相手を抉るパンチラインで築き上げてきたバトルでの戦績や、自身が立ち上げたレーベル・JET CITY PEOPLEよりリリースされるドープなトラックとライムで構成された高密度の楽曲から、全国区にその名を轟かせている呂布カルマさん。
オールバックにサングラスという異様な風貌、他を圧倒するラッパーとして、バトルシーンにおいても存在感を放っている。
この12月31日(日)には、満を持して「フリースタイルダンジョン」に特番という形で初出演することが発表されており、さらに大きな注目を浴びている。 KAI-YOU.netでは、10月に発売されたカルチャー雑誌『SWITCH』の特集「みんなのラップ」とコラボレーション。
『SWITCH』では未掲載の、ユニークな人となりに触れる部分まで、ロングバージョンのインタビューを掲載。眼光鋭い彼の視線は、名古屋の地から何を見据えているのか──。
取材・文:新見直 写真:SHIN HAMADA
呂布カルマ もともと、努力じゃないもので身を立てたいって考えてて。楽だから。僕にとってヒップホップって、(社会的に)ちゃんとできないヤツが才能だけで食っていくことができる、数少ないジャンルの一つなんです。
スポーツは努力がものをいう。サラリーマンも努力。でも、例えば絵描きとかって、もちろん努力してる人もいるけど、努力と思わずに絵を描いてるうちにそれが認められるってことがある。だから、僕は絵というか漫画を描いてたんですよ。
それで美大に入ったんですけど、漫画家も、結局プロとしてデビューするまでひたすら描き続けて持ち込んでを繰り返して、もしモノにならなかったら何にもならないことに気付いて。
──それでたどり着いたのがヒップホップだった?
呂布カルマ 高校の時はミクスチャーロックをよく聴いてました。でも、段々ロックの部分が邪魔になってきて、ヒップホップを聴くようになっていきました。妄走族、餓鬼レンジャー……その辺りを掘っていました。本は全然読まないけど、歌詞が好きなんですよね。ヒップホップにハマったのも、詩が面白いって思ったのがきっかけ。
ちょうどその頃、バンドブームだったんですけど、楽器の練習はしたくない。ラップだったら、いきなり人前でやっても評価がもらえる。練習しなくていい、歌唱力がなくていい、誰かとつるまなくてもいい。そういう手軽さもよかった。まあこんな長いことやるって思ってなかったですけど(笑)。
──ヒップホップを聴くようになってからすぐ自分でもラップをやり始めたんですか?
呂布カルマ いや、リリックはずっと書いてましたけど、実際にやるようになったのは美大を卒業した後ですね。
正確には覚えてないんですけど、妄走族かDELIだかが名古屋にきた時のライブ会場で、The Ballersという名古屋のクルーが、「我こそはと思うヤツは来い!」みたいな新人発掘イベントのフライヤーを配ってて。
フリーターだったしリリックは書きためてあったので、16小節分を持っていきました。21時からって聞いてたのに全然始まらない上に出番も後ろの方で深夜まで待たされて、緊張もしてたしベロベロに酔っちゃって「早くやらせろや!」って感じでした(笑)。DEV LARGEのインスト曲でやりましたね。
──その後、自分で楽曲をネットに投稿されるようになったのはどういう経緯ですか?
呂布カルマ その当時、R&Bつくってるおっさんとネットで知り合って、8小節分のラップを頼まれて入れてみたら気に入られて、トラックをつくってくれるようになったんです。「Muzie」っていうインディーズ音楽の投稿サイトだったんですけど、投稿したらなぜかいきなりランキング1位になって名前を知られるようになって、今度はこっちから気になるトラックメイカーに声かけて曲をつくって投稿し始めました。
呂布カルマ バトルは、ラップを始めて3年目くらい。最初はフリースタイルも全然やってなくて、それこそ2005年の「ULTIMATE MC BATTLE」(「UMB」)でカルデラビスタが優勝した初回をDVDで見て、興味を持ちました。
東京でも流行り出して、それが広がって名古屋でもバトルイベントが開催されるようになって、客として観に行ってるうちに「あれだったら俺でも勝てるな」って思ったんですよね(笑)。
──実際に出場してみていかがでした?
