「推しの死」に直面したオタクの後悔 エビ中 松野莉奈との思い出

アイドルグループ・私立恵比寿中学(エビ中)のメンバーである松野莉奈さんが、2017年2月8日(水)に逝去しました。

この訃報はエビ中ファンでなくとも「18歳アイドルの突然死」として大きく報道されました。

松野さんは「りななん」というニックネームでファンから親しまれています。アイドル好きの筆者も、エビ中ではりななんを推していました。僕にとっては、人生で初めて経験する「推しの死」です。

松野莉奈というひとりの素晴らしいアイドルがいたという記録を残したくて、そして僕が抱いた強烈な後悔を他のアイドルファンには経験してほしくなくて、追悼の意味も込め、この記事を書くことにしました。

エビ中との出会いはラゾーナ川崎「仮契約調印式」

ここからはあえて愛称の「りななん」を使いたいと思います。

りななんは「見た目は大人、中身は子供。出席番号9番、松野莉奈です」という定番の自己紹介にもあるように、身長169.5cmとメンバー1の高身長。整った端正な顔立ちと透明感も相まって『LARME』『装苑』などのファッション誌でモデルもつとめてきました。

僕がエビ中を初めて生で観たのは、2012年3月4日、ラゾーナ川崎での「メジャー仮契約調印式」というイベントでした。当時、僕はももいろクローバーZが好きだったのですが、その妹分ということで「試しに観てみるか…!」と軽い気持ちで足を運びました。

自称「King of 学芸会」のコンセプトで展開される、MCはゆるいくせにパフォーマンスは熱いという「いい塩梅」な世界観と、ヒャダイン(前山田健一)さんが手がけたユニークな楽曲で、一気に心を鷲掴みされたことを覚えています。

このイベントで、僕は初めてアイドルとの握手を体験しました。その時点で推したいメンバーは決まっていませんでしたが、気づけばデビューシングル『仮契約のシンデレラ』のリリースイベントには、行ける限り通いつめていました。

僕が松野莉奈を推すと決めた日

自ら公言していたとおり、歌うことに苦手意識があったりななんは、当時、少し自信なさげにステージに立っていたのを覚えています。MC中、言葉につまり涙を見せる場面もありました。

あれはたしか、ららぽーと豊洲で行われたイベントだったと思います。僕の主観に過ぎませんが、ステージから今にも吹き飛んでしまいそうな儚さ、「もしかしたらすぐに辞めてしまうんじゃないか?」とさえ感じさせる彼女を応援したい気持ちにかられ、ビビッときた瞬間があって、「この子を推す!」と決めました。それから、ペンライトはりななんのイメージカラーである青を振り続けました。

中学生にしてはクールビューティーなビジュアル、それに反して中身は天真爛漫で等身大な子供っぽさがある。とても魅力的な女の子でした。

それからは、ライブやイベントのたびに、その勇姿を見守りに行きました。エビ中現場で知り合った人の中には、今でも交流のある友人もいます。居心地も良く、本当の意味で多幸感にあふれる現場でした。

ほぼ毎日のようにあったイベントに通いたい一心で、付き合っていた恋人にウソをついてまで現場に向かいました。そのせいで、不満が爆発した恋人にグッズを破壊されたことも強烈に記憶に残っています。

歌が苦手だったりななんが、3rdシングル『梅』で少し低音な声質を活かし、ラップパートを任されたときには、自分のことのようにうれしく思ったりしました。

肝っ玉母さん的に成長していたりななん

僕が最後にエビ中の現場に行ったのは、実は3年も前、2014年4月15日、日本武道館にて行われたコンサートです。

その日は瑞季さん、杏野なつさん、鈴木裕乃さんという3名が転校(脱退)するというタイミングのいわゆる「卒コン」でした。

それまでの9人体制が大好きすぎて、そうでなくなってしまうことが寂しかったせいで、僕は現場から足を遠ざけるようになりました。そこからは、在宅で新曲を聴いたり、MVをチェックしたりして、エビ中の姿を見つめてきました。

さらに時を経て、2016年、ひさしぶりにエビ中のライブを見る機会が訪れました。とは言っても会場ではなく、AbemaTVでのコンサート生中継。

「りななんが頼りないキャラから肝っ玉母さん的なキャラに成長している」という噂は聞いていましたが、まさにその通りで、堂々たるパフォーマンスを魅せ、かつての自信なさげな表情は一切ありませんでした。

歌割りも当時より格段に多くなっていた気がします。僕が勝手に「すぐにグループを辞めてしまいそうだな…」と思っていた気弱な雰囲気のあった彼女ですが、力強いパフォーマンスには目を見張るものがあり、画面越しながら、とても感動したのを覚えています。 さらに2016年11月に発売された『装苑』1月号にも登場。書店で手に取った僕は、すでに18歳になり、大人びた表情を見せる彼女にドキッとさせられました。

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rinanan (松野莉奈)さん(@matsunorina_official)が投稿した写真 -

これまでブログ以外のSNSをやっていなかったエビ中メンバーですが、2016年末には廣田あいかさんと、りななんがInstagramをはじめました。それをエビ中ファンの友人から知らされた時は即行でフォローして、すべての投稿にハートをつけるほどでした。

松野莉奈を見守り、応援していた時間。彼女を思い出せた時間

Instagramも始まり、モデルとしても活躍しているりななんを見て僕は勝手に安心していました。「これからもどんどん躍進していくのだろうな」と。

りななんは2月7日、大阪で開催されたコンサートを体調不良で欠席。自宅療養していたところ容体が急変し、搬送された病院で息を引きとったそうです。

このニュースを見たとき、記事に書かれている文字の意味をすんなり飲み込めず、しばらく何も考えられなくなって呆然としていました。と、同時にあるイベントでの思い出がよみがえってきました。それは、2012年8月、みなとみらい・クイーンズスクエア横浜でのリリースイベントで行われた、りななんの14歳の生誕祭のこと。

イベントに通いすぎて恋人のお叱りを受けたことで反省し、エビ中の現場に行くのをしばらく控えようと決めていた僕は、一つの行動に出ます。CDの購入特典として行われていた「2ショット写メ」を全メンバーと一緒に行う「全員ショット」を試みたのです。そのためにCDを18枚購入し、メンバー全員と横並びになりました。白いドレスを着たりななんは、僕の隣でした。

推しているアイドルの現場に行かなくなることを、ファンの業界用語で「他界」と呼んだりします。僕はもうエビ中の現場にはしばらく来られないと思って、軽い気持ちで「他界」にかけて、メンバーと幽霊のようなポーズをして写真を撮ったのです。

りななんの訃報に衝撃を受けながら、その時のことを思い返して激しく後悔の念にかられました。些細なことかもしれません。ただ、僕は馬鹿だった。冗談でも、するべきではなかった、と。

僕はこれまで、推しの卒業や引退は何度か経験しましたが、推しが自分より先に亡くなることが現実に起こるとは想像にも及んでいませんでした。

亡くなる前日にりななんが更新したInstagramにも、もちろん僕はハートを送っていました。りななんのInstagramには現在もたくさんのファンからコメントが寄せられています。いまだに悲しくてショックを拭いきれませんが、彼女を見守り、応援していた時間。そして、彼女を思い出せた時間はかけがえないものです。

僕にとってアイドルは「スーパーヒーロー」のような存在でもあり、人生のいろんな場面で勇気をもらってきました。また、前を向き、彼女たちの輝かしい瞬間を観ていきたいと思っています。

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