アカデミー賞長編アニメーション部門を受賞したことでもわかる通り、猛烈に出来のいいエモーショナルな映画だ。アニメという表現方法の面でもやれることを全部やっている作品であり、文句なしに面白い。
“もしも”が繰り返され豊かになるアメコミヒーロー
最近は日本でもよく知られるようになってきたが、アメコミのヒーローたちは作者のものではなく、マーベルコミックスやDCコミックスといった出版社のものである。だから人気のあるキャラクターはありとあらゆる方向性と手段でいじり倒されることになる。「もしもこんな〇〇(ここには任意のヒーローの名前を入れてほしい)が存在したら……」という、ドリフのコントのような設定の、特定のヒーローの設定をいじった存在が林立することになる。
「もしも女性だったら」「もしも時代設定が未来や過去だったら」「もしも人種が違ったら」「もしも正体が人間じゃなかったら」──こういった、いわば公式による二次創作のような手順が何度も踏まれることで、アメコミの世界は豊かになってきた。 マーベルを代表する人気者であるスパイダーマンともなれば、この"もしも"を代入された存在は大量に存在する。なんせ、基本的には(あくまで基本的にはである)「特殊な蜘蛛に噛まれればスパイダーマンになれる」というヒーローだ。あとはその蜘蛛が誰を噛むか次第である。
というわけで、無数に生まれたスパイダーマンたちがそれぞれ違う宇宙に存在しているというややこしいことになった。
中年ピーターとスーパーパワーを手にした少年
映画『スパイダーマン:スパイダーバース』は、このスパイダーマンにまつわる構造のもとに生まれた作品である。主人公は13歳の少年マイルズ・モラレス。彼のいる世界にはすでにスパイダーマンが存在しており、日々犯罪と戦っている。
しかし時空をゆがめようとした悪党・キングピンとの戦いでスパイダーマン=ピーター・パーカーは死亡。謎の蜘蛛に噛まれたことで壁に貼り付くなどスーパーパワーを得たモラレスだったが、ピーターの跡を継いで戦うには力と経験が不足していた。
そんなある日、モラレスの前にピーター・パーカーと名乗るおっさんが現れる。この中年ピーターはキングピンの装置によって時空が歪められたことでモラレスの世界にやってきた、別世界のスパイダーマンだという。
モラレスは彼と共に巨悪に立ち向かうことになるが、そこにはさらに多くの苦難、そしてさらに多くのスパイダーマンたちが待ち構えていた。
実はピーター・パーカーありきの『スパイダーマン』
コミックの『スパイダーマン』は、実際のところピーター・パーカーありきと言っていいところがある。前述のように「多数の宇宙には多数のスパイダーマンがおり、彼らは同時に並行して存在している」ということにはなっているものの、出版社の商売として考えたとき、ピーター・パーカーという存在を抜きにしてスパイダーマンの物語を展開することは、やはり難しい。
有名な話としては、90年代にスパイダーマンのレギュラータイトルで展開された『クローンサーガ』のストーリーがある。これはクローンをつくる能力を持つヴィラン・ジャッカルによってつくられたスパイダーマンのコピーをめぐる一連の物語だ。 ベン・ライリーというこのコピーは当初ピーターの偽物として扱われていたが、のちにピーターこそがベンのクローンであったことが判明。ベンはピーターに代わって新生スパイダーマンを襲名するが、結局グリーンゴブリンによって殺害される。
その死後、実際にはやはりベンのほうがクローンだったことが判明する……という、結末が行ったり来たりしたエピソードだ。この結末のふらつきは、実際のところファンが「ピーターのほうがクローンであり偽物だった」というストーリーを支持しなかったから発生したものだと言われている。
確かに、数十年間「スパイダーマン=ピーター・パーカー」だと言われてきたのに、いきなりその前提をひっくり返されるのは耐え難いものがある。「のび太が植物人間だった」という内容の『ドラえもん』の最終回が公式にテレビで放送されたような衝撃があった……と書くと伝わるだろうか。
ピーターありきを覆す『スパイダーバース』
ことほどかように、なんだかんだ言ってスパイダーマンはピーター・パーカーと切っても切れない存在であり、そうであるからこそ無数に「もしも〇〇なスパイダーマンがいたら」という内容のコミックが生まれる余地がある。主軸がしっかりしているからこそ、オルタナティブが発生する価値が生まれるのだ。