呂布カルマ それが結構イケたんですよ、最初から。当時はたくさんあった草バトルみたいなものに2・3回くらい出場した後に、2007年のUMBの名古屋予選に参加したんです。
1回戦・2回戦で圧勝して、周りも「(呂布カルマ)優勝いけんじゃね?」って空気になったんですが、3回戦でYUKSTA-ILLと3回延長の末に負けました。彼はそのまま名古屋予選で優勝して、僕とのバトルもベストバウトに選ばれて、それから名古屋の外でも知られるようになった。バトルにのめり込んだのもそこからですね。 ──バトルは性に合っていましたか?
呂布カルマ どうですかね。当時は今ほどバトルイベントの数はなかったから、開催される半月くらい前からバトルの脳みそにするというか。
フリースタイルもガンガン練習して、勝っても負けてもすごい引きずってたナイーブな時期もあったけど、そんなことやってたら曲も書けないから、ラフに臨むようにしていきました。
あと、韻の弾みでクソダサいこと言っちゃって、公開された動画を見て悶絶するみたいなことが何度かあって(笑)。それで、韻にこだわらずに音源を聴いてみたいと思わせるフリースタイルをしようと決めて。めっちゃ韻踏むけど音源を聴きたいってビタ一文思わせないようなヤツもいるけど、それって逆プロモーションですよね。
それに、韻にこだわらないで勝てる方が楽じゃないっすか(笑)。ありがたいことに、呂布カルマのスタイルとして認められたのか、最初は負けてたけど、段々それでも勝てるようになっていきました。
呂布カルマ 当時から偉そうにやってたけど、内心はすごい緊張してました。今でこそなくなったけど、膝震えたり、めっちゃ偉そうなこと言ってるのにマイクをスタンドに戻す時に手がガタガタ震えすぎて戻せなかったり(笑)。そんな緊張することなんて日常生活にないから、それが面白かったですね。
今は、そこまで緊張もしないし、逆にバトルやってて楽しいとも感じなくなってます。最初はバトル出場は売名の意味もあったけど、今の自分にとって優勝してファイトマネーをもらう以外にバトル出る意味はない。勝って当たり前。バトルは完全に仕事、賞金稼ぎの場として考えてます。
誘われたら出るけど、もうずっと自分からエントリーはしてないですね。ライブに呼んでくれるならついでに(バトルにも出る)。誰からも声かからなくなったらもう出ません。 ──勝って当たり前という意味でプレッシャーはないんですか?
呂布カルマ 別にないですね。今のバトルは、相手が本気で傷つくことを言ってこない。始めた当時は、「そんなことまで言ってくんの?」みたいなことが普通だったけど、今は本当に韻踏み遊びになってる。何言われたかも覚えてないし、ムカついたりもしない。
──それはなぜなんでしょうか?
呂布カルマ そもそも、バトルが多すぎるから出場者みんな知り合いになっちゃってて、その状況でシリアスさを保つのは無理。
僕は名古屋に住んでるからいいけど、もし東京に住んでたらもっと周りのラッパーと顔合わせるだろうから今のようにはやれてないかも。それだけに、音源を聴いたこともないけどバトルだけで有名な人がニコニコしながらバトルしてるのを見ると、ヌルいって思っちゃう。「それ、意味あんのかな?」って。
バトルは結局揚げ足取りだから、韻の弾みで言ってくるしょうもないことを突けば勝てちゃうんですけど、僕は、ボロクソ言った相手に「もう二度と戦いたくない」「バトル出るの辞める」って言わせるのが本当のバトルだと思う。
社交辞令だろうけど「呂布くんとやりたかったわ」とか言ってくるヤツもいて、それってなめてる証拠じゃないですか。観客にも「エグい」って思わせるようなバトルが気持ちいいし、終わった後に「今度は負けねえぞ」とか言われると足りなかったなって思います。
──よく言われることですが、フリースタイルバトルが競技化していっていると感じますか?
呂布カルマ 努力して練習を重ねて韻のストックを溜め込んで……部活みたいな感覚にはなってますね。そういうヤツら同士ならそれでも勝てるけど、その先は身につかない。
やっぱりヒップホップはカウンターだし、そもそも音楽だから、地道に練習してサイファーで腕磨いてバトルに全力をかけるっていうのは違う。だから「アツいバトルを」とか言われると冷や水をぶっかけてやりたくなる。「そんなことやってる場合かよ」って。
でも、音源に力を入れている人はバトルには出たがらないし、今のバトルブームも対岸の火事って感じですよね。プロもアマも混じったオープントーナメントだから、プライドも邪魔してる。けど、バトルで名前をあげたらCDの売上も断然違うんだから、もっと積極的に出ればいいのにとは思う。
5lackとかKOHHが出るくらいになればもっと盛り上がってスタイルウォーズになるだろうし、そこまでいけばバトルもバトルで面白くなるのに。
呂布カルマ 東京に出ようとは今のところ考えてないです。ほとんどの仕事が東京になって、行き来するのがあほらしいってなれば考えるけど、子供もいるし、名古屋で子育てしたいので。
──名古屋のヒップホップと言えば、TwiGyやTOKONA-Xといったレジェンドの名前が挙がりますが、影響を受けていることはありますか?
