スタンダードに努力を続けるお笑い芸人・作家の又吉直樹
又吉と綾部のお笑いコンビ・ピースのネタは、設定やキャラクター像は突飛であっても、笑いの取り方はスタンダードだと私は思う。しっかりした形のあるネタをする。けして荒くない。2010年の「キングオブコント」決勝で見せた、男爵と化け物のネタもそうだ。化け物を指揮するはずの男爵が、化け物のかわいいおねだりに負けてプリクラなどを撮ってしまうというものである。
化け物と男爵という組み合わせはかなり変わっているが、男爵が毎回おねだりに負けてしまうという形はきれいであり、とても見やすく、わかりやすい。
ピースは、そして又吉は、芸人としても作家としても、おそらく努力型なのだと思う。
『劇場』のストーリーも、純文学としてスタンダードなものである。そこに自らの目線や日常生活で見てきている風景(作品中の舞台のかなりの部分を占める下北沢に、又吉はよく訪れるそうだ)を取り入れてきれいに仕上げている。
文章力のうまさは第2作と思えないほどだ。多くの本を読んできた体験がベースとしてしっかりあることを感じさせる小説となっている。
羽田圭介『成功者K』と又吉直樹『劇場』
2015年に又吉と同時に第153回芥川賞を受賞した羽田圭介は、『成功者K』という、自分の顔写真を大きく使った単行本を3月10日に刊行した。羽田は芥川賞をとってから、テレビをはじめとするメディアに出続けた。自分の作品の表紙を印刷したTシャツを着て、である。小説を売るため、と羽田は一貫して主張する。
『成功者K』の内容は芥川賞を受賞した作家の話である。モテモテという設定で、そのためか表紙の羽田は美肌に加工されまくっているように見える。メディアに作品の表紙を見せることを続けてきた羽田は、メディアで知られた自分の顔を表紙にすることで、小説を売ろうとしている。もっと言うと、小説を売るために自分を売ったのだ。
羽田は若くしてデビューした作家である。意欲的にまたチャレンジングに作品を書いてきたが、わかりやすい大ヒット作がなく(失礼で申し訳ない)、地道に作品を書き続け、努力してきた人である。
一方又吉は、もともと芸人としてメディアにかなり出ており、名が知られていた。また書評や自由律俳句の著書もある。小説を愛する芸人、としての知名度は抜群に高かったといえるだろう。
そんな彼が文芸誌『文學界』で『火花』を発表したのだから、売れ行きは抜群によかった。『文學界』史上初の増刷がかかるほどの人気ぶりであったという。
単行本は売れに売れ、今回、芥川賞受賞後初となる作品『劇場』を掲載した『新潮』も、文芸誌としては異例の4万部発行、さらに発売日翌日には緊急重版という結果に。
又吉は、小説では、努力する人、天才型に憧れている人を書いてきた。『劇場』では純文学らしさをさらに高め、作品の力で戦っていこうとしている。
しかし、自身の書く作品とはうらはらに、又吉は、がんばってセールスしなくとも本が売れてしまう、天才型、の位置にすとんと座ってしまったのである。
「天才に憧れる努力家」を描いた作品の中身で売りたいが、話題性で注目されてしまった天才型又吉。若くしてデビューし注目されたがなかなか機会に恵まれず、作品を磨くだけではなく“売る”努力を積み重ねてきた羽田。2人の構図は奇妙で、皮肉的である。
『劇場』と『成功者K』の評判や売り上げが、今後どうなっていくのかはわからない。ただ、2人を対立させて考えるのは違う。
文学は勝ち負けではない。そもそも一冊の本の売り上げだけでは作家の全てを判断することはできないだろう。
売れた冊数はわかりやすい指標ではある。多ければたくさんの人が手に取ったということになるからだ。そして、多くの人に読んでほしい気持ちを持つのは作家として当然だと私は考える。
自分を売るのは、賭けだ。失敗するとどれも掴めずに中途半端になってしまう。自分を前に出して、まっすぐに作品を読んでもらうことと向き合う、努力する羽田を私は本当にすごいと思う。
芥川賞をW受賞した又吉直樹と羽田圭介。そして、今回の作品発表・刊行タイミングの一致。偶然かもしれない。けれど、示し合わせたかのようなこのタイミングが、仮に出版社の狙いだったとしてもいい。普段小説をあまり手に取らない人が興味を持つきっかけになってくれればとても嬉しいことだ。
ところで綾部は本当にニューヨークに行くのだろうか。誰か止めたほうがいいんじゃないか。努力するのはいいが、方向を間違えてないか、心配である。 又吉直樹『劇場』を購入する 羽田圭介『成功者K』を購入する
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