映画『スパイダーバース』は、オルタナィブが主軸を食ってしまう作品である。単に主役がピーターではなくマイルズだからというだけでも、物語の序盤でピーターが死ぬからというだけでもない。コアの部分に「ピーター・パーカーではない登場人物でも、本質的にスパイダーマンたりえる」というメッセージを含んだ作品だ。 物語の中で、本質的な意味でマイルズはスパイダーマンに「なる」。蜘蛛に噛まれただけではなく、本当にスパイダーマンになるためには何が必要なのか、それがしっかりと示されるのである。
スパイダーマンをスパイダーマンたらしめているもの、『スパイダーマン』という世界的にも稀有なコミックの中での「ヒーローの条件」とは何かを、映画1本まるまる使ってはっきりと提示しているのだ。
スパイダーマンをスパイダーマンたらしめているもの
これは重大なことである。『スター・ウォーズ』において、ヨーダを背負って走り回って逆立ちすればジェダイになれるわけではなく、ミディ・クロリアンという一度も聞いたことがない要素が必要だと言われるようなものだ。『スパイダーバース』は、作品全体を通して「ピーター・パーカーでなくても、スパイダーマンたりえる。ヒーローたりえる」と断言してしまったのである。
前述のようにスパイダーマンはその長い歴史の中で、なんだかんだ言って結局ピーターの物語に帰結してきた。そうであるからこそ、とんでもない着想のスパイダーマンたちが無数に存在できた。
しかし、『スパイダーバース』は(ある程度は出版社の都合と読者の要求によって続いてきた)その構造を、根本的に再構築し「誰もがスパイダーマンたりえる」というメッセージを直球で投げ込んできた。非常に意図的な、オルタナティブであることに自覚的な作品と言えるだろう。 ではその、スパイダーマンをスパイダーマンたらしめている条件とはなんなのか。そしてこのメッセージはどのようなフォームで投げ込まれているのか。
そのあたりは映画を実際に見て確かめてください、としか言いようがない。おれは正直、いい映画すぎて恥ずかしながらボロボロ泣いてしまった。必見です。
名作、見逃してるかも?
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作品情報
スパイダーマン:スパイダーバース
- 原題
- Spider-Man: Into The Spider-Verse
- 公開
- 2019年3月8日※日本
- 製作
- アヴィ・アラド
- エイミー・パスカル
- フィル・ロード&クリストファー・ミラー(『LEGO(R)ムービー』『くもりときどきミートボール』)
- クリスティーナ・スインバーグ
- 監督
- ボブ・ペルシケッティ
- ピーー・ラムジー
- ロドニー・ロスマン
- 脚本
- フィル・ロード
- ロドニー・ロスマン
【吹き替えキャスト】
マイルス・モラレス/スパイーマン役:小野賢章、ピーー・パーカー/スパイーマン役:宮野真守、グウェン・ステイシー /スパイー・グウェン役:悠木碧、スパイーマン・ノワール役:大塚明夫、スパイー・ハム役:吉野裕行、ペニー・パーカー役:高橋李依、キングピン役:玄田哲章
【ストーリー】
ニューヨーク、ブルックリン。マイルス・モラレスは、頭脳明晰で名門私立校に通う中学生。彼はスパイダーマンだ。しか し、その力を未だ上手くコントロール出来ずにいた。そんなある日、何者かにより時空が歪められる大事故が起こる。その天 地を揺るがす激しい衝撃により、歪められた時空から集められたのは、全く異なる次元=ユニバースで活躍する様々なス パイダーマンたちだった——。
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しげる
Writer
1987年岐阜県生まれ。プラモデル、アメリカや日本のオモチャ、制作費がたくさんかかっている映画、忍者や殺し屋や元軍人やスパイが出てくる小説、鉄砲を撃つテレビゲームなどを愛好。好きな女優はメアリー・エリザベス・ウィンステッドとエミリー・ヴァンキャンプです。
https://twitter.com/gerusea
http://gerusea.hatenablog.com/
連載
クールごとに数多くの作品が放送・配信されるTVアニメや近年本数を増しつつある劇場版アニメ。 すべては見られないけれど、何を見ようか迷っている人の指針になるよう、編集部が期待を込めて注目作を紹介するコーナーが「KAI-YOU ANIME REVIEW」です。 監督や脚本家らクリエイターが込めた意図やメッセージの考察、声優の演技論、作品を取り巻く環境・背景など、様々な切り口からレビューを公開しています。
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