呂布カルマ TOKONA-Xは多少ありますね。“呪縛”っていうか。一番かっこいい時に死んじゃってるから、特に名古屋では(TOKONA-Xの死が)重く影を落としてるんですよ。良くも悪くも。
TOKONA-X:もとは横浜出身だが、名古屋に転居してラッパーとして活動を開始。日本におけるヒップホップ黎明期の伝説イベント「さんピンCAMP」にも出演。後に「ILLMARIACHI」というクルーも結成。その名を全国に轟かすも、2004年に満26歳で逝去
TOKONA-Xが活動してた頃は、名古屋のクラブも週末はパンパンに人が入ってて、東京に出る必要もないほど盛り上がってた。客層も怖くて、誰が出演者で誰が客なのかわからないような、首がガチガチに太い人たちばっかりでした。でも、今は全然そんなことない。あの時クラブで遊んでた人たちはどこ行っちゃったんだろ?(笑)。
今は、若い子にもギラギラしてるヤツはいない。金か女の子が絡めばギラつく価値もあるけど、名古屋のお客さんにも日本語ラップ好きのオタクみたいなやつしかいないから、ギラつく相手もいないんですよ。
少なくとも僕の知る限り、名古屋のクラブでは、客も全員プレイヤーで、純粋な客がほとんどいない。それってめっちゃ不健全じゃないっすか。
──それは、ラッパーになりたいという人間がお客さんとしても集まってるということですよね。ある意味、成り上がってやろうみたいな気持ちではないんですか?
呂布カルマ 僕も成り上がりたくて、ラッパーの友達なんて一人もいらないって思って尖ってた時期もありましたけど、今の人たちはそういう感じでもないんですよね。
ヒップホップは売れないし食えないのが当たり前になっちゃってるからだと思う。「仕事しながら生活を歌うのがヒップホップでしょ」って、僕もちょっと前まではそう思ってました。でも、自分で言うのもなんだけど、名古屋でトップの方にいる自分が食えなきゃダメだから。
バトルがこれだけ流行ってるのに、日本中誰でも口ずさめるヒップホップのヒット曲が1曲もない。それって怪しいですよね。だから僕は、7月には仕事も辞めて、今はラップ1本です。
──今は、バトルに出つつ、楽曲制作に専念しているわけですね。
呂布カルマ PVを出しても再生数は数万だけど、バトルの違法動画は数十万とか、桁が違う。バトルイベントだと物販も飛ぶように売れるんですよね。バトルファンが「呂布カルマが新作出したからとりあえず買おう」となればすごいことになるはずなんですよ。 バトル好きにとって、バトルに出てないラッパーは存在してないのと同じなんですよね。それはもったいない。最初は本当の意味でわからなくても、ガキの間でファッションとして、呂布カルマの音源聴いてるのがクールってなって聴いてくれるようになればいい。
呂布カルマ 名古屋で塾長をやってました。
──塾長ですか!? 教育関係の仕事をされているという話は聞いていました。
呂布カルマ 塾長なんて、ヘルスの店長みたいなもんで(笑)、直接サービスはしないんですよ。個別指導塾だったんですけど、生徒を勧誘したり先生を面接したり、講師を生徒に割り振ったりしてました。
──ヘルスの店長(笑)。
呂布カルマ 今は、娘を保育園に預けてる日中に曲をつくったり(息抜きに)芋虫を探しに行ったりしてますね。
呂布カルマ 主に、毎月のバトルの賞金を生活資金に充ててます。そういう意味でも、僕もやっぱりバブルの恩恵は受けているけど、ブームからは1歩引いてます。ラップも真新しいから流行ってるだけで、それが当たり前になったらブームは終わる。だから、バトル好きがたくさんいるうちに、集中して曲つくっていいアルバム出して、次のステップに行ければ。
──「呂布カルマ」として他のラッパーの曲への客演として増えていますが、自身として楽曲制作時にはどんな点にこだわられていますか? 呂布カルマ 曲ではライムを大事にしてます。韻のパズルがはまると書きあがった時に気持ちいい。ヒップホップは手軽だけど自分と向き合う時間がめっちゃあって、書けば書くほどのめりこんでいくんですよね。お金にもなるしチヤホヤされるし、言うことない。やっぱり僕にとってヒップホップは楽しいものなんです。
ただ、僕はあくまで言葉での表現の一つとしてヒップホップを取り入れてるので、言葉を使った活動ができればいいかなって思ってます。漫画も諦めてません。漫画で有名になってラップやるより、ラップで有名になって漫画を描く方が全然やりやすい気がするので、「4コマ描いてよ」みたいな話を待ってます(笑)。
──最後の最後に、「呂布カルマ」というお名前の由来は?
