誰かと組むことでもっとすごいことができる、と実感してほしい
──今回のプレゼンで興味深かったのは、いずれのチームも外部の企業や団体と手を組んで、実現性のある施策に落とす構想にまで言及していた点です。近年、ビジネスの文脈で取りざたされている他者との共創やオープンイノベーションとも通ずるところがあるな、と。
田村正資 全チームに発表のテンプレートを渡して、今回のワークショップでの印象的な学びから自分たちが取り組む課題、その解決策をまとめてもらいました。ただ、自分たちに出来ることだけでは小ぢんまりとしてしまうので、他者を説得できるロジックとともに、(誰かと組むことで)自分たちの施策のポテンシャルをどこまで高められるのかにもチャレンジしてもらったんです。
というのも、現在東京ドームシティで開催中の『トーキョーディスカバリーシティ』しかり、QuizKnock自身も会社としてさまざまなエンタメの素養やノウハウを持っている人たちと組むからこそ、大きな世界観や大規模な施策を展開できているという実感があるからです。自分だけでなく、他者と一緒にやればもっとすごいことが出来るという感覚は社会人になれば自然とわかってくると思いますが、中高生の段階からその感覚を持てれば、イノベーションに向けた視座はもっと広く、高くなっていくはずです。
伊沢拓司 テレビのSDGsウィーク・キャンペーンを見てると、「こんなSDGsなことをしました!」で終わってるケースが多くて。もっと視野を広く取って、本質的な解決へとつながるような動機づけができたらいいのにと思うんです。世界を変えるビジネスアイディアは大きく考えて人の力を借りるところから始まるわけで、子供の頃から大きく考える癖をつけてほしい。
もちろん重要であることは前提の上で、みんなが揃いも揃って「レジ袋を減らそう」と言う意味はあまりなくて、そこから先が面白いところだと思うんです。現状、SDGsはSNSなどで(意味がないと)バカにされがちですが、より本質的なSDGs施策を展開するためには他者とともにデカいことをしっかり実行していくことが大事なんだと思います。
その点、今回のプレゼンでは、実現性に苦慮した学生たちがコラボする相手先としてJERAと我々QuizKnockのことを、すべてを解決してくれるデウス・エクス・マキナ的存在として挙げがちで、そこは今度の課題とも感じました。
田村正資 「自分たちの力でできること」を掲げてはいましたが、できる/できないの間を攻めてほしい思いはありましたね。「できない」を理由に止めたり、「できる」からやるのではなく、できたら素敵だけど今できないのであれば、なぜできないのか、それを解決するためにはどうしたらいいのか、という発想をしてほしい。それは、QuizKnockが仕事をする時に心がけていることでもあります。
話はまとめなくていいし、正解を出さないでもいい
──今回のプレゼンでは「マス広告キャンペーン」や「小学生を対象としたイベント」など、プロジェクト的なソリューションが数多く提案されていました。一方、近年は地球温暖化に対するソリューションを打ち出すスタートアップベンチャーが盛んで、学校教育においても科学や技術、工学を重視する「STEAM教育」が推進され始めています。こうした状況にあって、個人的な印象として想像よりもプロダクト的な発想が控えめだと感じました。
伊沢拓司 まず、みんなが膝を突き合わせて意見をぶつけ合ったときに、誰かのアイディアとして一つのプロダクトが出てくると少し(発案者の)主張が強くなるのだと思います。今回は初対面のメンバーでチームを組んでもらってますから、そういう具体的なアイディアを初手から出すことを、提案者自体が遠慮したのかなと。だから結果的に、無意識のうちにみんなで一緒に考えられるプロジェクト的な案を自然に選んでしまいがちで、これは協調性でもあり弱さでもあるかと。
僕は休憩時間に全部のチームと個別に話をしましたが、どこもみんな「話をまとめるのが難しかった」と言っていました。今回の参加者全員、話をまとめたのは偉い。でも、最初から話をまとめる方向に動かなくてもいいんですよ、アイディアを固めて発表しろと言っておいて酷ですけど。
正解重視の教育が主流となっている現状においては、正解を追い求めることのほうが慣れていますから、最初から正解というゴールを意識して動くことが前提となっている気がします。でも、最初はやっぱりアイディアを発散させてほしい。その過程が評価されることで、結果的に出した解答のクオリティも上がるはずです。子どもたちの周りにはもっと多様な評価軸をつくってあげたいし、僕たち自身も正解や正しさだけを追い求めていく状況を崩していかなければならないと感じています。
