魔夜峰央×山田マリエ 描き、描かれ──エッセイ漫画を巡る親子対談

「私は描かれたんだから、逆に描かれても文句は言えまい!」

──その後、山田先生も『魔夜の娘はお腐り咲いて』で、今度は逆にお父さんのこと、家庭のことを漫画にされました。どのようなきっかけだったのでしょうか?

山田マリエ 小学館クリエイティブさんから魔夜の『アスタロト』シリーズの完全版を出すにあたって、担当さんから「おまけ漫画を描いてくれませんか」いう依頼があったんです。その時は素人だったので驚いたんですけど、魔夜もすごく賛成してくれて。それで4コマ漫画を寄稿させていただいて、それを見た担当さんから「デビューしてみませんか?」と言っていただきました。

何を描くか色々考えた結果、『親バカ』返しみたいなことをやってやろう! みたいな流れになったんです。「私はいっぱい描かれたんだから、逆に描かれても文句は言えまい!」という感じだったんじゃないかなと。

──『魔夜の娘はお腐り咲いて』は、リーマンショックの不景気を受けて単行本が売れなくなり、魔夜さんが個人の仕事場を手放し、自身の時計や宝石といったコレクションを売り払って酒に溺れるようになる──という衝撃的な内容でした。魔夜家の“冬の時代”をここまで赤裸々に描くんだと。そこから魔夜家が協力して盛り返していくところもドラマティックでした。

山田マリエ 魔夜と同じで、私も本当のことだけを描いているんです。むしろ漫画にする時にちょっとだけマイルドにしています。読者がしんどくないところで収めて描こうと思ってました。全部描き切っちゃうと生々しすぎて、程々にストーリーとして起伏をつけつつも、キツくなりすぎないようにしたつもりです。それでも「思っていたよりしんどかった」という読者の方からの意見もありました。

──盛るのではなく減らしていたのですね。

山田マリエ 当時、魔夜は強いお酒をガツンと飲んでいたので、あんまり会話になっていなかった。私も私でずっとムスーっとしてたかもしれないです。

でも人間の脳って、嫌だった時の記憶は消えるんですね。だから、大まかなことは頭に入っていても細かなことを覚えていなくて、そういう点でも描くのはすごく大変でした。当時の手帳やメモ書きを引っ張り出して描いていました。

──山田先生は、『魔夜の娘はお腐り咲いて』で家族を描くことについて魔夜先生に説明されたのですか?

山田マリエ 魔夜はもともと過去を振り返らないタイプで、今と、ちょっとその先に一番神経がいっている人なので、思い出話とか苦手なんです。だから『魔夜の娘はお腐り咲いて』が決まった時も「家族のエッセイ漫画を描くことになりそうだけど、描いていい?」「いいよ、NGはないよ」とか、そんな感じのやりとりだった。

魔夜峰央 もう、人の漫画を読まなくなって10年ぐらいですかね。たぶん、最後に読んだのがさいとう・たかを先生。自分自身にそんな興味がないですから、実は自分が描かれているマリエのエッセイ漫画も読んでない。

──思うようにいかず荒んだ日々だった当時のことも、描かれることに抵抗はなかったわけですね。

魔夜峰央 わざわざ思い出したくはないけれど、実際にあったことだし、娘が描いて記録として残ることについて、特に気にするようなこともなかったです。当時からも、今の苦しい状況は乗り越えるべき試練なんだと捉えていたところはありましたから。娘がエッセイを始めるにあたってどんなやりとりをしたかも正直覚えていないし、そもそも読んでないですからね。 山田マリエ でも、死ぬ前に一度くらい読んでよね(笑)。

魔夜峰央 まあね。棺桶に一緒に入れておいてくれれば向こうで読むから(笑)

1人の個人として向き合うこと

──お互いのエッセイ漫画を通して、コミュニケーションにも特に変化はなかったですか?

山田マリエ 家族間のコミュニケーション自体は取れていると思うので、(お互いをエッセイ漫画として)描いたから自分の思いや関係性が変わったという感覚もないんです。

もちろん私もエッセイの中では漫画的な表現は使っていますが──私がBLを語っている時、実際はそこまでハイテンションではない、とか(笑)──内容としてはそのままを描いていますからね。

元々魔夜家が漫画っぽい家なので、「現実を漫画にしました」という感覚が薄いんだと思うんですね。うち、一般家庭よりファンタジーじゃない?

魔夜峰央 家族全員がバレエをやっていて、2人は漫画家だしねえ。

──作品を通しても、お話をうかがっていても、魔夜先生は子どもたちと“親と子”として接していると同時に、“一個人対一個人”として接しているように見受けられます。「漫画家の山田マリエとして」とか「娘のマリエとして」とかじゃなくて、独立した個人として接しているからこそ、そういった関係性が築かれるのでしょうか。

魔夜峰央 自分の娘に限らず、妻のバレエ教室でも、幼稚園の子でも対等にしゃべりますね。それはもう、生まれつきの性格と言いますか。全部フラットです。だからこそ私は、バレエダンサーであれば、漫画家でもあるのかな。 山田マリエ 例えばこういう取材で魔夜とお話をさせてもらう時と、家でしゃべっている時と全く同じ感覚でいるので、「ちょっと外向きの顔の我々になりましょう」みたいなのがない。すごくナチュラルに対応しているというか。

魔夜峰央 家で漫画の話もしないしね。

山田マリエ 最初、定期的に漫画を仕上げることに慣れてなかった時に「ページ数少ないのにめちゃくちゃ体力がいる」「ここから慣れていくんだよ」みたいな会話はしたと思います。それくらいですね。

魔夜峰央 私自身、デビューした頃は16ページ1本書くと2ヶ月死んでました。体力も気力も使い果たしたから。それが慣れてくると月100ページを一度で描ける。マラソンと一緒ですよ。

山田マリエ そうそう。私が泣き言を言ったら、そこで初めて自分の経験から、アドバイスでもない……「そうだよ、漫画って大変なんだよ」って共感をしてくれましたね

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