呂布カルマ ラップを始めた頃、『蒼天航路』を読んでいて、「呂布」ってめちゃ強いじゃないですか。三国時代なのにどの国も自由に行き来して重宝されて、やりたい放題やっとんなって。別に三国志に詳しいわけじゃないんですが、「呂布」に語感だけで「カルマ」をくっつけました。
外で「呂布くん」とか「カルマくん」とか呼ばれると、知らない人には「え?」って感じで、くそ恥ずかしい(笑)。完全に若気の至りですね。僕の背負ってるカルマ(業)は、「呂布カルマ」っていう自分のつけた恥ずかしい名前です。 『SWITCH』みんなのラップ特集号を購入する
オールバックにサングラスという異様な風貌、他を圧倒するラッパーとして、バトルシーンにおいても存在感を放っている。
この12月31日(日)には、満を持して「フリースタイルダンジョン」に特番という形で初出演することが発表されており、さらに大きな注目を浴びている。 KAI-YOU.netでは、10月に発売されたカルチャー雑誌『SWITCH』の特集「みんなのラップ」とコラボレーション。
『SWITCH』では未掲載の、ユニークな人となりに触れる部分まで、ロングバージョンのインタビューを掲載。眼光鋭い彼の視線は、名古屋の地から何を見据えているのか──。
取材・文:新見直 写真:SHIN HAMADA
ちゃんとできないヤツが才能だけで食っていくことができるのがヒップホップ
──漫画家を目指して美大に進んだものの、ラッパーに転身されたとうかがいました。呂布カルマ もともと、努力じゃないもので身を立てたいって考えてて。楽だから。僕にとってヒップホップって、(社会的に)ちゃんとできないヤツが才能だけで食っていくことができる、数少ないジャンルの一つなんです。
スポーツは努力がものをいう。サラリーマンも努力。でも、例えば絵描きとかって、もちろん努力してる人もいるけど、努力と思わずに絵を描いてるうちにそれが認められるってことがある。だから、僕は絵というか漫画を描いてたんですよ。
それで美大に入ったんですけど、漫画家も、結局プロとしてデビューするまでひたすら描き続けて持ち込んでを繰り返して、もしモノにならなかったら何にもならないことに気付いて。
──それでたどり着いたのがヒップホップだった?
呂布カルマ 高校の時はミクスチャーロックをよく聴いてました。でも、段々ロックの部分が邪魔になってきて、ヒップホップを聴くようになっていきました。妄走族、餓鬼レンジャー……その辺りを掘っていました。本は全然読まないけど、歌詞が好きなんですよね。ヒップホップにハマったのも、詩が面白いって思ったのがきっかけ。
ちょうどその頃、バンドブームだったんですけど、楽器の練習はしたくない。ラップだったら、いきなり人前でやっても評価がもらえる。練習しなくていい、歌唱力がなくていい、誰かとつるまなくてもいい。そういう手軽さもよかった。まあこんな長いことやるって思ってなかったですけど(笑)。
──ヒップホップを聴くようになってからすぐ自分でもラップをやり始めたんですか?
呂布カルマ いや、リリックはずっと書いてましたけど、実際にやるようになったのは美大を卒業した後ですね。
正確には覚えてないんですけど、妄走族かDELIだかが名古屋にきた時のライブ会場で、The Ballersという名古屋のクルーが、「我こそはと思うヤツは来い!」みたいな新人発掘イベントのフライヤーを配ってて。
フリーターだったしリリックは書きためてあったので、16小節分を持っていきました。21時からって聞いてたのに全然始まらない上に出番も後ろの方で深夜まで待たされて、緊張もしてたしベロベロに酔っちゃって「早くやらせろや!」って感じでした(笑)。DEV LARGEのインスト曲でやりましたね。
──その後、自分で楽曲をネットに投稿されるようになったのはどういう経緯ですか?