ただし、今回は「伝える」というテーマ設定ですから、プロジェクトでもプロダクトでも結果的にはOKです。それはそれとして、ルール設定を少し変えるだけでもプロダクト的な発想を含めて面白いことになるのかなと思います。
田村正資 今回、議論を通じて「伝える」というテーマに絞っていく中で、ディレクション側としてプロダクト的な発想が入る余地や遊びをつくれていなかったのは反省点ですね。
それでも、今の子どもたちに「プロダクトを考えてみよう」と投げかけてみたり、チーム内でエンジニアや企画者といったロール制を導入してみたりすれば、そこではまた違った多様なアイディアが数多く出てくるでしょう。ですから、今後の企画ではいろいろな形を試してみたいと思います。
伊沢拓司 最高なのは、QuizKnockは「続いていく」ことが決まっているということなんです。
これが学校の授業で一発実施するだけなら次の機会はないかもしれないけど、我々は今後も必ず何かしらのワークショップをやっていきます。その時に、田村が今言った反省点を素晴らしい形でフィードバックして、より良いモノが出てくるはず。そうやってこれからもより良いモノを世に出し続けていくということこそ、QuizKnockを一時的なサークルのようなものに終わらせず、事業化した大きな意味でもあるんです。
「『問い』を持ち続けてほしい」QuizKnockの願い
──最後に、日本ではプレゼンやディスカッションは長らく苦手とされてきており、少なくとも10数年前の普通教育でこれらが重視されていた印象は個人的にもありません。こうしたプレゼンやディスカッション力の低さは、日本社会にどのような影響を与えているとお考えでしょうか?
伊沢拓司 今日の参加者のプレゼンはみんな上手でした。ただ、各5分という限られた尺ということもあり、用意してきたものの発表で終わったり、質疑応答も欠けている点の指摘に留まってしまうケースもあって、「伝える」という意味ではまだ大きな課題があるというのが率直な意見だと思います。
しかし、何事も一足飛びには出来るようにならないわけで、中学1年生も参加していた本プロジェクトにおいては、知らない大勢の人の前に立つことだったり、学校とは違うヒエラルキーの中に身を置く経験をすることに意味がある。正直、学校という現場では一人ひとりに十分な時間を充てるのには限界があると思うので、僕たちのような人間が学校以外のヒエラルキーに子どもたちを解き放って、そこでの経験を学校へと還元する機会をつくっていきたい。今は学校に多くのことを担わせすぎちゃってるから。学校には学校の良さがあり、そこにないものは外から補うべきです。そうすることで、もっと良い社会になるはずだと思っています。
田村正資 今の教育業界の実情ですと、ディスカッションや探究を行ったとしても、自分ではない誰かが考えた似たようなアイディアを正解のように扱ってしまっている、というのは仄聞しています。今回、3ヶ月におよぶ連続ワークショップを行う中で「ガチ」という言葉がキーワードとして出てきました。JERAさんが温暖化対策にガチで取り組んでいる企業ということから、これを受けて「みなさんはガチで考えていますか?」という問いかけをしたかったんです。
今回のワークショップも正解を出して終わり、ではありません。そもそも、ワークショップをしただけでは二酸化炭素はまったく削減されていませんしね。ここから家に持って帰って、正解を出さずに学んだこと、考えたことを「問い」としてずっと持ち続けてほしいし、問いがあれば探究や議論をすればいい。こういった考えは、「正解を出して終わり」にしてしまう現状に対する我々なりのカウンターとしてずっと意識してたことです。
また、今回参加した学生は熱量も高く、本気で議論を交わしてくれましたが、中には「学校だとちゃんとやると恥ずかしい」とか「友達の前でここまでやると真面目ちゃんイジりをされる」と話す子もいました。でも、QuizKnockが好きな人たちが集まるとどれだけ真面目な話をしても嫌われずに、ちゃんと議論が出来るんですよね。これは当初意図していませんでしたが、伊沢が言うように、QuizKnockというブランドによって、いつもとは違った真面目な私、頑張りたい自分を解放できる場をつくれたというのは面白かったし、今後もワークショップをより良くしていけるだろうと感じる部分でした。
──言ってしまえば、QuizKnockが”学びのサードプレイス”になっているわけですね。QuizKnockの今後の活動の楽しみです。本日はありがとうございました!
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