2014年10月よりライブ活動を休止し、その後16年4月から活動を再開した爆弾ジョニー。今回、“新しい一歩を踏み出し”た彼らが対談相手に選んだのは、現在絶賛公開中のアニメーション映画『夜明け告げるルーのうた』の監督・湯浅政明氏。爆弾ジョニーとは、監督を務めた『ピンポン THE ANIMATION』(2014年放送)でタッグを組んでいる。
奇しくも、『夜明け告げるルーのうた』も“新しい一歩を踏み出す”青年の物語。
今回の対談では、それぞれの上京秘話から「新気流」制作の裏側、そして、“新しい一歩を踏み出す”ことについて、語り尽くしてもらった。 取材・文:鳴田麻未 撮影:谷浦龍一 編集:須賀原みち
『ピンポン』OPには激しさが欲しかった
──湯浅政明監督と爆弾ジョニーの組み合わせということで、『ピンポン THE ANIMATION』のオープニングタッグの再会ですね。りょーめー 僕はそれ以前から一方的に湯浅さんの作品のファンでして。『マインド・ゲーム』はもちろん見てて、『ケモノヅメ』も全巻DVD持ってて、『カイバ』もめっちゃ好きでした。だから『ピンポン THE ANIMATION』のオープニングテーマのお話が来たときは沸きましたね。
湯浅 「元気のいいバンドだな」っていうのが、爆弾ジョニーの第一印象。『ピンポン THE ANIMATION』のオープニングには思いの丈を叫んでるような激しさが欲しかったので、こんな若い活きのいいバンドにやってもらえるのはすごくうれしいなって思いました。何曲か候補があったけど、「唯一人」が一番パワーがありましたね。 りょーめー 「唯一人」は僕らが高校生の頃につくった曲で、湯浅さんのファンとして『ピンポン』のアニメに合うんじゃないかと思って候補に入れたんです。それ以外は『ピンポン THE ANIMATION』のためにつくったものだったんですけど。
湯浅 よかった。ピッタリだったよね。
──爆弾ジョニーの楽曲と湯浅監督のアニメーション、両者に共通する部分があるとしたらどこでしょう?
りょーめー “揺れ”じゃないですか。ギターのエフェクターで言ったら空間系って呼ばれるコーラスとかトレモロとかディレイとか、そういうの、モジュレーション(変調)って言うのかな?
安田 うん。
りょーめー 湯浅さんのアニメーションはそれを感じます。俺らは「唯一人」で広く知られたから、ディストーションをたくさん効かせて歪ませた音が特徴と思われがちだけど、“揺れ”っていうのを僕は大事にしてて。僕たちもそういう匂いを出せてたらいいなと思います。
湯浅 「唯一人」にも“揺れ”を描いてる歌詞がありましたよね。エネルギーはあるんだけどどうしていいかわからないとか、自分と他人を比べて違うところが気になるとか。そういう部分を素直に出していて、でも力強く、やってやるぞというアナーキーな香りがあって。そこがすごくよかったです。
「新気流に乗って」演出の真意
──このたび、爆弾ジョニーは新曲「新気流」を発表。本作が使われている映像作品『新気流に乗って』では、りょーめーさんが主演を務めています。新しい世界へ旅立つ人を見送る側という視点で書かれた爽やかなナンバーですが、この曲はどのようにできたんですか?安田 映像は、群馬の新桐生(しんきりゅう)駅で撮ったんです。それをもじって。
りょーめー 「新気流」って単語は実は世の中にないんだよね。
湯浅 (映像を見ながら)車窓を外から横にパンしていくシーンは気持ちのいいカットですね。手前にある車体の映像と、奥の座席の映像は後で合わせたのかな。
小堀 そうですね。セットじゃなくて運行中の電車を使って撮りました。
──りょーめーさん演じる主人公が電車で旅立とうとする直前、後輩の女の子が駅のホームにやって来て「センパイ、これ」とだけ言ってパンツを手渡します。あの女子は何を伝えに来たんだと思いますか?
りょーめー パンツ渡しに来たんじゃないですか?
小堀 見た通り(笑)。
タイチ 俺は止める目的で来たと思うんですよ。だけど直前になって「やっぱいいです。がんばってください」的な気持ちが芽生えたっていうか。
りょーめー でもパンツは準備してたんだもんね?
湯浅 あれ履いてたやつなんですかね。
一同 あははは(笑)。
湯浅 必死になって行って、でも渡すものがなくて「これが一番いい」ってなる、その勢いならわかりますね(笑)。 安田 この表情を見るに「遠くに行っちゃうのがさみしい」とか「実は好きでした」とかじゃなくて、「なんで私を置いてくの」みたいな気持ちだと思うんですよね。「アンタ行っちゃうんだ」っていう、強気な上から目線混じりの。なんだかそういう女の子な感じがします。
キョウスケ パンツはマーキング的なことなんじゃね? 忘れないでね、ていうか忘れんな!っていう。
安田 こういうふうに自由に想像してほしいって意図で、きっとあの演出にしたんじゃないかなって僕は思います。
湯浅政明&爆弾ジョニーの“上京物語”
湯浅 みんなは上京するとき、何かもらいましたか?りょーめー まったく何もなく、あっさり上京した記憶があります。その前からよくライブしに東京に来てて、ウィークリーマンションに泊まったりしてたんで、ただ東京で家をゲットしたっていう感覚で。ザッツ上京!みたいな、大それた気持ちはなかったですね。
──湯浅監督が地元の福岡から上京されたときはどうでしたか。
湯浅 22歳のときなので30年ぐらい前だけど、同じようにあっさり来た記憶がありますね。もっと盛り上がるものかなと思いきや。
──当時、アニメーションを勉強したり就職したりするのは、東京じゃないと難しかった?
湯浅 そうですね。まだ学校もあんまりなかったし、特殊な技能が必要だと聞いてたので。ビデオカメラもパソコンも持ってないから自力ではつくれないし。とにかく現場に入ってその仕事ができるかどうか見極めないといけないっていう状況でした。
その後、爆弾ジョニーくらいの歳の頃は……暗中模索という感じで。仕事を始めていたけど、ハードだし、この先これで食っていけるのかどうかはしばらくわからなかった。やっていけるのかなと思ったのは上京して5年ぐらい経ってからでしたね。 りょーめー ハードってどんな感じだったんですか?
湯浅 毎日13時間ぐらいほとんど座りっぱなしでこんこんと描いててね。今はそんなに働かなくてもできる環境もありますけど、当時の僕はほぼ休みもなく、月5万円くらいにしかならない、みたいな。手は痛いし、目は疲れるし、眠たいし。それでいいものが描けてればいいけど……。
普通の会社に就職した友達のほうが楽しそうに見えて、これでいいのかな、向いてないんじゃないかなということを最初はずっと思ってましたね。
キョウスケ ああー。俺らの同級生も今、社会人2年目で、楽しそうだなあって思うときはあります。
湯浅 でも、爆弾ジョニーの上京時はそういう不安な気持ちはなかったってことだよね? もう地元でやってたから、こっちに来ても同じ感じで?
タイチ そうですね。地元の札幌でライブをやり尽くした感があって。だったら次は東京行ってみましょうか、ちょうどハタチになるタイミングだしっていう。
安田 あんまり「ダメかも」とか考えてなかったです。
りょーめー 僕らはノリと勢いでしたね。後先考えない勢いっていうのは大事なのかもなあ。
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