アニメーターが移住する選択肢としての北九州市

──たとえば刈谷さんが移住するとしたら、北九州市は選択肢としてアリだと思いますか?

刈谷 正直に言うと小倉はまだ少し怖いイメージがあります。でも、それに勝る魅力をたくさん感じることができたので、移住先としては考えられると思いますね。

──現在、アニメ制作会社や制作スタッフは東京に集中している傾向があると思います。一方で、制作環境のデジタル移行によって、地方であってもアニメーターとしてのお仕事は成立するような気がします。

刈谷 現状でも地方を拠点にアニメーターとして仕事はできると思います。私の知っている範囲でもほとんど作業はデジタルになっていますし、ネットが繋がっていれば打合せも簡単にできます。

出来上がったものもデータでやりとりができる。そうなると地方へ住む選択肢を選ぶ人も増えるでしょうし、私もいずれはと考えたりもしますね。 刈谷 若い人たちを中心に東京に住んで仕事をしている人が多いですが、場所を選ばず仕事をすることも徐々に普通になっている気もします。

私自身、学生の頃は漠然と「アニメーターとしてやっていくなら東京なんだろうな」と思っていました。でも、今はそんなふうには考えていませんし、これからの世代は最初から地方でキャリアを始めるなんて人も増えていくんじゃないでしょうか。

門司港/刈谷仁美さん撮影

刈谷 北九州市で実際に見て回れたのは小倉と門司港だけではあるんですが、小倉は不便に感じないレベルで栄えながら都会の息苦しさはなく、海も近いし自然も多い。

都心を離れてちょっと地方に住んでみたい人には、ちょうど良く暮らしやすい街だと思います。

門司港のファミリーマート/刈谷仁美さん撮影

門司港駅の構内/刈谷仁美さん撮影

門司港もレトロな街並みで様になるというか、景観を統一するためにファミマが茶色かったり、駅も昔ながらの雰囲気を残していて、絵にしたいと思わせられる景色が広がる素敵な街でした。

刈谷仁美を突き動かす「アニメーションの魅力」

──そもそも刈谷さんはなぜアニメーターになろうと思われたのでしょう?

刈谷 子どもの頃は『となりのトトロ』をはじめ、スタジオジブリ作品が放送されれば観る程度。アニメに特別強い関心があったわけではなくて、漠然と「ジブリはすごい」と感じているくらいでした。

でも、高校生のときに久しぶりに『魔女の宅急便』を見て、子どものときとはまったく違う面白さを感じて、一気に惹かれていったんです。

何気なく服がなびいたり、スカートの中に風が入ってふわっと膨らむシーンを見て、人が描いているのは知っていたんですが、改めてすごいと実感しました。

そこからこの質感を自分でも描けるようになれるかなと思い立って、アニメをつくってみようと思うようになったんです。 ──そこから専門学校で技術を学び、アニメーターとして動画マンからスタートされたみたいですね。

刈谷 そうですね。当時アニメ制作会社に席を置いていて、途中からゲームのOPの制作に関わりました。それがゲーム『ブレイドスマッシュ』のオープニング映像です。アニメーターとして名前が出たのはこのときが初めてでした。

その後もいくつかゲームのPVを制作したのちに、『なつぞら』に関わることになります。 ──『なつぞら』では題字やオープニングアニメーションなどを担当され、多くの人に刈谷さんの名前が知られるきっかけになりました。大きなお仕事だったと思いますが、決まった瞬間の心境はいかがでしたか?

刈谷 お仕事の相談を受ける前から「アニメの制作現場を舞台にした朝ドラが始まる」という話を聞いていて、1人の視聴者として純粋に楽しみにしていたらササユリカフェの舘野仁美さん(元スタジオジブリ、現ササユリ代表)から仕事をお願いしたいと連絡が来たんです。

カフェからのお仕事のお願いなので(編注・『なつぞら』ではアニメ制作部門「スタジオササユリ」でアニメパートの監修・制作を担当)、最初は「もしかして皿洗いとか頼まれるのかな?」と思っていました。

でも実際に話を聞いたら、朝ドラでの仕事を頼みたいという話ですごく驚いて。一度家で考えたんですが、先の予定も入っていませんでしたし、何より面白そうだったので受けることにしたんです。

『なつぞら』のアニメーション資料集/画像はAmazonより

──制作現場では作画監督として、ドラマで描かれた時代のアニメ現場を知るようなベテランの方々とも一緒に作業されたそうですね。

刈谷 作画監督という立場ではあるものの、私とは比べ物にならないキャリアを持つベテランの方々に指示を出すのは、とても恐れ多かったです。スピードやクオリティの差は歴然でしたし、学ばせていただくこともとても多くて、感謝の気持ちでひれ伏しながらひたすらに作業していました。

ゲームのPVをつくったときのスタッフさんたちは、少し世代が上の方もいらっしゃいましたが、今回ほどベテランの方々となるとこれまで一緒にお仕事する機会はありませんでした。

昔ながらの紙に描く先輩方と一緒に仕事をするのはとても新鮮だったのですが、先輩方も私の使うデジタル機材が珍しかったようで、現場では少し浮いていたように感じます(笑)。 ──当時と現在とではまるで環境が違うでしょうから、お互い興味深かったんですね。

それでも絵を動かすために何枚も絵を描くというアニメの基本は変わらないと思います。1枚のイラストを仕上げるのと違って、アニメは同じような絵を少しずつ変えながら描く必要があるので、モチベーションの維持も難しいのではないのでしょうか?