呂布カルマ その当時、R&Bつくってるおっさんとネットで知り合って、8小節分のラップを頼まれて入れてみたら気に入られて、トラックをつくってくれるようになったんです。「Muzie」っていうインディーズ音楽の投稿サイトだったんですけど、投稿したらなぜかいきなりランキング1位になって名前を知られるようになって、今度はこっちから気になるトラックメイカーに声かけて曲をつくって投稿し始めました。
韻にこだわりすぎて音源を聴きたいと思わせないヤツは逆プロモーション
──フリースタイルバトルに参加し始めたのはその後からですか?呂布カルマ バトルは、ラップを始めて3年目くらい。最初はフリースタイルも全然やってなくて、それこそ2005年の「ULTIMATE MC BATTLE」(「UMB」)でカルデラビスタが優勝した初回をDVDで見て、興味を持ちました。
東京でも流行り出して、それが広がって名古屋でもバトルイベントが開催されるようになって、客として観に行ってるうちに「あれだったら俺でも勝てるな」って思ったんですよね(笑)。
──実際に出場してみていかがでした?
呂布カルマ それが結構イケたんですよ、最初から。当時はたくさんあった草バトルみたいなものに2・3回くらい出場した後に、2007年のUMBの名古屋予選に参加したんです。
1回戦・2回戦で圧勝して、周りも「(呂布カルマ)優勝いけんじゃね?」って空気になったんですが、3回戦でYUKSTA-ILLと3回延長の末に負けました。彼はそのまま名古屋予選で優勝して、僕とのバトルもベストバウトに選ばれて、それから名古屋の外でも知られるようになった。バトルにのめり込んだのもそこからですね。 ──バトルは性に合っていましたか?
呂布カルマ どうですかね。当時は今ほどバトルイベントの数はなかったから、開催される半月くらい前からバトルの脳みそにするというか。
フリースタイルもガンガン練習して、勝っても負けてもすごい引きずってたナイーブな時期もあったけど、そんなことやってたら曲も書けないから、ラフに臨むようにしていきました。
あと、韻の弾みでクソダサいこと言っちゃって、公開された動画を見て悶絶するみたいなことが何度かあって(笑)。それで、韻にこだわらずに音源を聴いてみたいと思わせるフリースタイルをしようと決めて。めっちゃ韻踏むけど音源を聴きたいってビタ一文思わせないようなヤツもいるけど、それって逆プロモーションですよね。
それに、韻にこだわらないで勝てる方が楽じゃないっすか(笑)。ありがたいことに、呂布カルマのスタイルとして認められたのか、最初は負けてたけど、段々それでも勝てるようになっていきました。
「もう二度と戦いたくない」と言わせるのが本当のバトル
──重たいリリックで相手を抉るようなスタイルはその当時から変わらず?呂布カルマ 当時から偉そうにやってたけど、内心はすごい緊張してました。今でこそなくなったけど、膝震えたり、めっちゃ偉そうなこと言ってるのにマイクをスタンドに戻す時に手がガタガタ震えすぎて戻せなかったり(笑)。そんな緊張することなんて日常生活にないから、それが面白かったですね。
今は、そこまで緊張もしないし、逆にバトルやってて楽しいとも感じなくなってます。最初はバトル出場は売名の意味もあったけど、今の自分にとって優勝してファイトマネーをもらう以外にバトル出る意味はない。勝って当たり前。バトルは完全に仕事、賞金稼ぎの場として考えてます。
誘われたら出るけど、もうずっと自分からエントリーはしてないですね。ライブに呼んでくれるならついでに(バトルにも出る)。誰からも声かからなくなったらもう出ません。 ──勝って当たり前という意味でプレッシャーはないんですか?
呂布カルマ 別にないですね。今のバトルは、相手が本気で傷つくことを言ってこない。始めた当時は、「そんなことまで言ってくんの?」みたいなことが普通だったけど、今は本当に韻踏み遊びになってる。何言われたかも覚えてないし、ムカついたりもしない。
──それはなぜなんでしょうか?
