『東京卍リベンジャーズ』とはなんだったのか? 一貫して描かれた「痛みの共有」

『東京卍リベンジャーズ』が稀咲を倒して終われなかった理由

そう考えてみると、超常的な力として描かれた「黒い衝動」と「未来予知」にも、無理やりではあるが解釈の余地が生まれる。

「黒い衝動」は、理解・コミュニケーションのための力であるタイムリープを、殺して奪うという対話以外の方法で奪ってしまったがために生まれた「対話を拒否する意思」の象徴だ。

反対に、「どんな相手とも対話しようとする意思」の延長線上に、相手の未来さえも見てしまう「未来予知」があるのではないだろうか。

もっと言えば、「黒い衝動」は、家庭環境に起因するトラウマを抱えた一虎や、コンコルドのプラモデルをきっかけにあふれ出したマイキーの歪みといった、「ヤンキー」たちが抱える非行のルーツ、“ヤンキーのヤンキーたる所以”に共通する因子として存在している。 何が「ヤンキー」たちを犯罪者に変えてしまったのか、その原因を、タイムリープを繰り返す中で検証していき、その果てに出てくる原因としての「黒い衝動」。

だからこそ今作は、どんなにキレイに見えたとしても、稀咲を倒しただけでは終わることができず、逆にタケミチ(読者)がタイムリープにまつわる全てを解き明かし、「ヤンキー」という存在の核を受け止めた時点で、あとの過程は飛ばしてでも問答無用でハッピーエンドとなったのではないだろうか。

なぜ最終回で子供時代からやり直す必要があったのか

『東京卍リベンジャーズ』がドラマではなく、キャラクターによって駆動していったのは、「ヤンキー」たちを繰り返し条件を変えて描くことで、何が核となっているのかを検証する必要があったから

そして、検証しなければいけなかったからこそ、勢いで物事を片付けられるはずのヤンキー漫画に、ロジックが必要になった。

ヤンキー漫画でありながら、学生からの卒業というイベントに重きが行われなかったのも、重要なのはどういうトリガーで「ヤンキー」になって、どう犯罪者としての側面を強めていくのかという人生の方が重要だったから

警察官であるナオトがフェードアウトしていったことも、大人の視点からはじまり、読者と武道が徐々に「ヤンキー」を理解し、そちらに寄っていったことの表出なのかもしれない。

KAI-YOU.net編集部で行われた座談会(外部リンク)でも言及された、仲間との信頼が重要なはずのヤンキー漫画にもかかわらず、“武道は自分がタイムリーパーであることを仲間になかなか打ち明けず、一歩引いている”という問題も、「ヤンキー」という存在の理解こそが今作の到達点なのだと考えればどうだろう。

だからこそ最終回でもう一度子ども時代から共に歩み、彼らを理解し直さなければならず、そしてそうすることで、敵だったキャラクターもひっくるめた全員が仲間になったと解釈して、納得できるかもしれない。

2023年に予定されている特別編に期待

ここまで、ヤンキー漫画が好きで、マイキーの「オレが不良の時代を創ってやる」というセリフに魅せられた人間として、改めて『東京卍リベンジャーズ』がどういう物語だったのかを振り返ってきた。

正直に言えば、座談会でも言及しているように、連載中は「不良の時代」がなんなのか分からずモヤモヤした。

いきなり現れた新キャラクターが「フォルテッシモ!」と言いながらドラケンを殴り倒した時は、何を見せられているのかと思った それでも、あくまで個人的な解釈ではあるが、物語を通して何が行われてきたのかを考えることで、筆者個人としてはラストの展開にも納得ができた。

もちろん筆者の解釈に納得できない人もいるだろうし、それを押し付ける気もない。

ただ、もし筆者と同じように楽しんで『東京卍リベンジャーズ』を読み、最終回の展開に納得がいかない人がいたら、こういう読み方もあると提示できたらと思う。

公式Twitterでは、2023年11月になんらかの特別編が始動予定であることが告知されている。そこで一体何が描かれるのか、楽しみに待ちたい。
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