刈谷 私も何枚も同じ絵を描くのは面倒だなと思ってしまいます(笑)。でもアニメーションだから描けるものがあって、アニメならではの面白さもたくさんあるんです。

腕や首の動きの軌道やタイミングをズラす具合に寄って違った雰囲気の映像になり、試行錯誤を重ねて動きがうまく描けたときが本当に嬉しくて、ひたすらにその気持ちを追い求めて絵を描いています。

変化するアニメ業界、刈谷仁美が北九州市で気づいたこと

──新型コロナウイルス感染拡大に伴う影響も大きいと思いますが、働き方改革が社会全体で進んでいる中で、アニメーターの働き方にも変化は生まれてくるでしょうか?

刈谷 デジタルの導入が進むことによってアニメーターが東京に集中する理由が薄くなり、そしてスタジオに毎日行く必要もなくなる。

現在の情勢の影響もありますが、そうした動きは少しずつ進んでいくのかなと思います。ただ一辺倒にはいかないですし業種や人によってはそうはいかないので私1人の考えですが……。

私は自宅で仕事をしていると通勤時間がかからないので、単純に作業時間が増え誰かに気を使う必要もないので気が楽だなと思いました。 ──楽な上に利点だらけのように思えますが、問題点もあるのでしょうか?

刈谷 新人教育については、遠隔ではどうすればいいのか、まだわかりかねる部分ではあります。どうしてもある程度集まったり先輩が付いたほうが良い部分だとは思いますから。

後輩と先輩という関係だけでなくとも、作業しながらのおしゃべりなどで情報共有をしたり、実際の仕事ぶりを見て切磋琢磨するということもあるので、その機会が失われるのは惜しいなと思います。

アニメーターはただでさえ、給料が低くて食べていけない職業のように思われているところがあるので、環境の変化に伴って新人の待遇などの問題が改善されてほしいとは思います。 ──新人アニメーターの待遇についてはネットでの告発や、社会問題としてNHKに取り上げられることもありましたね。刈谷さんは「新しいアニメ製作の仕組みづくりプロジェクト」に参加されているなど、業界の健全化に積極的な印象です。

刈谷 たとえば5年後には、もっと新人の育成や業界の発展に動いているかもしれませんが、今は自分の仕事で手いっぱいという感じです。

私も新人の頃は新人アニメーター寮(編注・水道や光熱通信費込みで月3万円で生活できる寮)に入っていて、その制度にかなり助けられていたので、これからの世代の人たちには劣悪な環境で働いてほしくないという気持ちはもちろんあります。

アニメーターは働き方の自由度が高く、会社それぞれのスタイルもあるので、業界全体が足並みを揃えた待遇にするのも想像つきづらいですし、自分に合った会社や働き方を見つけれたら良いのかなと思います。

刈谷さんが新人アニメーター寮時代に描いたイラスト

──現在は独立して活動されていますが、今後もフリーとして活動を続けられるのでしょうか?

刈谷 今はフリーでやりたい仕事をぽつぽつ受けていこうかなと思っています。とはいえ、その先まで明確に考えているわけではないので、将来的にはまたどこかに所属することもあるかもしれませんね。

会社に所属していると、基本的にはそのときの作品につきっきりになりますから、たとえばほかにイラストの仕事を受けようとしても休みの日をつぶさないといけません。好きな仕事を好きなようにやっていくためには、今のやり方がいいのかなと感じています。 ──ご自身としてもキャリアは順調に進んでいると感じていらっしゃるのでしょうか?

刈谷 順調とも言えますが、私自身、表に出ようとはまったく思っておらず、実は今こうしてインタビューを受けているのもまだ不思議に感じるほどなんです。

『なつぞら』でも、手元だけの出演から、題字やオープニング、気づいたら劇中のアニメまでと、私くらいのキャリアでは通常考えられないくらい、多くのパートを担当させてもらいました。

とても貴重な経験でした。でも、これからは私自身が表に出て活動するよりは、とにかくいろいろな仕事をこなして技術を磨く期間にしたいと考えています。

──北九州市のお仕事を受けていただいたのも、そうした技術的な挑戦という理由も大きいのでしょうか?

刈谷 それぞれ違ったニュアンスの街並みを描く経験がなかったので、単純に面白そうだと思ったのは確かです。

でも、終えてみて一番印象に残ったのは、もっとすさまじいものと想像していた北九州市が、街に自然があふれ海も近く、ごはんも美味しければ人も温かい素晴らしいところだと気づけたことでした。
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プロフィール

刈谷仁美

刈谷仁美

アニメーター/イラストレーター

1996年生まれ、高知県出身。アニメ制作スタジオ・TRIGGER(トリガー)での経験を経て、スマホゲーム『ブレイドスマッシュ』の作画監督を担当。2019年に放送されたNHK連続テレビ小説『なつぞら』では、オープニングアニメの監督・原画・キャラクターデザイン他、タイトル題字のデザイン・作中アニメの制作・台本の表紙イラストを担当。同年には自身初となる個展『かりや展』をササユリカフェで開催。また東京アニメアワードフェスティバル2020の表紙画を務めるなど多才な活動を行う。繊細な色彩と柔らかくも立体感のある作風で、日本アニメーションの息づかいを感じさせる作品を多数生み出している。

塩川雄也

塩川雄也

フォトグラファー

1988年、福岡県北九州市生まれ。山口大学医学部保健学科卒業後、附属の大学病院で看護師として勤務。山口県宇部市の​山本写真機店に出会い写真の魅力に惹かれていく。その後、旅への強い憧れから国内外を飛び回り写真を撮り始める。2015年に福岡県福岡市に拠点を移した後、フリーランスとして活動を開始する。翌年には写真家を志して上京。写真家 青山裕企氏に師事。2017年に写真家として独立後、東京で初の個展を開催。2018年にはYUKAIHANDS PUBLISHINGより写真集『OASIS』を刊行。同時に東京・山口宇部で展覧会を行う。

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