呂布カルマ そもそも、バトルが多すぎるから出場者みんな知り合いになっちゃってて、その状況でシリアスさを保つのは無理。
僕は名古屋に住んでるからいいけど、もし東京に住んでたらもっと周りのラッパーと顔合わせるだろうから今のようにはやれてないかも。それだけに、音源を聴いたこともないけどバトルだけで有名な人がニコニコしながらバトルしてるのを見ると、ヌルいって思っちゃう。「それ、意味あんのかな?」って。
バトルは結局揚げ足取りだから、韻の弾みで言ってくるしょうもないことを突けば勝てちゃうんですけど、僕は、ボロクソ言った相手に「もう二度と戦いたくない」「バトル出るの辞める」って言わせるのが本当のバトルだと思う。
社交辞令だろうけど「呂布くんとやりたかったわ」とか言ってくるヤツもいて、それってなめてる証拠じゃないですか。観客にも「エグい」って思わせるようなバトルが気持ちいいし、終わった後に「今度は負けねえぞ」とか言われると足りなかったなって思います。
──よく言われることですが、フリースタイルバトルが競技化していっていると感じますか?
呂布カルマ 努力して練習を重ねて韻のストックを溜め込んで……部活みたいな感覚にはなってますね。そういうヤツら同士ならそれでも勝てるけど、その先は身につかない。
やっぱりヒップホップはカウンターだし、そもそも音楽だから、地道に練習してサイファーで腕磨いてバトルに全力をかけるっていうのは違う。だから「アツいバトルを」とか言われると冷や水をぶっかけてやりたくなる。「そんなことやってる場合かよ」って。
でも、音源に力を入れている人はバトルには出たがらないし、今のバトルブームも対岸の火事って感じですよね。プロもアマも混じったオープントーナメントだから、プライドも邪魔してる。けど、バトルで名前をあげたらCDの売上も断然違うんだから、もっと積極的に出ればいいのにとは思う。
5lackとかKOHHが出るくらいになればもっと盛り上がってスタイルウォーズになるだろうし、そこまでいけばバトルもバトルで面白くなるのに。
TOKONA-X以降の名古屋、呂布カルマとしての役割
──名古屋を拠点に活動されていますが、それは今後も変わる予定はないですか?呂布カルマ 東京に出ようとは今のところ考えてないです。ほとんどの仕事が東京になって、行き来するのがあほらしいってなれば考えるけど、子供もいるし、名古屋で子育てしたいので。
──名古屋のヒップホップと言えば、TwiGyやTOKONA-Xといったレジェンドの名前が挙がりますが、影響を受けていることはありますか?
呂布カルマ TOKONA-Xは多少ありますね。“呪縛”っていうか。一番かっこいい時に死んじゃってるから、特に名古屋では(TOKONA-Xの死が)重く影を落としてるんですよ。良くも悪くも。
TOKONA-X:もとは横浜出身だが、名古屋に転居してラッパーとして活動を開始。日本におけるヒップホップ黎明期の伝説イベント「さんピンCAMP」にも出演。後に「ILLMARIACHI」というクルーも結成。その名を全国に轟かすも、2004年に満26歳で逝去
TOKONA-Xが活動してた頃は、名古屋のクラブも週末はパンパンに人が入ってて、東京に出る必要もないほど盛り上がってた。客層も怖くて、誰が出演者で誰が客なのかわからないような、首がガチガチに太い人たちばっかりでした。でも、今は全然そんなことない。あの時クラブで遊んでた人たちはどこ行っちゃったんだろ?(笑)。
今は、若い子にもギラギラしてるヤツはいない。金か女の子が絡めばギラつく価値もあるけど、名古屋のお客さんにも日本語ラップ好きのオタクみたいなやつしかいないから、ギラつく相手もいないんですよ。
少なくとも僕の知る限り、名古屋のクラブでは、客も全員プレイヤーで、純粋な客がほとんどいない。それってめっちゃ不健全じゃないっすか。
──それは、ラッパーになりたいという人間がお客さんとしても集まってるということですよね。ある意味、成り上がってやろうみたいな気持ちではないんですか?
