホップが好きなのかは一切描写されていない。 これは普遍性を保つための工夫である。
例えば、缶コーヒーの銘柄をセリフに入れるんじゃなくて、そのまま缶コーヒーと言っちゃった方が共感できる人の数が浅く広くなるように。
それに近いニュアンスで、程よく広い意味を持たせたヒップホップが描かれているのはあくまでも、MCバトルを題材にした漫画をより“通用”させるための策だと思う。
さらにMCバトルそのものについてもほとんど説明がないのも印象的だ。“決勝戦は8小節3本勝負! 観客の歓声が大きかったほうの勝ちだ!”その程度の描写しかない。 友情や恋愛にルール説明がないのと一緒で、MCバトルが“一般化”した今だからこういう省略が許されるのだ。
しかし、この漫画はそんな“一般化”した現状に甘んじることなく、本当に果たすべき目的をもっと遠くに見据えて描かれているのだと僕は思う。
“通用”の門をこじ開けるのはいつだって
繰り返すが、『I'M STILL LAST ONE』の物語はステレオタイプだ。“何者にもなれない日常を変えたい主人公がそれを実現していく話”
多くの漫画読みには馴染み深い物語だからこそ、まだ漫画においてそこまで手垢の付いていない“MCバトル“という絵の具を使わなければ成立しなかった物語だと言える。王道であるがゆえの難しさがここにはある。
しかし、皮肉にも現実では「MCバトルに出てラッパーになる」という行為はそこまで難しくない。
多少のつまずきはあっても、ずっと出続ければ“通用”する人間の方が多いからだ。
だけど、“通用”する前は誰だって不安だし、“通用”した後はもっと不安だ。
地方大会で優勝しても、全国では“通用”しないかもしれない。「戦極MCBATTLE」でベストバウトに選ばれても、「フリースタイルダンジョン」では“通用”しないかもしれない。バトルで名を上げても、ミュージシャンとしては“通用”しないかもしれない。
そんな“通用”の登龍門がこの漫画なのだ。
『I'M STILL LAST ONE』で描かれているのは主人公にとっての最初のドアであり、この漫画そのものが作者にとっての最初のドアでもある。
しかし、この漫画の目的は、階層の違う主人公と作者の2人だけで開ける最初のドアを“通用”させることではない。
なぜなら、本当に果たすべき目的は、ヒップホップもMCバトルも知らない“一般”の人間に「面白い」「感動した」と言ってもらうことにあるからだ。
それは現役のラッパーに褒められることよりも価値があると思う。
だからこの戦いは何小節あっても足りないくらいに長い。 しかし、それと同時に読み手がまだ若い学生でいられる時間も恐ろしく短い。
『I'M STILL LAST ONE』は本来、僕のような若さを通り過ぎてひねくれた人間のためにあるものではない。もっと青く、尊いものなんだと僕は思う。
僕がまだ大学4年生だった頃、就職活動が上手くいかず夏休みを利用して地元に帰った時のこと。
母方の実家に親戚が集まるとのことで連れて行かれた僕は、内定が1つも取れていなかった状況に劣等感を抱えていた。そんな席で、ふと叔父さんにこんなことを言われたのだ。
「お前は何か大きいことをやる目をしてるから大丈夫だ」
父親からは「いやいや、こいつはダメだ」と笑われたが、僕はその“根拠のない何か”にかなり救われたのを覚えている。
だから、若さにもっとも必要なものは“根拠のない何か”なんだ。
そして、この漫画には“根拠のない何か”があると僕は思うのだ。 文:ハハノシキュウ/母野宮子 編集:新見直
『I'M STILL LAST ONE』を読む
掲載情報
『I'M STILL LAST ONE』( アイム・スティル・ラスト・ワン)
元は2017年1月に「pixiv」に投稿されたWeb漫画。発表後、大きな反響を呼び、6月30日(金)から講談社のモーニング・アフタヌーン・イブニング合同Webコミックサイト「モアイ」にて掲載開始。著者・鈴木佐藤氏初の商業誌デビューとなる。
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『I'M STILL LAST ONE』( アイム・スティル・ラスト・ワン)
元は2017年1月に「pixiv」に投稿されたWeb漫画。発表後、大きな反響を呼び、6月30日(金)から講談社のモーニング・アフタヌーン・イブニング合同Webコミックサイト「モアイ」にて掲載開始。著者・鈴木佐藤氏初の商業誌デビューとなる。
関連リンク
ハハノシキュウ
ラッパー
6月28日にハハノシキュウ×オガワコウイチ名義で2枚組アルバム「パーフェクトブルー」をgoodnight! Recordsよりリリース。
青森県弘前市出身のラッパー。作詞家、ライターなどの顔も持つ。MC BATTLEにおける性格の悪さには定評がありUMBや戦極MC BATTLEなどに出場し、幾多のベストバウトを残している。またライターとしてはクイックジャパン、KAI-YOUなどへの寄稿で好評を得ている。特徴的なザラつきのある声と、自意識や青春をこじらせた英語を使わない歌詞を武器とし、2012年5月にファーストアルバム『リップクリームを絶対になくさない方法』を、2013年9月にはDOTAMA×ハハノシキュウ名義でアルバム『13月』をリリースしている。2016年11月にはおやすみホログラムの遍歴をエモーショナルにラップした『おはようクロニクル』がポニーキャニオンからリリースされ、衝撃のメジャーデビューを果たしている。
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