呂布カルマ 僕も成り上がりたくて、ラッパーの友達なんて一人もいらないって思って尖ってた時期もありましたけど、今の人たちはそういう感じでもないんですよね。
ヒップホップは売れないし食えないのが当たり前になっちゃってるからだと思う。「仕事しながら生活を歌うのがヒップホップでしょ」って、僕もちょっと前まではそう思ってました。でも、自分で言うのもなんだけど、名古屋でトップの方にいる自分が食えなきゃダメだから。
バトルがこれだけ流行ってるのに、日本中誰でも口ずさめるヒップホップのヒット曲が1曲もない。それって怪しいですよね。だから僕は、7月には仕事も辞めて、今はラップ1本です。
──今は、バトルに出つつ、楽曲制作に専念しているわけですね。
呂布カルマ PVを出しても再生数は数万だけど、バトルの違法動画は数十万とか、桁が違う。バトルイベントだと物販も飛ぶように売れるんですよね。バトルファンが「呂布カルマが新作出したからとりあえず買おう」となればすごいことになるはずなんですよ。 バトル好きにとって、バトルに出てないラッパーは存在してないのと同じなんですよね。それはもったいない。最初は本当の意味でわからなくても、ガキの間でファッションとして、呂布カルマの音源聴いてるのがクールってなって聴いてくれるようになればいい。
ヒップホップは手軽だけど自分と向き合うことができる
──ちなみに、何のお仕事をされていたんですか?呂布カルマ 名古屋で塾長をやってました。
──塾長ですか!? 教育関係の仕事をされているという話は聞いていました。
呂布カルマ 塾長なんて、ヘルスの店長みたいなもんで(笑)、直接サービスはしないんですよ。個別指導塾だったんですけど、生徒を勧誘したり先生を面接したり、講師を生徒に割り振ったりしてました。
──ヘルスの店長(笑)。
呂布カルマ 今は、娘を保育園に預けてる日中に曲をつくったり(息抜きに)芋虫を探しに行ったりしてますね。
──仕事を辞めてからの生活資金は?芋虫貼るとフォロワー30人ぐらい減るけど知るか! pic.twitter.com/ggIHvU8oyo
— 呂布カルマ (@Yakamashiwa) 2016年9月12日
呂布カルマ 主に、毎月のバトルの賞金を生活資金に充ててます。そういう意味でも、僕もやっぱりバブルの恩恵は受けているけど、ブームからは1歩引いてます。ラップも真新しいから流行ってるだけで、それが当たり前になったらブームは終わる。だから、バトル好きがたくさんいるうちに、集中して曲つくっていいアルバム出して、次のステップに行ければ。
──「呂布カルマ」として他のラッパーの曲への客演として増えていますが、自身として楽曲制作時にはどんな点にこだわられていますか? 呂布カルマ 曲ではライムを大事にしてます。韻のパズルがはまると書きあがった時に気持ちいい。ヒップホップは手軽だけど自分と向き合う時間がめっちゃあって、書けば書くほどのめりこんでいくんですよね。お金にもなるしチヤホヤされるし、言うことない。やっぱり僕にとってヒップホップは楽しいものなんです。
ただ、僕はあくまで言葉での表現の一つとしてヒップホップを取り入れてるので、言葉を使った活動ができればいいかなって思ってます。漫画も諦めてません。漫画で有名になってラップやるより、ラップで有名になって漫画を描く方が全然やりやすい気がするので、「4コマ描いてよ」みたいな話を待ってます(笑)。
──最後の最後に、「呂布カルマ」というお名前の由来は?
呂布カルマ ラップを始めた頃、『蒼天航路』を読んでいて、「呂布」ってめちゃ強いじゃないですか。三国時代なのにどの国も自由に行き来して重宝されて、やりたい放題やっとんなって。別に三国志に詳しいわけじゃないんですが、「呂布」に語感だけで「カルマ」をくっつけました。
外で「呂布くん」とか「カルマくん」とか呼ばれると、知らない人には「え?」って感じで、くそ恥ずかしい(笑)。完全に若気の至りですね。僕の背負ってるカルマ(業)は、「呂布カルマ」っていう自分のつけた恥ずかしい名前です。 『SWITCH』みんなのラップ特集号を購入する
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呂布カルマ
ラッパー
名古屋を拠点に活動。バトルイベントにおいて華々しい功績を収める一方、トラックメイカー・鷹の目と設立したレーベル・JET CITY PEOPLEからコンスタントにCDをリリースし続けている。
2件のコメント
匿名ハッコウくん(ID:2084)
ツイッターで炎上売名してるだけの猿だもんなぁ
匿名ハッコウくん(ID:2040)
TOKONA-Xは超えられない。